倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察報告

2024-02-12 | 日記

今期 所属する「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察(1/22〜24)に参加しましたので、その概要をご報告いたします。

 

◇群馬東部域水道企業団の広域化の取り組み (1/24)

 「群馬東部域水道企業団」は、群馬県県内を流れる渡良瀬川(わたらせがわ)・利根川流域の 太田市・館林市・みどり市・板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町(おうらまち)の3市5町が水道事業・水道用水供給事業を広域化した連合企業団です。

 

 

 

 そして、こちら「群馬東部域水道企業団」の広域化の経過については、これまでの視察や いわば一般的な広域化の成り立ちと全く異なるもの(経過)に、私たちは驚きすら覚えたのでありました。

 

◎当地域における広域化の経過

 平成21年 「両毛地域水道事業管理者協議会」設置

 平成24年 「8構成団体首長会議」各首長へ広域化研究推進の打診→承認→同研究会設立

 平成25年 「群馬東部水道広域化基本構想」→同基本計画の策定

    同年 「水道事業統合協定」調印→同協議会の設立

 平成26年 「水道統合準備室」設置

 平成27年 群馬県が「群馬東部水道企業団」の設立許可(連合企業長は太田市長)

 平成28年 4月より事業開始

 

 同地域における水道事業を取り巻く諸課題は、他のエリアと同様に 施設問題や収益問題 さらに職員(高年齢化/実数減少)など、従来型の水道運営による(事業持続の)将来不安がありました。

 

 

 

 その課題可決のためには、事業の広域化が必須であることは認識されたところなのですが、そこ(広域化)に向けての いわば枠組みについては「ボトムアップからトップダウンへ」との、一般的な合意形成とは真逆のプロセスを辿ったものだったそうです。

 前掲の経過を見ても分かるとおり、こちら「群馬東部域水道企業団」は、平成24年の基本構想から早期のうちに事業が開始されています。

 この〝スピード感〟は、関係自治体の首長が「トップダウン」で物事を進めてきたことあるそうなのでした。

 

 

 

説明によると、当該エリアは「上毛6市」と呼ばれ、群馬県太田市・桐生市・館林市・みどり市・栃木県足利市・佐野市が かねてより歴史あるコミュニティを育んでいるそうです。

その「上毛6市」は 既に平成21年頃から水道事業の構想を温め、やがて平成24年に首長会議が開かれた際、リーダーでもある太田市長の号令一下により、堰を切ったように一気に広域化事業が推進されたとのことでありました。

 

 

 

 

一般的に、また これまでの視察で〝体感〟したように、水道事業の統合広域化については 時間をかける中で自治体間の調整を行ない、ある程度条件が整ったところで(総合広域化の)事業に踏み出すところでありますが、こちら「群馬東部水道企業団」は〝まずは広域化〟を掲げ、いわば枠組みを先に作って それから課題の調整を行なうという独自のスタイルで事業に臨んだ(臨むことができた)とのこと。これは非常にレアなケースであり、同時に(逆に)、水道統合事業の統合広域化には 自治体間の信頼関係が不可欠であること(=信頼関係があれば事業はスムーズに進む)を実感したところでありました。

 

 

 

そのうえで同地区においては、平成30年度までの赤字解消/10年間で139億円の費用削減・各自治体からの職員の正規登用などの成果を挙げていることが報告され、手法はトップダウンなれど着実に成果が出ていることが強調されていました。

 

 今回の行政視察を通じ、その地方ごとに多様な方法(理念)の下に統合広域化が行なわれていることを知り、しかして その通底には、水道事業の統合広域化は これからの日本の社会構造の中で避けては通れない道であることも併せ実感したところです。

 そのうえで、統合広域化に当たっては「統合広域化ありき」ではなく、然るべきプロセスを踏むことが重要であること(群馬東部水道事業団についても、一見的には統合ありきに見えるが、その根底には長い歴史がある)、また、エンドユーザーでもある住民に対しても丁寧な説明を重ねてゆくことが肝要であることを再認識したところでありました。


「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察報告

2024-02-10 | 日記

今期 所属する「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察(1/22〜24)に参加しましたので、その概要をご報告いたします。

 

◇君津地域水道事業の統合広域化(かずさ水道広域連合企業団)の取り組み (1/23)

 「かずさ水道広域連合企業団」は、千葉県内を流れる小櫃川(おびつがわ)流域の 木更津市・君津市・富津市(ふっつし)・袖ケ浦市の4市が水道事業・水道用水供給事業を広域化した連合企業団です。

 

 

 

◎当地域における広域化の経過

 平成19年 「君津市地域水道のあり方検討会」による検討

 平成23年 「君津市地域水道統合研究会」による検討

 平成25年 4市の関係者が 君津水道事業統合・広域化に関する「統合協議会」を発足

 平成29年 千葉県が構成員として参画

 平成31年 総務大臣から「かずさ水道広域連合企業団」の設置許可(連合企業長は木更津市長)

 平成31年 4月より事業開始

 

 「かずさ水道広域連合企業団」の所属自治体は、それまでは各地区の水道事業が いわば危機的な状況に陥っており、その点をクローズアップすることで 統合広域化の道筋をつけてゆきました。

・ヒト モノ カネの危機的状況

 各自治体は、下記の具体的課題を抱えていました

 モノ/管(かん)など施設の老朽化が全国ワースト2位→統合広域化で老朽管の解消をめざす

 ヒト/技術職員の高年齢化(平均49才)による技術継承の危機→統合広域化で独自職員を採用

 カネ/4市すべてが赤字経営→統合広域化で費用の抑制と財源の確保を図る

 

 

 

◎「かずさ水道広域連合企業団」における激変緩和措置

・同地域では自治体ごとに料金格差があるため、令和10年までは従来の(市域の)会計を継続

  →セグメント会計

・統合広域化当初は各市からの職員派遣で運営

 

◎「かずさ水道広域連合企業団」における統合広域化の効果

・施設→統合前と比較し、施設更新率1,0%を維持(統合前:0,7%/年)

 

 

 

・施設→統合前各市の整備水準の平準化と経営基盤の強化

   →事業量は増えているが、各市の出資金は減っている(自己費用負担の軽減)

 

 

 

   →施設の統廃合と耐震化の促進・料金の統一

    →水源29箇所・施設9箇所を廃止(効率化)/基幹浄水場・配水場の耐震化

 

 

 

・職員体制→40才以下の派遣職員を対象に身分移行を実施

・ヒト(職 →独自職員の確保:社会人経験枠拡大/採用試験回数増加/採用条件緩和

 

 

 

・職員体制→職員の「縦割り(セグメント会計の弊害)」の打破

・職員体制→独自職員による業務フローの統一化・効率化/工事の効率化

 

 

 

 

「かずさ水道広域連合企業団」においても、複数市(4市)での水道関連事業の統合・広域化は それまでの窮状を打破(改善)するために欠かせない事業でありました。

 ただ、22日に視察した広島と状況が異なっていたのは「かずさ水道広域連合企業団」は在の千葉県の主体的関与は無く(平成29年に構成員として参画)、主体はあくまで関係市が横断的(並行的)に担ってきた点でありました。

 私自身も、もし長野エリアで統合・広域化を進める際には、県はあくまでアドバイザー的な立場に置いたうえで、関係市の横の連携を直接的に深める中で事業を進めるべきと思ったところです。

 ところで、当委員会の視察に先立ち、同企業団のS事務局長から歓迎あいさつを受けましたが、その内容は実に「現場目線・利用者目線」に立ったものであり、この歓迎あいさつの中に「かずさ水道広域連合企業団」の〝価値観〟のようなものを実感させられたところです。

 S事務局長は、水道事業は「単なる効率化推進や経費削減の狭義では事業の意味が無い」旨を強調されました。

・統合には応分の費用がかかることから、統合=経費削減 の目的では事業はうまくゆかない

・統合に欠かせないのはマンパワー(人材)であり、統合=リストラ推進 の目的ではうまくゆかない

・新たなシステムを導入しても、それが(職員等にとって)慣れないものであれば機能しない

・リストラの概念は、管理職を減らしても技術職は維持すべき=現場職員を大切にすべき

・統合広域化においては、特に財政シミレーションは甘く算定しない

・統合しても料金は安くならないことを当初から正直に市民説明すること

等を述べられ、統合広域化が〝単なる夢物語ではない〟こと(現実)を直視し、いわば腹を据えて事業に臨むべきことを強い口調で述べられ、そこに この事業団の取り組み姿勢を感じ取ることとなりました。

 特に、激変緩和措置の中で、職員の体制(意識)までも〝縦割り〟を引きずってきたことによる市民サービスの限界、それを打破(改善)するために独自職員による 自治体の枠を超えた「業務フローの統一化」の取り組み成果に注目させられました。

 水道事業の統合広域化にあたっては、組織やシステムの統一と同時に、職員の意識そのものも統一(意識共有)させることこそが重要と実感させられました。

 

       


「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察報告

2024-02-08 | 日記

今期 所属する「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」の行政視察(1/22〜24)に参加しましたので、その概要をご報告いたします。

国民の社会生活、とりわけ社会衛生に欠かせない「水」は、世界に冠たる水道事業の発展に伴い、日本に居る限り いつなんどきでも、蛇口さえひねれば安心で安全な飲料水を口にすることができるところです。

ところが昨今になり、これまで整備されてきた水道管などの〝水道インフラ〟の老朽化・人口減少や社会構造の変化に伴う水道消費量の減少傾向・さらには管理側の行政職員(とりわけ専門技術を有する技官)の不足などにより、水道事業そのものの行く末に暗雲が立ちこめる状況になりつつあります。

そこで 各自治体においては、今後 到来することが予想される水道事業の厳しい状況に鑑み、自治体間を跨(また)いだ「広域」での水道事業の維持・発展を期する傾向が顕著になっています。

私たちの住む長野市域においても然り。このまま推移すれば広く市民の社会衛生を守るための「水」の維持管理が難しい状況に陥ることが予想(懸念)されることから、長野市を初め 上田市・千曲市・坂城町が一体となって「上田長野地域水道事業広域化研究会」を設置し、広域化に向けて検討を進めて(始めて)います。

長野市議会においても、議会の立場で水道の広域化を研究・検討するため、今期「長野市議会 水道広域化調査研究特別委員会」を設置したところです。

今回、かかる特別委員会として、先進事業を展開する「広島県水道広域連合企業団」ならびに「千葉県 かずさ水道広域連合企業団」ならびに「群馬東部水道企業団」を行政視察しました。

視察内容には種々あるところですが、今回 私は、とりわけ「関係する住民の合意形成と説明手法」ならびに「人材(職員)育成」について注目し視察に臨んだことから、取りわけ その点についてレポートします。

 

◇広島県水道広域連合企業団の取り組み (1/22)

 「広島県水道広域連合企業団」は、広島県と県内14市町が水道事業・水道用水供給事業・工業用水道事業を共同で経営することを目的に設立された特別地方公共団体です。

 

 

 

◎当地域における水道事業の広域化の経過

 平成28年 3月から厚生労働省通知/水道広域連携の検討体制構築を要請

 平成29年 広島県企業局に「水道広域連携推進担当」設置

 平成30年 広島県に「広島県水道広域連携案」

       「事業統合を全県でめざすことを基本に、県と市町による協議組織を設置し 広域連携の

        具体化に向け検討に着手することが必要」

 平成30年 広島県と関係市町で「広島県水道広域連携協議会」設置

 令和 2年 広島県において「広島県水道広域連携推進方針(水道広域化推進プラン)」策定

 令和 3年 広島県と関係市町で、水道事業に関する基本協定を締結

        →広島県水道企業団設立準備委員会を設置

 令和 4年 総務大臣から水道企業団の設置許可

 令和 5年 水道企業団による事業運営の開始

 

 広島県における水道事業については、本市と同様に水道事業における課題が内在していました。

 ・人口減少における料金収入の減少/令和42年度には20%の減(令和2年度比)

  →現下の独立採算のままでは、収益の8割を占める料金収入の減は水道経営を急速に圧迫する

 ・施設老朽化に伴う更新費用の増加/令和24年度からは、施設の更新費用が約1,8倍に増加

 ・職員の退職に伴う技術力継承の危機/令和23年度までに職員の7割が退職=若手職員の不足

 →水道事業を将来に亘って維持するために広域連携は有効な方策

   →スケールメリットによるコスト縮減や効率化が可能

 

 

 

◎広島県水道企業団の広域連携の形態について

 広島県では、組織統合を伴う「経営の一体化」を選択

  →経営主体(組織・管理)は同一だが、事業認可・会計・料金体系は異なる

 

 

 

◎広島県水道企業団の組織形態について

 ・地方公共団体の組合を受皿組織の形態として選択

  →これまでの自治体ごとの経営を踏まえ、広域化しても引き続き事業に参画し易い

 ・組合運営は「広域連合(広域連合企業団)」を採用

  →住民ニーズに柔軟に対応し、広域的な事務を より主体的に行なうことができる

 

◎広島県水道企業団の取り組みについて

 ・基本理念/多様な背景の市町と県が統合して相乗効果を発揮し、良質な水を適切な料金で安定供給

 ・施設の再編整備/市町の枠を超え、エリア(5つ)ごとに将来に向けた施設の再編整備

 ・危機管理対策/施設の強靱化とバックアップ機能の強化

 ・通信基盤 システム整備の充実/セキュリティ確保・DX AI化推進・スマートメーター等

 

 

 

◎広島県水道企業団の経営見通しについて

 ・損益/全ての事業会計で、単独経営の維持より改善の見通し

  →組織統合への国交付金・維持管理費の縮減・スケールメリットによるコスト縮減

 ・水道料金/(料金改定は避けられないものの)単独経営の維持に比して料金の上昇を抑制

 

 説明のとおり、広島県においても 水道事業の広域化は時代の趨勢に伴う「時代の求め」であることが強調されていました。

 なお広島県においては「県」が主導する形で事業が進められています。これはこの地域の地域事情に合った形での事業(推進)とのことで、これがすべからく長野域に当てはまるものではないものの、何らかのリーダーシップをもって事業を進めることの成果を感じ取ることができました。

 また、私の方からは、事業統合にあたっての住民説明→住民理解と人材育成について質問させていただきました。

 先ず 住民説明→住民理解については、基本的に所属の市町に任せた中で周知したとのことでした。その中では「料金が高くなるんじゃないか」とか「いずれ民営化するのではないか」などの懸念の声が出されたとのことでしたが、前掲のとおり「構成団体が単独を維持する場合より水道料金の上昇を抑制できる見通し」を掲げ、丁寧な市民説明に努め、概ねの理解は得たと  

 具体的には、先ずはこれまでの自治体の水道事業を いわば尊重する形で水道事業・水道用水供給事業・工業用水道事業の各事業について「区分会計(事業ごとに会計や料金を区分して経営)」を採用し、事業の混乱を避ける手法を取ること、料金についても、14市町で1,6倍もの格差があったことから、その平準化に向け、5年ごとに改定に向けた協議や審議会(水道審議会)の答申を踏まえて改定してゆくとのことを説明し、住民理解を求めているとのことです。

 また、人材育成については「水道専門家集団の育成」をめざし、職員の資格取得支援によるスキルアップの推進・ミッションステートメント(運営方針の明確化)の向上により市町を越えた共通認識の醸成・サテライトオフィスの設置等による働きやすさの構築などの努力を重ねているとのことでした。

 広域化については、これまでの自治体の歴史を踏まえたうえでの相互理解と(統合による)成果の創出、また受益者住民はもとより関係する職員の相互理解が欠かせないことを実感すると同時に、そのためには急激な統廃合ではなく、激変緩和的な 拙速にならない粘り強い作業が欠かせないことを実感しました。

 

以下、他市の視察内容についても順次報告してまいります。

 


まとまった雪

2024-02-07 | 日記

5日午後から6日朝(未明)にかけ 列島を「南岸低気圧」が通過し、各地にまとまった雪を降らせました。

特に今回は 雪に慣れていない首都圏周辺でも10cm近い降雪が記録され、交通機関への影響や多数のケガ人が出てしまったことが報じられています。

 

 

 

 

私たちの住む長野市域でも、久しぶりといえる降雪となり、5日の午後から不測の雪かきに追われることに。

かくいう私も、5日の午後に 自宅の前や接続する生活道路・団地内にある事故の危険箇所の丁字路の除雪に2度ほど出張(でば)り、6日の朝には その場所をはじめ、雪かきスコップを車載して 地区内で通学児童の見守りを行なう人の立つ横断歩道周辺の雪かきや、思い立つ中で独居で暮らす高齢女性の家を訪ねて雪かき支援を行なって回りました。

今回の雪は 意外と水分を含む重い雪となっており難儀させられましたが、できる範囲で せめてもの奉仕活動とさせていただきました。

訪ねた先のおばあちゃんたちには 甚(いた)く感謝されましたが、独り暮らしの高齢者の日常生活の大変さに思いをいたすことにもなったところです。

5日~6日は まさに「雪かきデー」となりました。思わぬ筋肉痛に見舞われることとなりましたが、日頃の運動不足の解消と受け止めたところです(苦笑)

(なお やはり独りで暮らす私の実母については、隣接するお宅の家人さんがウチの前も掻(か)いてくれることになっており 感謝に堪えません)

 

雪かき作業は、雪国に暮らす者にとって いわば必須作業であり、同時に大きな負担を強いられる作業でもあります。

顧みれば、今 長野市が行なっている「住民自治協議会」の活動も 市内北部域での〝ご近所の雪かき支援〟が源流になっています。

それだけ 雪かきは、私たちの社会生活の維持に欠かせない活動でありながら(前掲の)難儀なことともなっており…で そこには、幹線道路の「公助」に併せ 枝線(しせん)である生活道路については「自助からの共助」が欠かせないことを 併せ再認識したところです。

 

降雪がひと段落した6日の午後は、市域の公園の池も すっかり真冬に逆戻り。

 

 

 

南方では梅の便りも聞かれてきたことから、このまま春かと思い始めていましたが、自然はそんなに甘くない。

そして…(前掲のように)今回の雪の〝重さ〟を実感する中、日本海に隣接する北陸エリアの雪は こっちより水分を多く含んで更に重たくなっていることを思いました。

ご案内のとおり 能登半島地震の被災エリアには倒壊しかけている建屋が数多くあることから、相当の降雪があったことであろうこの2日間を経て この湿雪の降り積もりの影響(重み)で、二次的な建屋倒壊などの被害再発が懸念されるところです。

被災(避難)が長期化の様相となっている中、これからも 今回のような降雪や余震などの二次三次の自然現象も見込まれ、憂慮に堪えないところであります。


「令和6年2月臨時議会」=「みらいハッ!ケン」プロジェクト〝体験格差〟が生じぬよう最大限の配慮を=

2024-02-02 | 日記

◇長野市議会 令和6年2月臨時会 =みらいハッケンプロジェクト〝体験格差〟が生じないよう最大限の配慮を=

2月1日(木)に、長野市議会 令和6年2月臨時会が招集されました。

この議会においては、国の地方創生臨時交付金などを活用し、住民税所得割非課税世帯及び低所得の子育て世帯に対する価格高騰重点支援金(1世帯10万円/対象8.000世帯)・厳しい経営(運営)状況に陥るバス事業社への緊急支援金・子どもの多様な体験や学びの機会を提供する「子どもの体験・学び応援事業」の拡大に要する予算などが計上され、議論→採決に付されました(可決成立)。

 

このうち、私は (所管の)福祉環境委員会(こども未来部)で「子どもの体験・学び応援事業(の拡大)みらいハッ!ケン」プロジェクト」について意見具申しました。

「みらいハッ!ケン」プロジェクト とは、長野市が全国に先駆けて実施する 子どもの体験を後押しする事業です。

 

 

 

 

その趣旨は下記のとおり。

長野オリンピックでは、「子どもたちの参加」を掲げ、当時の子どもたちは大会の観戦や選手との交流、一校一国運動など、本物の体験を通じて多くのことを学び、それが子どもの成長や、生き方・考え方にもプラスの影響を生んできたと感じています。

こうした子どもの成長につながる上質な体験や学びの機会を、形を変えて現在において提供することは、オリンピックを開催した長野市らしい支援の在り方であり、未来に向け「人を育てる」取組を推進するため「子どもの体験・学び応援事業(「みらいハッ!ケン」プロジェクト)」を実施します。

とのことです。

これは いわば、オリンピック金メダリストである荻原市長の〝肝いり事業〟と申せます。

 

この事業の概要は、市内小中学生の皆さんを対象に 市の登録を受けたスポーツや文化芸術・自然体験・各種教室などの参加費/入会費/月謝等に利用することができる「ポイント」を付与するプロジェクトで、子ども(世帯)は、ポイントを活用し 子どもたちがプログラムを通じて自分の好きな活動を見つけ、自己肯定感を育みながら成長できる環境を提供する というものです。

 

 

 

 

実は この事業は、いわゆる〝拡大・継続事業〟なのです。

この事業は、昨年11月末から本年1月末にかけて〝モデル事業〟として実施され、利用状況についてモニタリングが行なわれました。

その結果を踏まえ、今回、内容(補助/クーポン支給内容)と実施期間が 拡大・延長されることとなったものです。

 

 

 

長野市に住んでいる小学1年生から中学3年生までの子ども(養育者)に対し、3万円のクーポン券(電子ポイント)を配布・子どもは今年4月から来年3月末までの1年間に亘って 何らかの〝体験〟ができることになっています。

 

 

「みらいハッ!ケン」プロジェクト 長野市HP

          ↓

 

【令和6年度も実施します】子どもの体験・学び応援事業(「みらいハッ!ケン」プロジェクト)について

子どもの体験・学び応援モデル事業(みらいハッ!ケンプロジェクト)では、体験活動や習い事で利用できる電子ポイントを配布します。

長野市

 

 

 

 

私は、この事業の趣旨~未来ある子どもたちに何らかの体験(機会)を促すこと~自体については評価するものです。

そのうえで(委員会)では「市が予算をかけて実施する以上は、全ての子どもに平等に体験の機会が提供(享受)されなければならない」と意見しました。

 

モデル事業の報告によると、さきに行なわれたモデル事業においては 約6割の子ども(世帯)がサービスを利用したとのことでした。

市(所管課)からは「急きょ実施し 約2ヶ月余の限られた実施期間でしたが、約6割の子どもが(サービスを)利用できました。」との〝自己評価〟が述べられ、多くの議員(委員)からも それを評価する声が出されました。

しかし、私は。

 

 

 

たとえ短期間のモデル期間との制約を差し引いても、6割の子どもがサービス利用→と いうことは、4割もの子ども(世帯)が サービスを利用できないままに期間終了を迎えてしまったのは 評価の一方で〝残念な結果〟だったとも言えるのではないか。

何らか体験できた6割の子どもは満足感を覚えることができたものの、残り4割の子どもは いわば蚊帳の外に置かれたままに過ごすことになってしまった。

これは、実質的な〝体験格差〟だったのではないでしょうか。

 

ただ ここには、さまざまな理由があろうと思います。

子どもが消極的なままでいた・親御さんや養育者の人が多忙で対応できなかった・事業そのものを知らなかった・参加したくても 条件等が整わず(参加を)見送らざるを得なかった、等々。

しかし 長野市が公金を支弁して事業を実施する以上は、それら多様な理由がありながらも それら全てを斟酌(しんしゃく)したうえで、全ての子どもが(内容はさまざまなれど)〝体験〟を享受できるよう計らってゆかなければならない。

積極的かつ条件の整った子ども(世帯)はサービスを甘受し、それ以外の子ども(世帯)は それ(体験)できないままに過ごすといった格差(体験格差)はあってはならない、と強く具申いたしました。

 

・・・・・・。

こんなことは考えたくもないのですが、現有の荻原市長は かつてのオリンピック金メダリストです。

いわば 競争を勝ち抜いて頂点を極めた〝勝者〟であります。

しかして それは、文科省(スポーツ庁)の手厚い支援の下(もと)でトレーニングを積んで得た成果であり、それ(金メダルという成果)自体は大(たい)したもんだと思うところですが、その うわば「やる気のある者よ集まれ!」というような〝成果主義〟を、この事業に持ち込んではいないだろうか。

積極的に「手挙げ」した者は報われ、下を向いた者は恩恵を受けなくても仕方ないよね、という理屈は許容されるものではない。特に この事業に関しては。

 

 

あと…これは非常に穿(うが)った見方なのですが、この事業の いわば〝源流〟は「経済産業省」にあるらしいのです。

文部科学省でもなければ こども家庭庁でもなく、経済産業省。

経済産業省といえば、さまざまな取り組みを通じて〝経済活性化〟を期する省(所管)です。

その所管が発信する 子どもの体験プラン…求めるところは「子どもの体験を通じて地域経済の活性化を」じゃないだろうか。

であるとすれば、子どもの体験は あくまで〝手段〟で〝目的〟は「地域活性化」だったりして。

そんなことは 考えたくもありませんが。

 

 

今後、長野市は モデル事業の〝成果〟を踏まえ、1年間をかけて あまねく子どもに体験の機会を与える、と説明しています。

 

 

 

 

ところが現実には、共働き家庭・シングルペアレント・障がい児・等々 子どもを取り巻く環境にはさまざまな様態があり、市もそのことは重々に承知しているハズです。

それらを踏まえて 敢えて(再)実施する事業。

市(所管課)は、そのこと(参加し難い子ども(世帯)の存在)については「地域コーディネーター」を配置し対応する としていますが、その成果(キャパシティ)についても 懐疑的な面は否めません。

 

前述のとおり〝荻原市長の肝いり〟で拡大・継続実施される「みらいハッ!ケン」プロジェクト 」は、その脚光ぶりの陰(かげ)となってしまう子ども(世帯)への目配り・気配りを怠りなくすることこそが強く求められています。

私は議論の最後に、今後 事業(再)開始に合わせ、検証として 定期不定期に中間集計と効果測定を行なうこと、それ(検証)を都度に分析し 未体験の子ども(世帯)に適切に案内(紹介)するなどして、くれぐれも〝体験格差〟が生じないよう、市の責任をもって事業に取り組むことを強く意見具申したところです。


「令和6年能登半島地震」発災から1ヶ月

2024-02-02 | 日記

新たなる 令和6年も、暦(こよみ)は2月に入りました。

私たちは いつも「時間(日にち)の経つのは早いもの」を実感しているところですが、とりわけ 今年の この1ヶ月は、さまざまな(多難な)ことが多すぎて 面食らうほどの光陰であったと思わされているところです。

 

よりによって 元日に大きな地震に見舞われることになろうとは。

元日の午後4時10分頃、震源地から遠く離れた私たちでさえ強い揺れを覚えたところでありましたが、その直上におられた能登半島や上越の方々には 図り知れない甚大な被害が及ぶことになってしまったのでした。

 

 

 

 

その(被害の)詳細については みなさんもイヤというほど見聞されていることと思いますが、現地(主に能登エリア)は これまでの大規模地震を凌駕するほどの大きく(そして従来の震災に増して)複雑な様態をもった被害が発生しており、本当に同情を禁じ得ないところでありました。

加賀藩ゆかりの旧家などが建(た)ち並ぶ能登のまちは、それは その多くが耐震化の手立て(率)が少ないまま今日を迎えることになっており、いわゆる〝キラーパルス〟と称される強い横揺れによる家屋倒壊続出の悲劇の場ともなってしまいました。

災害発生のタイミング(元日)・地震の規模や その性質・地震に伴う液状化現象や土砂崩落 など、さまざまな現象は 発災直後の救助活動などを阻む悪しき要因ともなり、それは多くの人的物的被害を出してしまうことにつながっていることは 歯がみする他ないところであります。

とりわけ今回の地震においては、低体温症などにより犠牲になった人が少なからずおられること…それは即ち 発災直後には未だ存命されていた方々が、その後の救助の手が及ばない(及ぶことができない)ままに天に召されてしまったことを示しており、この容赦もない事実に ご家族及びご関係者の無念さはいかばかりかと拝察するところです。

この後(のち) 懸念されるのは「災害関連死」これに尽きると思います。

もとより高齢化の著しい被災地域においては、震災の魔手から辛うじて逃れることはできたものの 長い(長くなる)避難生活において、体力・精神力が著しく消耗し 不慮の状況に陥ることが往々にして想像できることから、国をはじめあらゆる機関は かかる被災者の方々の支援に全力を尽くすことが求められています。

私たちの住む自治体をはじめ全国の各自治体においても 最大限の裁量の中で被災者支援に臨むことが期されており、また 直接的に支援できない者たちにおいても、常に被災地(被災者)に心を寄せ ことあるごとに早期の復旧復興を祈ること、それだけでも「思い」は天を超え 被災地に届くと信じてやまないところであります。

 

いずれにしても〝地震列島ニッポン〟は、今も どこかで地殻の胎動が続いています。

時期や場所を選ばずに 容赦なく発生する地震。私たちは「次はここで起きる」を念頭に 日々を過ごさなければならないことは言うまでもありません。

 


いわゆる「裏金問題」の取り扱いについて

2024-01-31 | 日記

令和6年が明けたばかりの列島・能登半島を大地震が襲い、その翌日には成田空港で不測の航空機事故が発生するなど、波乱・多難な幕開けとなってしまいました。

一方で、私たちが忘れてはならない というより、とてもじゃないが捨ておけないのが 永田町の国会を牛耳る自民党議員が所属する「派閥」における いわゆる〝裏金問題〟です。

自民党の各派閥が政治資金を集めるためにパーティを開くためにパーティー券を売りさばいた際、予(あらかじ)め議員ごとに課せられていた〝ノルマ〟を上回った分は「キックバック」と称して 議員の懐(ふところ)に還流させていたものです。

あたしゃ この「キックバック」を聞いた瞬間には、サッカーの技かなんかと思ったくらいです。

で、この「キックバック」ですが、本来なら政治資金収支報告書に記載すればよかった(合法だった)ものを、派閥の指示で不記載にして〝裏金〟としたものです。

さらに言えば、この収支報告書の不記載は 厳密に言えば違法で、罰則が伴うことから 摘発されれば「公民権停止」もあり得る 重いもの(行為)なのです。

さらに さらに言えば この〝裏金〟議員の懐に入った瞬間に、それは所得税法上「雑所得」となり これを確定申告していなければ〝脱税〟になってしまうのです。

こんな二悪も三悪もある行為は、国民とすれば「まあイイや。」ではとても済ますことはできませんよね。

 

ところが 現実には〝雲散霧消〟の様相となっています。

多額に裏金をせしめた一部議員は告発されたものの、多くの議員連中は 通り一辺倒の記者会見を開いて 一部の支持者に説明ならぬ言い訳をし、その後の修正申告で一丁あがり…後はお咎(とが)め無しの雰囲気となっています。

こんな〝言い訳逃げ切り戦法〟が許されるハズもありません。

 

 

そして迎えた第208回国会(常会)です。

論戦の場を議員の主戦場たる国会の場に据え、かかる〝裏金問題〟について激しいやり取りが展開しています。

〝A級戦犯〟たる 総理以下の自民党議員は防戦一方、責める野党は ここぞとばかりに一挙火勢の攻撃(口撃)を展開しています。

そんな 丁々発止(ちょうちょうはっし)を見ている私ですが、一方で この論戦が、時間切れ未了のまま打ち止めになってしまうんじゃないかと憂慮の念を抱くようになってきました。

今国会においては、異例ともいえる「政府四演説の前での予算委員会による集中審議」を経て「本会議」での代表質問でのやり取り、これはこれで相応(ふさわ)しいと思うのですが、どうにも議論が〝水のかけ合い〟だけで、深まっていないんじゃないか。

国民の前に晒(さら)される 本会議や予算委員会も大事だけれど、この際は本腰を据えて かかる根深い「政治とカネ」の問題を検証・議論し、膿を出し切ったうえで次へと進むべきではないかと思ったところでした。

 

 

すると…あたかもそれに呼応するように1月31日の信濃毎日新聞の「社説」に、私の意を体してくれたような論説が載り、大いに賛同したところです。

社説のタイトルは『裏金問題と国会改革の議論を「特別委員会」で』というものです。

 

 

 

 

記事は先ず、29日の衆参予算委員会と30日の本会議(施政方針演説)で、岸田首相は陳謝し 裏金事件で国民の信頼を損ねた責任を重く受け止め「私自身が先頭に立って改革を実行する」と改めて強調したものの、具体策に触れると歯切れが悪いことを指摘しています。

そのうえで「自民党政治刷新本部は中間報告で「派閥から脱却し、本来の政策集団に生まれ変わらなければならない」と謳(うた)ったものの、予算委員会では肝心なのは事件の全容解明だ と、野党から党内調査を迫られ、それに対し首相は「聞き取り調査を進める」と約束したけれど 対象範囲や実施時期は答えず、自民党の「刷新本部」が最終報告をまとめる期限についても明言を避けている。」と指摘しています。

また「政治資金規正法の改定」についても、会計責任者の違反に議員本人も責任を負う「連座制」の導入について首相は「真摯(しんし)に議論したい」と応じるに止(とど)まっている としています。

政党から政治家個人に渡り、使途公開の義務がない「政策活動費」でも同様。不透明な政治資金の代名詞であり 他党が使途公開や廃止を求めても、首相は「政治活動の自由そのものに関わる」と逃げを打っていると断じています。

さらに「これは、全議員の聞き取り調査や政策活動費の見直しに踏み込めば“派閥解消”で揺らぐ党内事情がさらに悪化しかねないことから、政権保持に固執する首相の本音がにじむ。」としたうえで、来週から来年度予算案の審議が始まることを踏まえ「このまま推移すれば 議論が混在し、かえって国民には分かりづらくなる」と懸念を示していました。

 

私も全く同意。この未だ不透明な点、そのうえで (私を含む)多くの国民が とてもじゃないが納得していない中、かかる不透明な点 一つひとつを掘り下げ・解明し・不適切な行為に及んだ議員の処遇(処罰)を定め・そのうえで 今後このようなことの無いように法整備の土台づくりを行なうべきでありましょう。

 

そのうえで 同紙の論説員は「与野党間に 政治改革に向けた「特別委員会」を設けてはどうか」と提唱しています。

企業・団体献金、政党交付金、調査研究広報滞在費(旧文通費)、政治資金収支報告書の公開方法など改変すべき課題は多々あることを踏まえ「政治資金規正法に抜け穴を残し 政治とカネの問題を引き起こしてきた責任は国会にある」ことを自覚したうえで、公開のうえでの審議・外部識者らの意見導入視野に、各党が掲げる〝最も厳しい規制〟を軸に改革案を練ってほしい。」と述べておりました。

 

私自身も、このまま 語気だけを強め、表面的な殴り合いだけで幕引きをするのではなく いわゆる地に足を着けた議論を行なうためにも「特別委員会」を設置し、未詳・未解決な問題を深く掘り下げてゆくことこそが 国民の求めるところではないかと思うところです。

 

従前のブログ記事でも触れていますが、高度成長期の頃と異なり 社会経済状況は厳しさを増し、今までのように「良(いい)わ いいわ」で済まされない状況に至っています。

そのうえで、国民自身がクレバー(賢者)となっていることから(現に 今回の裏金問題の指摘(告発)も、民間(人)の大学教授の手によるものでしたよね)、それら賢者を前に このまま逃げ切りというワケにはゆかない。

 

「あんまり国民を舐(な)めない方がイイよ。」そう思っているのは、私だけではないハズです。


内部告発(=公益通報)の社会的役割

2024-01-31 | 日記

知人(Aさん)の依頼で、以前に在籍していたものの 一旦離脱した団体に復帰する人(Bさん)の(当該団体の)打合せ会議に陪席することとなりました。

その場で、時代が変わる(変わった)中 組織を浄化するための重要な行為について思いをいたしました。

 

それは「内部告発」…今は「公益通報」と呼ばれる〝勇気ある行為〟です。

みなさんは「内部告発」と聞くと、どのようなイメージを抱かれるでしょうか?

それ(内部告発)が 組織にとって良いものか⇔悪いものか と考えてみたとき、従来(旧態依然)のままの感性に依(よ)れば「身内の恥をチクった、組織に敵対する悪しき裏切り行為」と捉える人が多いものです。

これは もしかしたら〝和の精神〟を重んじる 日本の慣習からきているのかもしれません。

「そんな 身内の恥を晒(さら)すもんじゃない!」とか「オマエさえ黙っていれば、全て丸く収まるんだ!」というような「内部告発」に対する意識(=内向きの感性)は、未だに多くの組織に「(組織の)常識」として蔓延(はびこ)っているものです。

しかし、今や多くの人たちが承知しているように「内部告発」を忌み嫌う組織のままでは、その組織は良くならないどころか いずれ「腐ってゆく」と言っても過言ではないのです。

そうです「内部告発」は 組織にとってマイナスに作用するのではなく、それどころか 組織・ひいては社会全体にとって有益になるもので、むしろ促進されるべきもの(善行)なのです。

「内部告発」が為(な)されることにより、その組織や部署にとっては都合が良くても 社会的には不適切である〝実態〟が社会的に明らかとなり、そのことでそれら(不適切運営)が是正することができれば 逆に組織の体質改善につながると同時に、ひいては社会環境そのものの向上につなげることもできるのです。

このように「内部告発」が組織にとって有益なのに、わが国の多くの企業や組織が(内部告発を)未だ受け入れられにくい実態にある一方、諸外国においては 内部告発を厚く保護し、促(うなが)している国が多くあります。例えば オーストラリアでは『公益開示法』韓国では『公益申告者保護法』アメリカでは『不正請求禁止法』を制定し 内部告発を促す社会環境を整えています。

他方 わが国においては、2020年に「公益通報者保護法」が制定され(2022年に改定)現在に至っていますが、いわゆる社会的風潮の中では「内部告発」に対する見方は未熟であると言わざるを得ないところです。

 

「公益通報者保護法」消費者庁HP

      ↓

https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview

 

 

このような制度を設けている背景には、通報が「社会にとって良いものである」という認識が(諸外国の)社会の中で共有されているという いわば日本との〝国際的格差〟があると申せます。

残念ながら わが国においては、まだ 内部告発を是(ぜ)とする意識が広く共有されているとは言い難い状況にありますが、前述のとおり 内部告発は、組織や社会にとって有益なのですから、不祥事を発見した場合には 積極的に(内部告発を)実行することが求められています。

これからの日本社会においても、活発 というより適切に内部告発が行なわれ、その都度に組織の不適切運営祥事が是正されるということ(学習)を積み重ねることで、わが国においても いわゆる〝風通しのよい組織運営〟が構築されていくことになるのが期待されるところです。

 

 

 

 

このように かかる「内部告発」の意義が再認識される一方で、基本的な部分で課題(問題)が横たわっています。

肝心の「組織」ならびに「(告発者以外の)構成員」が、この善行(内部告発)を正しく理解し 受容することができるかどうか、です。

(前掲のように)内部告発を〝チクった〟と決めつけ、告発の中身の以前に (告発の)行為そのものを責める風潮にある組織。

現場(部下)の方に問題意識があっても、それを上司に言ったところで 聞く耳を持たなかったり却下されることが判っているから「言っても無駄だ…」と いわば(内部告発の)権利を放棄せざるを得ない風潮にある組織。

同様に 現場(部下)の方に問題意識があって、それを上司に言ったところ「管理者の耳に入れれば面倒なことになる」とばかりに、途中(中間管理職)の段階で揉み消してしまう風潮にある組織。

いくら問題提起しても、上司や管理者は「そうだね…」と頷(うなず)くだけで、具体的な改善に動こうとしない風潮にある組織。

組織の管理者が 内部告発を恐れ、予(あらかじ)めのうちに 構成員に箝口令(かんこうれい/口止め)を敷いて〝言論統制〟をする風潮にある組織。  等々…

 

これでは、心ある構成員が いくら勇気をもって内部告発に臨んだとしても、組織は何ら変わることは無いでしょう。

「内部告発」は、告発する(される)までの〝片道〟だけでは無く、それを真摯に受け止めて改善するという〝往復〟が無ければ その効果は半分でしかないのです。残念ながら。

 

 

ところで、冒頭の団体において Bさんを後見する人が、(Bさんの)復帰にあたって心配する点を指摘しておられました。

実はBさん、組織の不適切運営について 勇気をもって「内部告発」を行なった経緯があるのですが、そのことで 復帰した団体で冷遇されるのではないか、という点です。

これについては、もし この団体が(やはり前掲のとおり)旧態依然のままの組織形態であれば、往々にしてあり得ることでありましょう。

このことについては 私の立場から「団体の構成員においては これを契機に「内部告発」の意義そのものについて学ぶべき」と強く指摘しました。

いわんや「内部告発」とは、告発の名を借りた〝提言〟であると捉え、組織は それを真摯に受け止めてゆくべきではないか、と。

今回 Bさんが復帰したとき、それぞれの構成員自身が「内部告発」について正しく認識していなければ「組織をチクった者が戻ってきた。石でも投げてやりたいけど、上司が黙っていろというから我慢しよう」などという〝間違った認識〟のままにBさんを受け入れることになるでしょう。

一方で、組織の長をはじめ あまねく構成員が「内部告発」を正しく理解していれば、Bさんへの見方は180°違うものになる。

「Bさん、組織の問題点を 勇気をもって社会に指摘してくれてありがとう。この告発によって組織は改善に努め、より良い団体へと脱皮することができた。これからも胸襟を開いて共に活動してゆこう!」と。

「内部告発」への正しい理解と、その後の実行如何(いかん)で 組織の内容は飛躍的に向上してゆくのです。

 

 

Bさんの属する団体のみならず、広く社会では「ビッグモーター」や「ダイハツ」さきには「豊田自動織機」など 企業におけるコンプライアンス違反が続出し、その陰(かげ)には「内部告発」があると言われています。

これら企業においても然(しか)り。「内部告発」を受けた以上は 挙げて組織の改善を図るよう取り組むのか「そんなことあったっけ?」とトボケるか「ご指摘は重く受け止めます」と言うだけで 結果なーんにも動かずに済ませてしまうのか、ここは正に分岐点〝再び伸びるか そのまま腐るか〟に明確に分かれるところと思うところです。

 

 


[注意喚起] おそらく〝被災地支援詐欺〟

2024-01-29 | 日記

先日 いつもの(食料品などの)買い物を乞われ、実家に行きました。

掃除など ひとわたりの「おさんどん」を済ませ、一緒にお茶を啜(すす)っていると「そういえば…」とオフクロ。

「この間、変な電話がかかってきたの。それも〝別口〟で(2件)。」とのこと。

「どんな?」と問うと、どうやら いわゆる『不要品の寄附詐欺』と『サービス詐欺』のようだったのでした。

 

 

 

 

先ず1件目は。

「先週の夕方 電話がかかってきて、若い男の声で「お宅に、要(い)らないタオル ありますか?」って。」

「そりゃウチだって タオルくらいあるから「あります。」と答えると「あ~ヨカッタ!」と 変に弾んだ声で。」

「実は私たち、今回の能登半島地震へのボランティアで 各ご家庭から要らなくなったタオルを集めて、被災地に寄附する活動をしているんです。」って。

「で、ビックリしたのが「これから いただきに伺ってもイイですか?住所を番地まで教えてください。」って言い出したこと。これから?来るの?って。」

そこまで聞いたオフクロは、さすがに「おかしい…」って感じたようなのでした。

そこで オフクロは、以前 たまたま二人で「何かおかしいときは こう答えよう」と取り決めておいたセリフを発してみたところ…

「私 年寄りでヨク分かんなくて…息子が警察に勤めていて 6時過ぎに帰ってくるから、その頃また電話してくださいな。」と返答すると、その者からの電話は 二度とかかってこなかったそうです。

無論「息子が警察に勤めてて」は〝ナントカも方便〟でのでまかせですが、もし 何もやましいことが無ければ、家族がオマワリだろうと何だろうと 堂々と訪ねてくればイイ話しなので、この「タオルありませんか?」は〝やましい電話〟であったのでしょう。

 

これは、被災地支援をダシにした 新手の詐欺まがい行為と思われます。

これらの手口については 各所で啓発されているとことろですが、まさか身内にまで魔手が及んでいるとは。

この輩(おそらくグループ)は、各家庭に必ずあるであろう「不要品」を引き合いに出し そこに災害支援や途上国支援の〝大義〟を重ねて住居人(主に高齢者)の賛意を引き出したうえで訪問し家に上がり込み、徐々に牙をむき出すものです。

「被災地にタオルを寄附したいのでご協力を!」

「途上国の人々に靴を寄附したいので 履かなくなったモノ1足だけください!」など、情に訴え 家に上がり込むキッカケとするのです。

一度(ひとたび)家に上がってしまえば 後は詐欺グループのペース「タオル(靴)の他に、不要な衣類はありませんか?」→「昔に着た着物(反物)はありませんか?」→「着(つ)けなくなった指輪や貴金属はありませんか?」中には 勝手にタンスや棚の引き出しを開けて物色する奴もいるそうです。

このように タオルや靴を端緒に〝雪崩(なだれ)式〟に家の財産を二束三文で買い取る詐欺まがい行為、でも基本的には「同意の上」というのが厄介なところであるようです。

 

 

 

 

また〝オフクロ被害未遂〟の別口は。

ある日 家のチャイムが鳴り、出てみると 若いモンが「こんにちは!水道パイプの流れ具合はどうですか?もし流れが悪かったら、パイプの詰まりを直しますヨ!」と、やけに明るく話してきたとのこと。

これを聞いたオフクロ やっぱりこれも「?」と思い、とっさに「家の修理は息子がやっているから。寒いのにご苦労様。」と言ってドアを閉め施錠したとのこと。

これは いわゆる〝修理します詐欺〟ではなかったか と。

これについては、なかなか素人では手が出ない修理を〝押し売り〟し、ちょっとした修理をしては法外な料金を請求するものではなかったでしょうか。

(これと類似するのが、被災地での「ブルーシート張ります詐欺」でしょう。ただ屋根に被せただけの作業で 数十万円を請求するものです)

 

 

何かと世知辛い世の中。

カネのためなら何でもアリとばかり、社会的弱者を狙っては あの手この手の手口で大切な浄財をかすめ取る 許されざる悪行です。

下記は 現金が狙われたものについての資料ですが、長野県の特殊詐欺被害は 5億円をゆうに超えているとのこと(2022年調べ)。

 

 

 

また 長野市においても、6千万円を超えている被害が出ているそうです(2021年)。

 

 

 

これは、実際に詐欺にあったもの(警察に届けられた被害額)であり、前掲のオフクロのように家の財産を買い叩いたり 法外なボッタクリ被害は計上されておらず、その〝被害の穴〟は限りなく大きいと言えるでしょう。

 

 

今回、身近な身内が あわやの目に遭いそうになったことで、改めて(ウチだけじゃなく)そんな悪行にヤラれないよう注意喚起する必要性を再認識させられました。

「火事場泥棒」ということばがありますが、他人様が困っている状況につけ込む行為・高齢者などの社会的弱者から浄財をむしり取ろうとする行為に、強い憤りを覚えながら。

 


私もそう思う「大阪万博は 中止または延期すべきじゃないか」

2024-01-28 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、各地・各方面に大きな損害を与え現在に至っています。

地震の揺れ・津波・液状化現象・大規模火災などにより、多くの人命を奪い 命が助かった人々についても過酷な避難生活に追い込んだほか、建屋損壊・道路破壊・社会インフラ損壊など 地域社会そのものを非常に厳しい状況へ至らしめています。

これから 私たち国民は、被災地を初め関係方面の復旧・復興に それぞれの立場で心を砕き、とりわけ政治・行政に関わる者は 被災地へ一点集中の姿勢で臨むべきと言っても過言ではないと強く思います。

 

 

そのような社会情勢の中、既成の事業でありながら その「今後の推移」が注目されている一大プロジェクトがあります。

『2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博』です。

大阪府大阪市此花区 夢洲(ゆめしま)を会場とし、2025年(令和7年)4月13日~10月13日の184日間に亘って開催が予定されています。

主催は 財界を中心に構成される「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」で、準備から開催運営までを行なうことになっています。

 

 

 

主催者によると「大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AIやバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、参加者一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となっています。このような進展を踏まえ、大阪・関西万博では、健康・医療をはじめ、カーボンニュートラルやデジタル化といった取組を体現していくとともに、世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約し、多様な価値観を踏まえた上での諸課題の解決策を提示していきます。」と、その開催意義を謳(うた)っています。

 

『EXPO2025 日本国際博覧会(大阪・関西万博』公式Webサイト

         ↓

 

EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

2025年の万博、日本、大阪・関西で開催!テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。

EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

 

 

 

 

2015年に「国際博覧会大阪誘致構想検討会」を立ち上げて以降 構想に相当の経年を経たうえで 満を持して建設に入った大阪・関西万博ですが、その雲行きが怪しくなってきています。

多くの方々から、このまま開催に向け突き進むことに 疑問の声が挙げられているのです。

果たして、その開催意義は今の社会情勢に見合ったものなのだろうか?

この点について、私も大いに疑問を呈する者の一人です。

「万博」といえば、私が真っ先に思い出すのが、同じ大阪で行なわれた『1970大阪万博』です。

岡本太郎さんデザインの「太陽の塔」をシンボルに掲げ、多くの近代インフラの展示・とりわけ「月の石」の展示などが人気を集め、入場者数は実に6,000万人を超え 事業は194億円の黒字となった巨大イベントでありました。

 

 

 

 

当時は、日本も高度成長時代の真っ只中。社会全体も「これから」感が満ちていました。

それに呼応するように開催された大阪万博は さまざまな近代社会を象徴するパビリオンやアクティビティが展示・展開され、多くの国民が近時代 さらに将来社会に〝未知なる期待〟を抱き来場したものと思います。

これに前後して 1970年には東京⇔大阪間の新幹線が開業、大イベントは社会インフラを連れてくるとの相乗効果が大いに評価されたところでもありました。

 

が、あれから半世紀以上…社会は成熟を極め その状況も大きく様変わりしています。

いや その成熟の一方で、社会は「プラトー期(伸び悩み期)」を迎えたとも申せ さらに言えば、人口減少・少子高齢化に伴う〝縮小社会〟を迎えているとも申せます。

この期に及んで〝あのとき〟と同義のイベントを開催する意義を どこに見出せばいいのでしょうか?

 

そのような疑問符を覚える中『2025大阪・関西万博』においては、さらなる〝現実的な問題〟が浮上しています。

「上振れ」が続く建設整備費です。

資材価格や人件費の高騰により、当初の1,250億円から 倍近い2.350億円に膨れ上がっていることが伝えられています。物価上昇や現場の人手不足は続いており、今後はさらに膨張する可能性さえあることがささかれています。

中でも、約350億円を費やす予定の 木製の巨大環状屋根「リング」への風当たりは強くなっています。

日本国際博覧会協会によると「多様でありながら、ひとつ」をコンセプトとする〝万博のシンボル〟で、約2kmの円周で会場を取り囲み 高さ12〜20m・内径約615mの〝世界最大級の木造建築物〟と謳われています。

 

 

 

この「リング」を巡っては、今月6日に 万博協会トップの十倉雅和・経団連会長が「必要である。ぜひ完成させたい」と記者会見であらためて強調し、8日の内閣委員会では 自見英子万博担当大臣が「夏の日よけとして大きな役割を果たす」と珍答弁を発したとのこと。

 

今のままの推移について専門家は「五輪(オリンピック・パラリンピック)よりもタチが悪い。五輪施設は そうはいってもスポーツ施設等として後利用ができるものの、万博については イベント終了後には建物が解体・撤去され、跡地には何も残らない」と指摘。

さらに 前出の「リング」についても「実質はただ長いだけの建造物で、高さは3〜5階建てのビル程度。中はガラガラで海の家みたいなもの。やはり最終的には壊され、開催意義を強調するだけのまやかしだ」と切り捨てていることが伝えられています。

さらに別の識者は「そもそも、この万博は カジノを含む「統合型リゾート施設(IR)を建設するための〝露払い的な役割〟で、単体での経済効果は大阪にとどまり限定的」と懐疑的な見方も。

さらにさらに メディア系の識者は「予算は膨れ上がっているが、東京五輪の際と同じで責任の所在が不明確にされている。そして、百歩譲って 五輪の際はテレビ等で好きな競技を観ることができたが、万博は行かなければ御利益(ごりやく)は無く、遠方に暮らす人(行けない人)にとっては税金をむしり取られるだけの〝ぼったくり事業〟だ」と断じています。

そんな中、地元の大阪では「中止でええやん」と銘打った署名活動が行なわれているとのこと。主催者の「どないする大阪の未来ネット」の事務局長は「あやふやなことばかり言わんと、もう「中止」と決めてしまったほうがええ。早くすれば 賠償金も低額で済むんやから。遅くなればなるほど、代償は高くついてしまうんやないか。」と関西弁でまくし立てていました。

 

 

 

 

現在の顛末の中で 経済産業省博覧会推進室は「総会で延期を発案し、総会参加者の3分の2以上の議決があれば(延期)できる」と説明しています。総会は年2回で、今冬にも開催予定とのこと(実際、ドバイの20年万博はコロナ禍で1年延期されました)

では「中止」の場合はどうか。中止の場合も 延期と同様のプロセスを辿ります、延期と違い「補償」が必要になる場合もあるそうですが 規定では「総会が自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合は…」とある。渡辺氏は「何が不可抗力に当たるかは具体的に書かれていない。総会で3分の2以上の議決で、その理由が不可抗力だと判断されれば、了承される」。つまり 日本側から中止を言い出すことは全く不可能というわけではないようです。

その『不可抗力』に、さきの「令和6年能登半島地震」を充てることはできないでしょうか。

まさに〝国難〟ともなった能登半島地震は、大阪・関西万博の中止を英断する理由に 充分なり得ると思うのは 私だけではないハズです。

 

他方、経済学の専門家は「国家的イベントが終わるたびに、中央省庁では次の開催地…つまり「国の予算を注ぎ込む出先」を探し、周期的に〝お祭り〟を開催してきた」とし、これを「お祭りドクトリン」と解説しています。

これが、東京五輪→大阪・関西万博に雪崩を打つ「お祭りドクトリン」の典型なのでしょう。

この識者は、私と同義「今の状況のデジャブ(既視感)でもある 1964年五輪→70年万博の成功体験は、高度成長期だからこそ可能だったもの。しかして国は その〝成功のイメージ〟を使い回して税金投入を正当化し、普段ではできっこない施策(事業)を展開してきた。さらにタチの悪いことに、日本はそれ以外に社会を変える方法を身につけてこなかった」とし、この「お祭りドクトリン」から脱却しない限り〝お祭り〟の中止は無いと指摘しています。

 

そのうえで、社会思想学者は「〝安倍・森五輪〟と揶揄(やゆ)された東京五輪が 政治権力の中枢の人たちのための五輪だったように、歯止めが利かない裏側には必ず支配的なメカニズムがある」としてうえで「〝五輪や万博があったから経済成長できた〟のではなく〝経済成長の時に五輪や万博を開催していたに過ぎない〟ことに気づくべき。なのに 未だに関係者は「万博や五輪をやれば成長できる」という根拠のない想定で 成功体験にすがっている」とした上で、こうも述べています。

「日本の民主主義は幼(おさな)く これから育ててゆかなければならないのに、万博や五輪に裏打ちされた〝支配的メカニズム〟が民主主義を破壊している。万博や五輪で民意を問われたことはない。まずは民意を問うべきだ」と。

 

2025年は、その早々に「令和6年能登半島地震」に見舞われてしまいました。

前掲のとおり、これから 国を挙げて復旧・復興に注力してゆかなけれなりません。

「それはそれ・これはこれ」という向きがありますが、わが国の現状においては 別モノとすることはできません。

そのジャンルに拘わらず、資材・人工(にんく/人材)が絶対的に不足しているからです。

国家プロジェクトである万博を強行に推し進めれば、個人 々 の被災である地震による建屋の再建などは 後回しにされるのは必定です。

時代が変わり、さほど必要と思わなくなった「お祭り」のために、不足の災害で日々の生活拠点を奪われた人たちの 新たな居場所の再建が遅滞することなど許されてはならないハズです。

 

2025年大阪・関西万博は 中止または延期すべき。

大阪のおっちゃんと同意に、私も改めて強く思うところであります。

 


大谷翔平選手を取り巻く事柄に見える〝価値観の違い〟

2024-01-26 | 日記

私を含め 多くの人たちが、プロ野球MLBの大谷翔平選手の一挙手一投足に注目しています。

彼のことについては 今さら語ることもありませんが、花巻東高~NLB日本ハムファイターズ~MLBロサンゼルス・エンゼルスを経て 来シーズンからMLBロサンゼルス・ドジャーズの一員として、その活躍に大きな期待が寄せられています。

その 注目の原資は、何と言っても「二刀流」の体現であることは ご案内のとおりです。

当初は、多くの〝諸先輩〟から「無理だ」と言われた二刀流を、遡(さかのぼ)れば高校生の頃から具体的にイメージし その(二刀流の)プロ界での実現(体現)に向け不断の努力を重ねて今に至っています。

その体現ぶりは 今や世界が認めるところであります。彼がグランドで躍動する姿は 私を含め多くのファンを奮い立たせてくれるものです。

 

その最たるものは、やはり 昨年のWBC(ワールドベースボールクラシック)でしょう。

文字通りチームの(投打に亘る)主軸として まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍でありました。

阪神タイガースとの壮行試合での〝片ひざホームラン〟を皮切りに、オーストラリア戦での(自分の)看板直撃の大ホームラン・イタリア戦での雄叫びを上げての熱投/その裏で意表を突くバント安打・メキシコとの準決勝で 劣勢をものともしない最終回の先頭打者初球安打→ヘルメット飛ばしての激走→2塁上でチームメイトを鼓舞、そしてアメリカとの決勝で最終回にクローザーとして登板/僚友トラウトを三振に切って取っての劇的ファイナル と、今それぞれのシーンを思い出しても〝胸アツ〟になるところです。

 

 

 

 

他方、スーパースターでありながら 威張るそぶりは微塵も見せずにチームに溶け込み、チームのコミュニケーションを深め ピンチではチームを鼓舞して自らムードメーカーを担ってきました。

そして、アメリカとの決勝を前にした〝声出し〟では「今日だけは憧(あこが)れるのをやめましょう。」との名言を残したのも記憶に新しいところです。

その後のMLB挙げての〝大谷翔平争奪戦〟の顛末・ドジャーズの入団会見・そして私たち犬好きにはたまらない 彼の愛犬「デコピン」との微笑ましいやり取りなど、大谷翔平選手を取り巻く大小のエピソードは、何かと世知辛く厳しい社会情勢の中、私たちにとって〝一筋の光明〟といっても過言ではないところでありましょう。

 

 

 

 

そんな 大谷翔平選手を取り巻くエピソードには枚挙の暇も無いところではありますが、取りわけ最近の出来事について見たときに、何というか 私たち凡人の社会環境に重ねてみると その〝価値観の違い〟のようなものに気づかされることがあります。

 

ご案内のとおり 大谷翔平選手は、ドジャーズとの契約で 日本円で1,050億円(現レート)での多額契約を結びましたが、それも殆(ほとん)どが後年払いというレアな契約となっていることが伝えられています。

そのうえで特筆すべきは、その〝使い途(みち)〟でしょう。

さきの「令和6年能登半島地震」に際しては、発災直後にチームと共同で被災地に約100万ドルを寄附し いち早く支援の姿勢を示してくれました。

 

 

そして…何というか〝価値観〟が分かれたのが、日本中の小学校(小学生)に グローブ(一校3個/それも1個は左利き用)をプレゼントした善行です。

これは、おそらく彼が 野球の魅力を一人でも多くの子ども達に知ってもらいたい・戸外へ出てキャッチボールを楽しむなどして 野球に親しんでほしいとの〝願い〟を体現したものと思われ、何ともイキなことをするもんだ ^^/ と 感心しきりとなったものでした。

 

 

 

 

ところが、このグローブの〝扱い〟について いわば「大人の価値観」が持ち込まれ、思わぬ物議を醸すことに。

九州某市の市長が、届いたグローブをスグに学校へ配らず 市役所ロビーに展示したのです。

しかも この市長は、自分のXだかFacebookだかのサイトに あたかも自分がプレゼントされたかの表情で「大谷選手、ありがとう!」とアップしたとのこと。

このことについて、多くの市民の目にとまるよう配慮したことを評価する声がある一方「子どものためにプレゼントされたグローブを横取りするな!」とか「市長の私物じゃないんだから…」と懐疑的な声も多数寄せられ、結局 某市(市長)は、展示期間を短縮して 小学校へ届けることになったとのことでありました。

 

 

 

 

この他にも「届いたグローブは校長室に展示されている」とか「戸外で使えば汚れるから、使用は屋内(体育館)に限定されている」などの〝情報〟が寄せられ、いずれも首を傾げざるを得ない〝大人の対応〟となっているところ(学校)もあることが伝えられています。

 

また、これは 案の定という残念というか情けない所作ですが、グローブに付いていた「タグ」が通販サイトで高額出品される事態も報じられ、何でもカネに換えろ との、実にさもしい行為も見られたとのことでありました(後に多くの批判を受けてサイトは削除)。

 

 

大谷翔平選手は、グローブのプレゼントに添えて 何と言ったでしょうか。

「野球しようぜ!」です。

 

 

 

彼は決して「展示しようぜ」とか「保管しようぜ」とか「汚さないように使おうぜ」とは一言も言っていないのです。

マ 使った後の手入れは怠りなくしてほしいでしょうが、このグローブは スグにでも皆で外に出て、使って使って使いまくってほしい、そんなシンプルな願いをもって贈ったものでしょう。

それを(前掲の「声」にあったように)大人の価値観で〝横取り〟し、あたかも工芸品をもらったかの価値観で〝展示〟に走るとは…プレゼントの趣旨を理解していないと言わざるを得ませんよね。

これら〝対応〟については(やはり前掲のとおり)評価する向きもあるということのようですが、取りわけ「野球少年 大谷翔平選手」からの贈り物という価値観に立てば、一日も早く子ども達の手に届けてあげて 実際に(戸外で)使わせることこそが、彼の思いに応えることになるのでは と、思ったところでした。

 

 

 

で…これとは全くべつの〝ジャンル〟で、大谷翔平選手のもつ「価値観」と娑婆(しゃば)の有象無象(うぞうむぞう)がうごめく価値観(所業)との〝違い〟を実感することに。

それは「お金(カネ)」との向き合い方です。

前述のとおり、大谷翔平選手は 文字通り億万を稼ぐことになりました。

しかし(ある意味で不思議なことに)、私たちは 彼に対し、うらやましいとは思っても それ(長者ぶり)を非難したり 悪口を言うような気持ちには、まるでならないところです。

かえって彼のことを 同じ日本人として誇りに思い「もっとガンバレ!」とエールを送りたくなっているのが実際のところですよね。

で、(やはり前述のとおり)そのお金の使い途も 多額の寄付やら日本中の子どもにグローブあげたりと、何というか「キレイなお金」という印象を抱いています。

 

ところが 同じこの時期、政界に目を向けてみれば。

〝派閥政治〟の名の下に、貪欲な政治家共が 企業や支援者からカネを集め、その余剰分を〝キックバック〟と称して懐(ふところ)に入れては私腹を肥やす所業。

果ては「秘書が…」と他人のせいにしたり、立法府の特権をかざし 現行法では司直の手が及ばないように(法を)仕向けて口(くち)を拭(ぬぐ)う有象無象(うぞうむぞう)の連中たち。

こいつらが手にする いわばアブク銭は、同じお金でも 大谷翔平選手が手にするそれとは大違いの「汚いカネ」と言うべきでありましょう。

同じ「カネ」でありながら 私たちは、大谷翔平選手の稼ぎっぷりにはエールを送り、政治家連中の守銭奴(しゅせんど)ぶりには何ともいえない嫌悪感を抱くのです。

 

この違いはどこからくるのか?

やはりそれは「価値観の相違」でありましょう。

大谷翔平選手の「お金」は、大好きな野球を突き詰めたうえで 結果として手にしたもの。

対して 悪徳政治家の「カネ」は、カネを得ることを目的にして暗躍したものじゃないか。

 

これら 大谷翔平選手に纏(まつ)わる出来事は、彼の「限りなく純粋な価値観」と、それに相反するように 一連の者たちの「偏(かたよ)った価値観」をクローズアップ(対比)させることになりました。

私は、大谷ファンの一人として これからの彼の活躍に心からなるエールを送ると同時に、一方で 娑婆(しゃば)で繰り広げられる所業(悪行)の数々に嘆息させられているところであります。


〝視点(訴求すべきもの)〟が違う…長野市の放課後ディ訴訟にまつわるゴタゴタ

2024-01-25 | 日記

昨日(24日)から今日にかけ 話題(事案)が供されたのですが、それらにまつわる「深層」について考えたとき、本来的な視点(訴求すべきもの)が違うんじゃないか と思わされたところです。

 

◇国の給付金を不正受給していたとして告発されている「(障がい者)放課後デイサービス」施設が、長野市福祉監査室を「通知文書の根拠法令に誤りがある」として提訴

国からの給付金を不正に受給していたとして長野市から損害賠償請求を受けている施設(運営会社)が、過去に長野市が「福祉監査」に入った際 会社側に示した「通知文書」に記載されていた根拠法令が間違っていたことから、運営会社側が「監査そのものが違法だ」と訴えていることが報じられました。

 

 

 

(この告発の内容については、さき(12/29付)のブログで触れています)

            ↓

 

障がい者を対象にした「放課後デイ」が給付費を不正に受給→市が告訴に踏み切る - 倉野立人のブログです。

長野市の福祉行政に震撼が走る「事件」が報じられました。そしてそのことは、この自治体にある抜本的ともいえる問題点をも炙(あぶ)り出すことになったことを実感させられた...

goo blog

 

 

 

ブログに記したとおり、この運営会社は 本来配置しなければならない資格者(保育士)を配置せず、書類の上だけ(保育士を)配置したことにして運営を継続、最終的に給付費約1億7600万円を不正受給したもので、施設が設置されている長野市が詐欺の疑いで同社の代表取締役を長野地検に刑事告訴し 加算金と合わせ約2億4600万円の返還を求めているものです。

一方、これに対し運営会社の弁護士は「違法な監査(福祉監査)で業務を妨害された」などとして 長野市市に300万円の損害賠償を求めて長野地裁に提訴しています。

その根拠は、放課後デイを含む障害児通所支援事業者への自治体の監査(福祉監査)は『児童福祉法 第21条5の22』に定められているのですが、長野市の通知文書には これ(第21条)とは違う所管である 障害児相談支援事業者への監査を定めた『児童福祉法 第24条の34』が引用されており、代理人弁護士は そこを突いたうえで「誤記では済まされない。虚偽公文書の行使で 違法な監査だ」と話しているとのことです。

この件について 所管(長野市福祉監査室)に照会すると「確かに根拠法の誤記はあった」としながらも「そもそも、施設の立ち入り調査においては (警察の捜査令状のような)通知文書を示す法令上の義務は無く、今回はあくまで 調査をスムーズに行なうために事前に知らせたもの(文書)の内容に誤記があっただけのもので、それが法的に調査(福祉監査)の成否を分けるものではありません。かかる文書の内容(記述)に齟齬があったとしても この運営会社に対する監査の正当性は揺るぐものではありません」と反論しています。

 

さらに訊けば この弁護士は、全国を股にかけて 行政などを相手に損害賠償などを勝ち取る〝強者(つわもの)弁護士〟だそうで、今回の件(事例)についても 事(こと)の経過を辿る中で〝根拠法令(記述)の間違い〟に気づき、そこを端緒に「噛みついてきた」ものと思われます。

 

 

・・・・・・。

この一連のやり取りに触れ、(前述のとおり)私は「争議の中で交わされるべき本来的な視点(訴求すべきもの)が違うんじゃないか」と改めて思わされたところです。

マ、事(こと)は裁判 戦いの場でありますから、相手が示したり持っている材料や資料について その問題点や矛盾点を突いて、少しでも状況を自軍に有利となるよう画策することは否定するものではありませんが、今回は 児童福祉・それも障がいを抱える子どもの放課後支援サービスについての適法性や事業内容等について争うものであることから、そのやり取りも 何というか高尚なものであるべきと思うところです。

それが 文書の記載内容についてイイとか間違ってるとかを趣旨(主点)として仕掛けるのは、何とも〝論点ずらし〟の感を否めないところ〝勝つためには手段を選ばず〟的なあざとさを禁じ得ないところです。

できることなら、というより 本来的に、この運営会社が どのような姿勢で障がい者支援に臨んでいたのか、その過程の中で なぜ必要な人員の虚偽の配置をしたのか、など 施設運営の深層に触れた論陣を張り、そのうえで自軍の望む判決を勝ち取る努力をしてほしいと思うところです。

 

ただ そこで、長野市も長野市で 億を超える損害賠償を起こすことになる監査(福祉監査)における根拠法の記述を間違うことも稚拙じゃないか…わざわざ(法的に求められていない)文書をケンカ相手に渡して、それを反撃の糸口にされてしまうとは。事前に弁護士に確認するなどして作業を進めなかったのか?など、その いわば脇の甘さに嘆息させられたところでもありました。


行令和6年能登半島地震 =「生命線」の よもやの破断=

2024-01-22 | 日記

よりによって元日に発生してしまった「令和6年能登半島地震」は、各地各所に甚大かつ複合的な被害を及ぼしており、当該エリアは非常に厳しい状況に陥っています。

昨日のブログでも触れましたが、被災地では 避難所・福祉避難所の運営そのものが大変な状況に陥っていますが、その主要因となっているのが 人々の社会生活における生命線でもある「上下水道」の機能不全であると言われています。

このうち「下水道」については 1/17付の記事で触れたとおり(下水道が)自然流下を原理としている中で、地殻隆起や土中の流動化現象等により下水道の機能不全に陥っています。

一方、主に飲料水を供給する「上水道」については ポンプ等で人為的に「圧」をかけることで配給(配水)でき、このことから 土中の状況に関わらずいずれ復旧するハズだったのですが…。

さきの報道で、能登半島地震で震度6強を観測し断水が続く石川県輪島市で 主要な上水道管のうち、耐震性能を持つとされる「耐震管(水道管)」もが〝破断(抜け落ち)〟していたことが分かったとのことなのです。

で…この事実は、被災地はもとより(私も含め)多くの関係者に衝撃をもって伝えられることになったのでした。

 

 

 

これまでも触れているとおり、地震発生から約3週間余が経過し 被災状況が徐々に明らかになる中、これまでは 震度7の揺れでも決定的なダメージは無いと思われていた耐震管が「破断(抜け落ち)」という最悪のダメージを受けていることが伝えられています。

 

 

 

業界紙等の情報によると、最大震度7を観測した能登エリアでは 水道管路の抜けや破断・浄水場の機能停止などの被害が多数確認されているとのこと。

このことについて専門家は「地震動が極めて強かったことから 道路の陥没・隆起や斜面崩壊など地盤(地中)災害が多発、この状況に陥ると(地盤被害が深刻だと)管路を耐震化していても 管路自体の損傷や継ぎ目の抜け落ちなどを防ぎきれない恐れがある」と指摘しています。

例えば、震源地に近い輪島市では 管路に多数の被害が生じました。河川から水を送る導水管などの損傷により 2つの主要浄水場へ原水が届かなくなり、加えて 道路陥没に伴い輪島浄水場と配水池とをつなぐ管路が約300mに亘(わた)り被害が生じたそうです。

 

 

 

 

上水道管については、従来型の「非耐震管」では多くの被害が生じていることはもとより、管路の継ぎ手に〝抜け出し防止機能〟を持つ「耐震管(初期型)」でも、想定の中では震度7でも破断しないハズだったにも関わらず 今回の地震では(破断の)被害に至ってしまいました(一方で、優れた耐食塗装を施した最新型の耐震管や、周辺の地盤の性状を勘案して耐震性があると評価する「耐震適合管」では被害が確認されていないそうです)。

 

 

 

能登エリアで地震被害が大きかった自治体では、水道管や浄水施設が被害を受け、およそ5万世帯で断水が続いており、このうち石川県では 上水道の(仮)復旧は2月末から4月過ぎまで期間を要することが伝えられています。

 

 

 

 

前述のとおり、今回の能登半島地震での「耐震管」の破断(抜け落ち)の発生(事実)は 関係者にとっても大きなダメージとなっているとのこと。

これまで大丈夫とされてきた耐震管が決して万全ではないことが示されたことから、関係者は水道の耐震化について見直しを迫られることになりそうです。

各自治体においては、計画的に管路の更新(耐震化)を行なっていますが、今後 さらなる改良が求められる事になるのでしょうか。

但し、今回の地震が いわばレアケースの面が多いことから、これで直ちに再考を ということにはならないと思いますが〝耐震管絶対説〟には安住できないことになったことは間違いなさそうであります。

 

なお 上水道管の破断や漏水等のチェック作業は、箇所 々 において漏水音などを耳で拾う「音聴調査」によって行なわれ、非常に時間と根気の要される作業となっています。

 

 

 

 

今 被災地には全国の水道局職員が応援に駆けつけていることが伝えられていますが、確実な作業の中で それでも一日も早い水道復旧を果たしていただきたいと期待するばかりです。

 

いずれにしても、(冒頭に述懐のとおり)人々の生活に欠かせないインフラである上下水道。これが復旧しないことには そこから先には進めないところであります。

今の被災の復旧と、新たに見つかった課題への取り組みが焦眉の課題となっています。

対策と新たな課題との厳しいせめぎ合いが続く被災地であります。

 

 

 


令和6年能登半島地震 =震災弱者への対応の難しさ=

2024-01-22 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、日を追うごとに新たな また改めての課題(問題)の数々を 私たちの喉元に突きつけることとなっています。

私たちは、それら課題(問題)に触れるたびに思慮・思考を迫られるところですが、これらは一朝一夕に解決できるものでも無いことから 現地(被災地)の方々と思いを一(いつ)にする中で、やはり悩みを深めるところであります。

この日もまた、新たな課題(問題)を認識させらることになっています。

 

◇いわゆる「災害弱者」たる被災者の方々への対応の遅れ

20日の報道で、被災地における「福祉避難所」の開設が 想定の2割に止(とど)まっている実態が明らかになり、障がい者や高齢者など いわゆる「災害弱者」の方々への支援が、実質 滞(とどこお)ってしまっていることに慚愧(ざんき)の念を深めるところです。

 

 

 
 
 
報道によると、地震被害の大きい石川県内の7市町で 障がい者や高齢者ら配慮が必要な人たちを災害時に受け入れる「福祉避難所」の開設が、想定の2割に止(とど)まっていることが 20日の共同通信による集計で分かったとのこと。
開設する予定だった福祉施設そのものが損壊・断水しているほか、施設の職員自身も被災・避難を余儀なくされ人手が無いなど、設備と人との〝ダブルの不足〟が生じているのが主要因です。
このことについては 1/15付に本ブログでも触れていますが、私自身 昨今の社会状況(情勢)をみたときに、かかる「福祉避難所」の役割は非常に大きくなっていると認識する中で 現下の能登エリアの現状については非常に憂慮の念を深めている一人です。
 
「福祉避難所」とは、災害時において 障がい者・高齢者 さらに乳幼児や妊産婦等の要配慮者のうち、一般の避難所では生活が困難と判断される方々が安心・安全に避難生活が出来るよう、必要に応じて開設される避難所です。
各自治体においては、域内の福祉施設等を福祉避難所として指定し イザというときにはそこへ避難していただくこととなっています。いわゆる「二次避難」のシミレーションです。
 
 
 
 
 
[参考]長野市の福祉避難所について
       ↓
 

福祉避難所

長野市

 

 

 
 
現下の避難のシミレーションにおいては、被災された方々は 一旦近在の避難所に避難していただき、そこで 保健師などの関係者の判断により「福祉避難所」へ移動していただくこと(二次避難)になっています。
私は この〝二重手続き〟自体がいかがなものかと思っているところではありますが、それを別にしても いま現在の能登エリアにおける避難所の状況は〝受け皿自体が2割しか稼働していない〟とのこと…これでは災害弱者への適切な支援が充足されることは至難であり、現地の窮状はいかばかりかと思うところです。
 
一方で、支援の対象となる いわゆる災害弱者の方々においても、避難についての課題を抱えておられることが伝えられています。
現在 主たる被災地となっている石川県においては、被災者に対し 近在で被災に無い場所の宿泊施設等へ一時的に移っていただく「二次避難」を促していますが、それに応じる被災者が全体の2割程度しか無いとのこと。
そこには、住み慣れた場所を たとえ一時的でも離れたくないとの情緒や、家財の管理(盗難)の心配 また仕事やペット問題などの抜き差しならない要件があるとのことですが、他方 これは心療内科的な視点で「リロケーションダメージ」への懸念(心配)があるそうです。
 
「リロケーションダメージ」とは、急激な環境変化に適応できずに 心身に不調をきたす状態のことです。
高齢者においては 慣れ親しんだ田舎暮らしから施設などの異環境に移ることで、それが認知症やうつ病の引き金となってしまう。
また 障がい者においては(異環境に移ることで)パニック障害や自傷行為など、デリケートな日常生活に大きな支障を来(きた)してしまうことになることがあるそうなのです。
現場の中継では、障がい者の方々が行き場を失ない 壊れ傾いた状態の施設に留まっている様子が伝えられ、心を痛めたところでありました。
(ただ このことについては、二次避難所の損壊とは別に 障がい者さんらの他への適応にそもそもの課題があることも また現状ですが)
 
 

 
 
 
 
 
このように、今回の「令和6年能登半島地震」においては 最も手を差し伸べるべき「震災弱者」に対する支援が、その大義と裏はらに遅滞していることがクローズアップされることになっています。
そのうえで今回の震災は 今までの災害とまた違った難儀さを有していること、社会インフラの破断により避難生活も長期化の様相となっていることから、前掲の災害弱者支援は 今後なお一層顕著になってくることが憂慮されます。
 
また 他々方、特に福祉人材の不足に鑑み 周辺自治体の福祉職員を派遣する動きがありますが、ただでさえ慢性的に不足する人員を動かすことは 派遣する域内の人材不足を招くことにもなり、そこに抜本的な問題も感じさせられています。
こういう〝イザというとき〟に、わが国の介護・福祉の悪しき(慢性的な不足)状況を再認識せざるを得ないところです。
 
 
・・・・・・。
これまでも触れているとおり、災害からは避難できたものの その後の状況によっては「災害関連死」に陥る人たちが出ることが憂慮されています。
そんな中「福祉避難所」の未達状態は、今後の被災者支援の行方にとって大きな不安材料でありましょう。
このままの推移のうちに 支援を受ける人も支援する人も〝共倒れ〟にならぬよう、自治体任せで無く 所管省(厚労省)の早期のテコ入れが求められるところです。
 

 

 

 


令和6年能登半島地震 避難所に見た〝違和感〟

2024-01-21 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、発災から20日余りが経過し、未だ被害の全容が明らかにならないまま 被災者の方々は不自由な避難生活を余儀なくされています。

とりわけ、住む処(ところ)を失なってしまった被災者については 域内の学校施設等の体育館等に着の身着のままに身を寄せ 日々を凌(しの)いでおられることが報じられ、見ているこちらまで心が痛むところであります。

 

そんな中 数日前から私は、避難所の様子を映す映像を見るにつけ ある違和感を禁じ得ませんでした。

そらくは域内の学校の体育館と覚(おぼ)しき避難所。そこには多くの被災住民の方々が身を寄せておられます。

で、その映像を見るにつけ、感じられる違和感は…。

 

 

 

被災者の方々の布団の殆(ほとん)どが、床に直(じか)に敷かれており、いわゆる〝雑魚寝状態〟となっているのです。

こちらの画像も同じ。各スペースの敷布団は、床に直に敷かれています。

 

 

 

 

これらを見て、私は思いました「なぜ段ボールベッドが設置されていないんだろう?」

「段ボールベッド」は、過去の大災害の教訓から 地域の避難所に常備されるようになっている簡易ベッドです。

軽量かつ収納が容易で 見た目より丈夫で寝心地も(床に直より)悪くない段ボールベッドは、避難所におけるマストアイテムとしてクローズアップされており、最近の災害においては 避難所設営と同時に設置されるべき必需的存在となっています。

 

 

 

段ボールベッドの設置により、床から数十センチの高さが確保でき、それは いわゆる〝底冷え〟の軽減・また 床から舞い上がる埃(ほこり)の吸い込み軽減・さらには 主に高齢者の〝起き上がり〟が容易にできるなどの様々なメリットがあることから、とりわけ高齢者には早速の支給(設営)が求められるところです。

 

ところが 能登の避難所の映像を見る限り、現時点で 段ボールベッドが普及している様子が見られない…これはおかしいと思わざるを得ないところでありました。

と 思っていたら、その後のニュースで この件についての〝後手対応〟が報じられることとなり、歯がみさせられることとなったのでありました。

どうやら、被災地の自治体と業界団体との連絡が滞ってしまったようなのです。

 

 

 

 

報道によると、被災地となった石川県は 災害時に段ボールベッドを提供してもらう協定を、名古屋市の業界団体と結んでいたとのことです。

ところが実際には、輪島市や珠洲市(すずし)など 被害の大きい6市町の指定避難所248か所に対し、発生から1週間が経(た)っても この団体から段ボールベッドが供給されていませんでした。

このことについて業界団体は「石川県の依頼で発送する取り決めだが、連絡が無かった。」とのことで、それについて石川県は「段ボールベッドの手配は 国に依頼した。」とのこと。

その後、最近になって国から業界団体に要請があり 発送の運びとなっているそうです。

このチグハクな対応は、いったい誰のせい とすればいいのでしょうか。

業界団体は、県の指示待ちで動かず(百歩譲って動けなかった)・県は国に投げた(頼んだ)のでそっちの裁量で手配してくれ・で、国は国で 忘れていたのか手が回らなかったのか…。

いずれにしても、泣かされたのは 一番に手が差し伸べられるべき被災者の方々でありました。

 

このことについて、その〝タライ回し感〟に絶望すると同時に、そもそも自治体で備蓄していなかったのか疑問を抱かされたところです。

災害が起きてから名古屋市の業者に依頼?途中のインフラ(陸路)が途絶していたらどうする?空路?業者が避難所の住所ごとに配送?それとも県庁に届いてから避難所に仕分け?

順調に依頼がされたとしても、時間的ロスは少なくないところでありましょう。

「段ボールベッド」については 少なくとも地域ごとに適当数が備蓄されているべきであり、被災者全員とまではゆかないまでも、せめて高齢者などの社会的弱者には 避難所入りと同時に供給されるような体制ができていなければならないでしょう。

長野市においては、市内に遍在する「災害備蓄庫」に それぞれ段ボールベッドが備蓄されており 石川県のような後手にはならないことになっていますが、そもそも〝地震多発エリア〟とされる能登半島の自治体が こんなことになっているとは…見通し(予測)が甘かったとの誹(そし)りは免れないところでありましょう。

 

まだまだ、これからも続く 厳しい避難生活。

そのうえで 従前も触れましたが、被災後1~3ヶ月のうちには「災害関連死」が急増する悪しきパターンが懸念されることになっています。

各避難所には、一日も早く段ボールベッドが届けられ せめて〝雑魚寝〟から改善が為(な)されるよう願うばかりです。

 

このように、各避難所の模様(状況)は 対岸の火事ならぬ「他山の石」としなければなりません。

課題が見える分、全ての者が自分事と捉えることが期されています。