立ち止まってはいられない。
改めて そう思わされる案件(相談)があり、思いを新たにさせられました。
28日(木)の夜、共に障がい者支援に取り組む「Gota」チームのMキャプテンに声をかけてもらい、市内のファミレスに足を運びました。
このとき私は、例の報道被害によりゴタゴタしていたのですが、そんな中でも変わらず声がけしてくれたMキャプテンに感謝しつつ ファミレスに入りました。
と、メンバーの隣席には 地元の区長会OBと覚(おぼ)しき 私も面識のあるOさん一行が陣取っており、何やら和(なご)やかな雰囲気でおられます。
知らない仲ではなかったので「どうもこんばんわ。」と頭を下げると、 中のお一人が「当選おめでとう。」と声をかけてくれました。…のですが、件(くだん)のOさんは やや口元を歪めながら「礼状問題はどうなった?」と冷笑をかけながら私に。
区長経験者で識見もあるハズの人が、私の顔を見るなり この発言です。
新聞を熟読したうえでの発言なのかは知る由もなく、私の方も「記事をヨク読んでから言ってください。」と喉元まで出かかったところですが、そこは大人の対応「お騒がせしています。」と一礼して仲間の居る席に座りました。
「あ…これが世間の認識なんだ。」と心の中で嘆息しながら でしたが。
さて 本題。
この日メンバーが集まったのは、障がい者支援施設に通うAくん(20才代)から 予(かね)てよりの相談を受けている件についてです。
(この詳細については後日に譲ることとし、今回は概略のみとさせていただきます)
皆でドリンクバーの飲料を飲みながら…一見 穏やかなコミュニケーションの場に映りますが、その会話の中身は深刻といえるものでありました。
このAくん、市内の障がい者支援団体に身を置く中、昨年6月に農作業(草刈り)に従事していたところ 仲間の不注意で脚(ふくらはぎ)に大怪我を負わされてしったのです。
当然 これは重大な労働災害であり、当時の現場の状況や 就労環境(見守り・管理等)が問われる案件です。
さらに当然、Aくんに対しては 治療費などの医療費保障(補償)・さらに事故の被害者となってことで保険での補償などの手厚い措置が講じられるべきところであり、そのことについては 就労先が加入する保険会社等が直ちに受け持つ運びになるハズでありました。
ところが、です。
Aくんに対する保険保証の事務作業は遅々として進まず、無為に時間ばかりが経過することになってしまっているのです。
生活保護を受けているAくんには不安ばかりが募り「この先いったいどうなるのか…」と困り果てて「Gota」に相談を寄せているのでした。
Aくんの心配は3点に及んでいます。
1つは、自分の受けた被害について補償がされるかどうか。
2つめは、Aくんの〝生活の糧〟でもある「生活保護」は、事故の補償後も維持されるのかどうか。
3つめは、今後 就職して自活(自立)してゆけるかどうか。
このうち、1・3については 機微に触れる内容でもあるので後日に吟味のうえ詳細報告させていただきますが、今回は 2 について(関連して)見えてしまった〝行政体質〟について述懐するところです。
述べているとおり、障がいを抱えながら生きるAくんにとって「生活保護」は、まさに生きてゆくための いわば命綱であり、これが維持されるかどうかは 彼にとっての生命線となっています。
しかし今回、ケガを負わされて「補償」が匂わされることになったことで それ(補償)が収入とみなされ、もしかしたら生活保護が打ち切られるのではないかとの情報が伝えられ、Aくんの不安は増幅するばかりとなってしまいました。
Aくんにとっては、ケガの補償(金)は二の次の話し。とにかく生命線である生活保護が存続されるかどうかが全てなのです。
この、Aくんの他でもない心配を知るMキャプテンは 私に対し、このこと(補償されても生活保護は維持されるのか)との疑問(心配)について 議会(常任委員会)の場で確認して欲しいと言われ、私もそれに準(順)じて常任委員会(福祉環境委員会)の場(所管事項調査)で質問しました。
「生活保護制度を受けている障がい者さんが、同支援施設の就労の場で受傷し、保険(補償)の対象になった場合、生活保護は維持されるのか。」
それに対し 生活保護を所管する生活支援課々長は「一般論ですが」と前置きしながらも「たとえ保険(補償)の対象になったとしても、生活保護が打ち切りになることはありません。」と明確に答弁したのです。
ところが、です。
その後の「Gota」の調べ・また その後の所管の動きによると、どうやら 生活保護を受けている者が、保険や補償の対象になると それは収入とみなされ、生活保護の対象から外れることになってしまうことが判ったのです。
(この件に関するAくんを取り巻く顛末は やはり後日に譲ります)
結果、生活支援課々長の答弁は 事実(現状)と異なるものであることが判然してしまいました。
・・・・・。
今回のケースは、Aくんを案じ サポートしてくれる存在(Gota)が居てくれるから大過なく推移していますが、これが 天涯孤独の人が行政指導を頼みの綱として指導を乞(こ)うたとき、そのアドバイス(アンサー)が間違っていたとしたら。
その人は 行政を頼ったばっかりに誤(あやま)てる道を歩まされ、結果 不利益を被(こうむ)ることにもなりかねないところでありましょう。
同様の他のケース(行政(所管)による誤情報)を「Gota」のMキャプテンは指摘しています。
さきに調査に入った、障がい者就労支援施設「空風」に設置されている 高額(約1,000万円)の〝レトルト食品製造機械〟が置き晒(ざら)しになっている点について「設置費用に長野市の補助金が入っているんじゃないか」との(Mキャプテンの)問いに対し、対面した職員(障害支援課)は「補助金は入っていません。」と断答(だんとう)したのです。
しかし実際には、設備全体の中で相当額の補助金が入っていることが判り、結果 所管課職員の答えは間違っていることが判然しました(この「補助金が入っている・いない」は、機械の設置後に行政指導が行なえる(行なうべき)か否かの重要な分岐点になる点でした)。
「生半可」という言葉があります。
これは「十分(充分)でなく中途半端であること。いいかげんであること。また、そのさま」と解説されており、そのとおりと思います。
今回 市行政(担当)は、まさに生半可な情報のままに それを外に向けて発信(回答)し、それは状況によっては大きな〝市民不利益〟を招くことになりかねないものでありました。
補償の対象となっても生保はダイジョウブ・市の補助が入っていないから(市による)指導の対象では無い など、職員の持っている情報次第で大きく間違った方向に賽(さい)が投げられるところでありました。
しかも 二重の問題と言えるのではないかとされる点は、これらの生半可な対応が いわゆる社会的弱者である障がい者さんを適切に支援することを職務(職責)とする福祉担当の職員によって為(な)されていた(いる)という現実(実態)であります。
前述のとおり、たとえばAくんのような 生保を頼りに生きている障がい者さんは、何か分からないことや困ったときには 何はなくとも行政(職員)を頼り、適切な(正しい)アドバイスを受けたいと乞うところでありましょう。
その切実(悲痛)な声に対するファイナルアンサーが間違っていたとしたら…。
また、この Aくんの不安要因の(大きな)一つには、就労先である障がい者支援団体(担当者)の〝事務手続きの遅さ〟があると断ぜられます。
Aくんが受傷させられた。それは もしかしたら万(ばん)やむを得ないこととしながらも、問題は その後の対応の〝スピード感〟です。
もし、Aくんの受傷後ただちに雇用主(障がい者支援団体)が 治療費や補償の補填の事務手続きに入っていれば、Aくんの無用とも言える不安は生じることも無く推移し、その後の生保関連等の対応もスムーズに行なわれていたでしょう。
本来 社会で最も庇護(ひご)されるべき社会的弱者が、最もないがしろにされているとも言われかねない実態がある現実社会。
この現実を目にした以上は、これを看過することがいかにできるものでありましょうか。
立ち止まってはいられない。
改めて そう思わされた案件でありました。