倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

令和6能登半島地震「中学生の集団避難」への評価と、物事の成否を決めるのは「人」と「組織」との実感

2024-01-18 | 日記

よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、能登半島エリアの方々に甚大かつさまざまな様態の被害を与えることとなり、それ(被害)は 時間経過と共に膠着(こうちゃく)しているものもあります。

とりわけ、地震や火災 それに津波などにより住むところを失なった被災者家族の方々は、着の身着のままで避難所に逃げ込み それから今もそこでの(避難)生活の継続を余儀なくされています。

この〝避難生活〟については、非常に残念ながら 大規模な災害においては欠かざる要件となっているものですが、今回の「令和6年能登半島地震」においては この如何(いかん)ともし難い状況に際し、これまでにない取り組みがされ 私だけでなく社会全体が評価し、その推移を見守ることになっています。

 

輪島市の中学生を対象にした「集団避難」です。

これは、被災の大きかった輪島市においては多くの住民が一時避難所になっている小中学校の体育館を現在も利用している(利用せざるを得ない)状況にあり、また施設の損傷も激しいことから学校としての機能を果たすには厳しい状況であることから、生徒らの学習の場を確保するためには他所(たしょ)への集団避難しかないとの判断の下で行なわれたものです。

実施については あくまで保護者の同意を得た生徒・本人がその意向を示した者に限られましたが、最終的に輪島市内の全3校401人のうち、希望した 1年生73人・2年生81人・3年生104人、計281人が 近市の白山市内にある「青年の家」や「少年自然の家」を拠点に生活し、同施設や白山市内の学校施設で学習に励むとのことであります。

 

 

 

 

この「集団避難」過去には 2000年に起きた「三宅島(東京都)噴火」で全島避難となった際に、小中高生約360人が都内あきるの市の高校施設で寮生活をしたことがありましたが、いわゆる本土での災害で実施されるのは極めて異例とのことです。

この取り組みには、輪島市教育委員会 とりわけ今の小川教育長の強いリーダーリップ(英断)があることが伝えられて(伝わって)います。

 

 

 

 

報道によると こちらの小川教育長は、かつて小木中学校(能登町)の校長を務めていたときに「東日本大震災」を目(ま)の当たりにし、それをきっかけに「防災教育」の大切さを再認識し、以後 学校を挙げてハザードマップの作成や津波の避難訓練を実施してきたそうです。

そんな、災害に対する意識の高い小川氏が教育長となってから発生してしまった大震災ですが、氏は そんな窮地においても、児童生徒の学習環境を如何(いか)にして整えるべきかを思案したうえで「集団避難」を苦渋の選択とし それを石川県教育委員会に打診したうえで実現したとのことであります。

ややもすると保守的・旧守的といわれる教育行政において、過去に例の無い「集団避難」を短期間で判断し実行に移すというのは、並大抵のことではなかったことでありましょう。

その(集団避難の)具体的な計画・保護者や教職員への説明と理解を得ること・結果への責任等々 事業実施に向けてはいくつものハードルがあったと思いますが、その全てを小川教育長は一身に背負い 実行につなげていった。

この判断(英断)は、輪島市教育行政の長(ちょう)としての「子どもたちへの責任」に他ならず そこに小川教育長の強い意向を感じ取るところです。

そのうえで氏は 英断を余所(よそ)に「子どもやご家庭に 大変な選択をさせてしまったことをお詫びする」としたうえで「輪島市に残る選択をした生徒の学習環境を整える」と全体責任を全うする考えを強調したことが伝えられていました。

 

私は、これこそが「行政責任」の表れではないかと高く評価したところです。

被災により現場が混乱している中においては、目の前の事(こと)の対応に追われるだけで 先を見通した判断はできにくいものです。

ましてや、前例の無い取り組み それも児童生徒や保護者に直接に影響の出るかもしれないことを遂行することは、公僕の者が最もやりたがらないものです。

ましてや「無事これ名馬」を標榜し〝保身〟を第一優先とする者(公僕)はなおのことです。

しかし それを、批判やリスクを恐れず断行した輪島市教育行政の英断。

そこには(前掲のとおり)小川教育長の経験と強い意志があったことは言うまでもありません。

自分の立場(保身)を顧みず「とにかく 子どもたちのために何が最善で、われわれ大人は何を為(な)すべきか」だけに注力しての実行力。

これこそが、教育行政かくあるべきを体現したものと思うところです。

 

 

 

 

・・・・・・。

さて このことに比して、ジャンルは全く異なるものの「人・組織」が為(な)した〝対極の悪しき行為〟が報道されています。

従前にも触れましたが、和歌山県のトンネル(県道)で コンクリートの厚さが不足するなど施工不良が見つかった問題で、施工を行った建設会社が17日に会見を行ない、社長らが一連の問題について謝罪したことが報じられていました。

 

 

 

問題となっているのは和歌山県の串本町と那智勝浦町の町境をつなぐ県道のトンネル「八郎山トンネル」です。全長711mのこのトンネルは、地震などの災害時には、海沿いの国道42号の迂回道路として重要な意味合いを持つ県道として整備中で、トンネルは一昨年の9月に完成し 昨年12月に供用開始の予定でした。

しかし、完成後に行なわれた照明の設置工事で 作業員が(照明を)設置しようとアンカー用の穴をあけたところ、トンネル全長の約8割に「空洞」があり、さらに調べてみると 本来の設計なら必要な30cmのコンクリートの厚みが 最も薄いところで僅か1/10の「3センチ」しかなかったことが判明したのです。

トンネル工事は和歌山市内の企業のJVが手がけ、事業者は完成後「覆工コンクリートの厚さは設計以上に確保されていた」という内容の書類を提出しましたが、その後の聞き取りで「検査でコンクリート(厚)が薄いことは把握していた」と回答し、書類を設計値以上に書き換えたことを認めたとのことでした。

さらにその後、JVに参画した会社で 驚くべき実態が明らかになったのでした。

事業者(A社)によると、今回のトンネル工事を担当した現場所長(B所長)は社内でも経験が豊富で〝トンネル工事と言えばこの人〟と称される“敏腕社員”だったとのこと。

B所長はヒアリングに対し「覆工コンクリートの厚さが確保できないことを認識しながら、本社に相談することなく工事を進め 数値を偽装して検査を通した」と回答。

さらに 現場の従業員へのヒアリングでは「作業所長の判断は絶対」とか「とりわけ B所長を超えて内部通報はできない」との回答が大半だったということでありました。

また 会見で公表されたコンプライアンス委員会の提言書によると、ヒアリングで現場所長は「手直しをすれば工期に間に合わなくなる。赤字にしたくない。1次覆工で強度は保たれているのでトンネルの安全性に問題はないと判断した。そもそも 覆工コンクリートは化粧コンクリートのようなもので、厚さが足りなくても問題ない」と話したということです。

さらに「何より 自分はトンネル工事の専門家であり、本社に相談してもどうなるものではない」と回答したというのです。

 

これ(B所長の発言)が事実であるとするならば、何という独善・何という利益優先主義でありましょう。

落盤という最悪のケースを全く念頭に置かず、自社の利益と自分の立場を最優先した 人命軽視の最も許されざる判断と言わざるを得ません。

また このA社においては、かかる最悪の判断があり もしかしたら人命に関わるかもしれないのに、このアホ上司に対して「それは違うんじゃないか」と言えない体質があった。

これは 見方によっては共同正犯であると断罪されても仕方のないところでありましょう。

 

 

この2つの事例。

自らの職責において「子どもたちのために」を最優先して集団避難を決断(英断)した 輪島市の教育長と、人命がどうなろうと利益と自分の立場を優先してコンクリートをケチった会社の作業所長…この両者の〝認識の違い〟は、まさに雲泥の差といえるところであります。

このように、社会の中では「守るべきものは何か」との価値感によって 人の行動は分かれてくると思います。

そしてそれが 組織の中で判断されるときには、組織全体の体質のようなものがクローズアップされることになります。

言うまでも無く、為(な)すべきことは前者でありましょう。

当事者として、いわゆるエンドユーザー(この場合は子どもたち)の利益のために最善を尽くすべき。そのためにあらゆる可能性を求めて努力してゆこう。

この心根こそが、厳しい状況であるからこそ発揚されるべきであり、そこからの真摯な行動は 必ずや衆人の理解を得られることになることと思います。

 

それに比して、片やの〝独善・保身行動〟は論外。

ところが、得てして娑婆(しゃば)では こちらの悪しき価値観で動く者が多いことに嘆息(たんそく)させられているのも また事実であります…。


阪神淡路大震災から29年が経過…能登半島地震の被災者への「共感」

2024-01-18 | 日記

この日 1月17は、あの「阪神淡路大震災」が発生した日。今年で29年を迎えたところでありました。

被災した中心的都市である神戸市をはじめ、関係する多くの地域で鎮魂の灯が点(とも)され、犠牲者への追悼と回顧の思いが巡らされたことが報じられていました。

そして…ことさらに今年は、よもやの あの大震災を思い出させるような地震被害が他所(能登)で発生、この未曾有の出来事を通じて 人々は思いを一(いつ)にすることともなったのでした。

 

 

 

 

29年前の1995年(平成7年)1月17日5時46分、兵庫県沖の明石海峡を震源として マグニチュード7,3の大地震(兵庫県南部地震)が発生し、阪神・淡路エリアに甚大な被害を及ぼしました。

高速道路の高架が倒壊するという にわかには信じ難い映像が流され、また 白馬村からのスキー客(復路)を乗せた夜行バスが、落折した高速道路の架上で あわやのところで転落を免れているところも配信されていたのが 今も強く印象に残っています。

 

 

 

 

M7を超える大きな揺れは、家屋といわずビルといわず あらゆる建屋にも大きなダメージを与え、神戸市の市街でも多くのビルが倒壊している様子が伝えられていました。

 

 

 

また 発災時刻が朝であったことから、朝食の支度のために多くの家庭が「火」を使っていたこともあり、被災地のあちこちで火の手が上がり それが被害を大きくしたことも併せ伝えられていました。

 

 

 

 

・・・・・。

あの大震災から29年。あのときに 衝撃をもって見させられることとなった被害の状況を、またも 同じ時期に目(ま)の当たりにするようになることなどとは、誰が想像したところでありましょうか。

またも、私たちの平穏な社会生活に大きなダメージを与える地震:令和6年能登半島地震が 時(とき)を経て今年の正月/それも元日に、再び三度(みたび)の形で発生したのでした。

 

この日の 阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂の集いは、同時に 今まさに被災の窮状にある能登半島の被災者の方々への お見舞いと激励の形を成しておられたことが報じられていました。

 

 

 

 

そのサブタイトルは「共に」…当時 未曾有の大災害となった地震被害を経験した方々が、同じ被災者としての 能登半島の(被災者の)方々に思いを寄せ、かつての自分たちと同じ境遇になってしまったことに「共感」の思いをもっておられることが伝わってきます。

 

 

 

 

慰霊会場では、竹や紙で作った灯籠を囲み 関係する方々が手を合わせておられたことが報じられていました。

そこには、阪神淡路大震災の犠牲者への追悼と、今まさに窮状にある能登半島での犠牲者や被災者の方々への同様の思いが込められていたことでしょう。

 

 

 

 

慰霊会場には「寄せ書き」が掲げられ、多くの方々が 能登半島の被災者へ「激励の一言」を記(しる)しておられました。

 

 

 

 

奇しくも 共に年の初めに起きた大地震による甚大な被害、その惨状を見た阪神淡路大震災の被災経験者の方々は とても他人事で済まされない思いがしたところでありましょう。

その 心からなる同情(心)が「共感」として共有され、それが この日の慰霊祭で「共に」の言葉となったと思います。

 

なにいう 私たち長野エリアに暮らす者も、6年前に「令和元年東日本台風」で被災した経験をもつところであり、それらをもって やはり今回の震災の被災者の方々に「共感」し、被災地の窮状を慮(おもんばか)りながら 一日も早い復旧・復興を願うところです。


令和6年能登半島地震 =地殻隆起・液状化がもたらす通信遮断や下水問題=

2024-01-17 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、時間経過と共に 人的・物的ともに様々な被害の状況が伝えられてきており、私たちは一様に胸を痛めています。

被害(被災)状況については 報道等でご案内のとおり、家屋の倒壊・土砂崩れ・津波による建屋破壊など いわば目に見える被害はもとより、時間経過が進むうちに 目には見えないものの私たちの社会生活に欠かせない社会インフラの被害が 厄介な「難題」として被災者の前に横たわっており、多くの被災者の(避難)生活にとって 不自由に輪をかける状態になっていることが伝えられています。

その(難題の)代表格が「通信インフラ障害」と「下水道の途絶」ではないか と。

このことについては報道各局も 被災地の深刻な問題として取り上げています。そして それらの被害は、今回の能登半島地震の 悪しけき特徴として挙げられています。

 

 

 

 

ご案内のとおり 今回の「令和6年能登半島地震」は、日本海に面した(突き出た)半島の全域を揺るがす地震となりました。それ(地震)は、建屋の崩壊など いわゆる地表面における多大な被害をもたらすことはもとより、地下(地中)における地殻の大規模な変動により 数メートルに及ぶ隆起が起きるなど、これまでの地震を凌駕する悪しき自然現象に見舞われています。

 

 

 

さらに、主に沿岸部のエリアでは 土地の基礎部分が砂地であり、そこに大量の流体(水)が混入・攪拌(かくはん)されることにより「流動化現象」が発生、土中がうねり ありとあらゆるものが傾き崩れるような「大規模かつ難儀な被害」を及ぼしています。

 

 

 

 

そして、これら「隆起」と「流動化現象」が、被災エリアの生活に欠かせない 通信インフラと下水インフラに大きなダメージを与えていることが伝えられ、見ているこちらまでも頭を抱えたくなる事態となっているのです。

従前には本ブログでも触れましたが 奥能登をはじめとする〝孤立地域〟では、テレビはもとより インターネットなどの通信網が途絶し、物資だけではなく 情報面でも孤立を極めていることが伝えられています。

ムラの識者のIさんに訊くと「これは通信業界で定石の知識だが、基地局が被災等で機能しなくなると、その基地局範囲のインフラ(スマホやネット)は使えなくなってしまう」とのことです。

この(災害の)場合は、電波を受信する場所の基地局の電源が切れたりアンテナが破損したりすると通信インフラは不通に。

とりわけ 土砂崩れ等で孤立した地域は、修理の機器材や人員の投入が難しい状況にあることから 直ちに復旧するのは容易ではないだろう とのことです。

 

 

 

 

この状況に際し、後の報道によると 大手通信社(NTTドコモ・KDDI/AU)は6日から共同で、船舶上に携帯電話基地局の設備を設置した「船上基地局」の運用を開始しているとのことです。

「海底ケーブル敷設船」に携帯電話基地局の設備を設置し、衛星アンテナで受信した電波を船上から発信することで 陸路が絶たれていることから復旧が困難な石川県輪島市の一部沿岸エリアの復旧を図っているとのこと。

 

 

 

 

ただこれも、船上基地局から電波の届く範囲は数キロと限られていいることから 直ちに全域の(通信インフラの)解消というワケにはゆかないようですが、いずれにしても業界も人智を尽くして通信インフラの回復を図っていることが伝えられています。

で…逆にいえば、既存(地上)の基地局が損壊されると 一気に情報社会から取り残されてしまう〝現実〟を見せられた感、私たち〝スマホ依存社会〟の者たちにとっては、何というか生命線を断たれてしまうかの 影響(被害)の大きさを実感させられるところです。

万が一、自分たちの暮らすエリアで そんなこと(通信インフラ途絶)になった日には、さまざまな面で深刻な状況に陥ることは自明であり、それだけに 今まさに〝情報孤立〟に陥っている被災者の方々の不安な心情を思うとき、真に同情に堪えないところです。

 

 

他方、これも代え難く 社会生活に重要不可欠な社会インフラ「下水道」についても、能登半島の被災地の窮状はいかばかりかと こちらも強い同情を禁じ得ないところです。

ご案内のとおり 下水道については、排泄物を流すためには「自然傾斜」が不可欠です。

これ(傾斜)が無かったりすると 排泄物が詰まるなどして流下が儘(まま)ならなくなり、その時点で 公共下水道は使うことができなくなってしまいます。

 

 

 

 

ところが、今の被災地の状況はどうでしょう。

前述のとおり、地盤隆起や液状化現象により 土中はぐちゃぐちゃの状態になっており、下水道の自然傾斜どころか 水平すら保てない状況になっていることでしょう。

 

 

 

 

今回の「令和6年能登半島地震」は、被害状況によっては その量や質ともに、過去の大きな自然災害をも上回る被害ではないかと言われ始めています。

通信や下水道の途絶、この全く別モノの社会インフラの障害は 今後の被災地にとって、ボクシングのボディーブローのように 時間をかけて悪しけくダメージを蓄積させ、被災地(者)を更に困窮に追い込む要因となることが憂慮されています。

関係者・関係機関においては、あらゆる知見を集めて被災者に注力し 一日も早いインフラ回復が成されるよう願うばかりです。

 

 

ところで、さきのニュースで 自衛隊が海外の軍と共同で「降下訓練」を実施したことが報じられ、このことについて識者Iさんと認識を共有しました。

この訓練は、陸上自衛隊第一空挺隊が 上空の飛行機からパラシュート降下したり、双発ヘリにジープなど車両を吊り下げ降下させるもので 自衛隊の年頭行事となっているそうです。

このニュースに触れたとき、私とIさんは「これって…」と顔を見合わせました。

 

 

 

 

これこそ 奥能登で孤立を極める被災地上空に展開し、精鋭の自衛隊員や ジープのみならずユンボなどの掘削機械を吊り下げて降ろし、たとえ道路が寸断されていても「空路」で機器材と人員を投下し、直ちに救援・復旧作業に当たれたんじゃないか。

既に自衛隊員は投入されており「それはそれ これはこれ」との〝別モノ〟ではあろうと思いますが、彼ら(空挺隊)の晴れ姿を映し出す映像を見るにつけ この精鋭たる能力を被災地支援に活かせないものかと 歯がみした二人だったのでした。

 


令和6年能登半島地震 =〝トリアージ〟無き普遍的な被災者(地)支援を=

2024-01-15 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 時間経過と共に被害の実態が見えてくることになり、それに伴い これから間違いなく〝長期戦〟となることが懸念される避難生活が始まってます。

今回の地震災害は、発生が元旦であったことや (能登)半島部分での被災であったことなどもあり、情報量が少ない中で推移しているような気がします。

1月1日の午後4時過ぎに「石川県能登地方でマグニチュード7の地震が発生、1~2mの津波の可能性」との速報が流され 私たちの住む長野エリアでも揺れを体感したところですが、そのときはこの震災が これほどの大きな被害を及ぼすことになることは予想だにすることはできませんでした。

その後 刻々と報じられる被害の模様には、多くの方々と同じに 驚きと嘆きの感を強めるばかりであり、その後の被災地の惨状と避難所の窮状には ただただ心を痛めるところです。

 

現場の混乱と困窮は いかばかりかと存ずるところです。

かかる震災被害が経過する中 被災者の方々は、行政対応も混乱する中で 先ずは生命を維持するべく避難生活を余儀なくされることとなっています。

それらの様子を見聞するうち 私は、万(ばん)やむを得ない中でありながらも 被災者(避難所)対応について、(被災者の)状況によって〝差異〟のようなものが起きてしまっていることを感じ取り そこに問題意識を与えられた感がしたところです。

災害発生後、行政は直ちに避難所を設営し (その状況(現状)は厳しいものではありますが)被災者支援に努めておられます。

一方 奥能登など半島の内部域の地区は、半島特有の限られた道路事情(海沿いの一本道)に起因する 土砂崩れによる幹線道路の寸断による「孤立化」が発生し、物資や情報そのものが途絶する中 非常に厳しい避難生活を強いられていることが伝えられています。

 

 

 

これら孤立域については、さらに時間が経過した後に 自衛隊が人力(じんりき)で分け入るなどして救援に入り、遅蒔(おそま)きながら支援の手が伸べられることになっています。

この、孤立地域や または避難所に依(よ)らず在宅生活を余儀なくされている方々への支援、これが後手になっている(ならざるを得ない)状況は〝避難所に行かない(行けない)人は支援が遅れる〟かのタイムラグ(遅滞)感を禁じ得ないところ…ここに問題点を投げかけられた感であります。

 

そして…これが 私が〝差異〟として感じさせられたところなのですが、同じ被災者でありながら 避難所での共同生活に馴染(なじ)めない障がい者の方々の避難生活の「公助」が間に合っていない現状が伝えられ、ここにも問題を与えられた感でありました。

 

 

 

障がい者には 身体・精神・知的がありますが、身体障がい者さんについては 移動困難などのハンディが、精神・知的障がい者さんについては 災害のショックに加えて慣れない避難所生活に上手く適応できずに、大声を上げてしまったり突発的行動に出るなどして それが〝迷惑行為〟と誤解されて退所を求められるなど、同じ被災者でありながら避難所に居(い)られない(居ずらい)という不条理な〝現実〟があるところです。

このため 障がい者支援団体などにおいては、一度(ひとたび)被災しても 直ちに避難所に駆け込むことができずに 被災した状況のままの施設に留(とど)まったりせざるを得ない状況にあることが今回の地震においても伝えられており、実質的に支援が後回しにされている実態にあることが慚愧(ざんき)に堪えないところです。

 

「トリアージ」という行政システムがあります。

これは 災害などの有事の際に怪我人などが多発したときに、それぞれの怪我の状態に応じて治療などの対応に序列を付けて搬送するもので、これは 限られた医療機関(ベッド)を効率的に活用する善策です。

 

 

 

この(トリアージの)事例は 今回の話題(避難生活における差異)に共通するものではありませんが、こと〝序列〟という括(くく)りにおいて準(なぞら)え 私が言いたいことは、被災者の様態によって 避難態勢に差異(序列)があってはならないということです。

「この被災者が先、こちらの被災者は後(あと)で」というような〝被災者対応のトリアージ(序列)〟はあってはならない。

無論 冒頭に述べたとおり、被災地においては 行政職員など関係者が不測の事態に向き合い、被災者対応に全力を尽くしておられるところでありますが、そのうえをもっても生じてしまっている 避難生活の差異…このことについて私たちは、当然に起こり得るものとして想定し対応できるようにすべきと思うところです。

 

具体的には「福祉避難所の強化」これに尽きると思います。

避難所については、一義的に いわゆる避難所に来ていただき、その後 支援の必要な方々には「福祉避難所」に移っていただくことになっていますが、この際は発災後直ちに「避難所」と「福祉避難所」を並行して開設し、該当される方々はそこへ直行していただく。

予(あらかじ)め〝受け皿〟を定めて即応することが求められているのではないかと思考を奨(すす)められたところであります。

 

 

[追記]いきなり支援金1000億の不思議

過日、岸田総理が被災地に自ら足を運ばれ 被災地の現状を視察し後、記者団に対し「被災地の生活再建に向け、予備日を1000億円 供出する」と表明されました。

 

 

 

このことについては「総理が自ら現地を訪れたうえでのご英断」と高く評価する声がありますが、このニュースを耳にした私は「大幅増額されたからイイじゃん」とする声に同調する一方、別の意味で首を傾げざるを得ませんでした。

これまで国(政府)は、今回の地震に際し「予備費を47億円 供出する」としており、このことについては「ウクライナ支援(対NATO)より少額か」と揶揄(やゆ)されていましたが、それが 総理が現地に行った途端に、倍増なんてもんじゃない増額です。

これを聞いたとき 私は「それじゃあ、さきの47億円の試算は何だったんだ?」と思わざるを得ませんでした。

おそらく、霞が関の官僚がソロバン弾いて「こんなもんでどうでしょう」と額を出して それを政治家が了としたのでしょうが、その後に この跳ね上がり…テキトーとは言いたくありませんが、あまりに違う支援額の算出には 別の意味で驚いたところです。

で あったのなら、もっと早く実態を把握し 状況に合った(支援金の)算定が行なわれて然るべきと思ったところ…公金の拠出根拠は何ぞや? と、不可思議な思いがしたところでありました。


令和6年能登半島地震 ~災害で助かった命が失われる〝災害関連死〟の非情~

2024-01-13 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 時間経過と共に被害の実態が見えてくることになり、それは即ち被害拡大という形で表(あらわ)されることとなっています。

従前にも述べましたが、地震そのものの犠牲者は 被災の瞬間には相当数が発生し、その数は(非常に残念ではありますが)「発見」という形で(その数が)計上されることになります。が、災害の直接的な犠牲者は増え続けることはありません。

ところが(そのうえで) これは 増して非常に残念なことでありますが、発災後に その数(死者数)が悪しけく右肩上がりで増え続けている実態がある…これが「災害関連死」であります。

「災害関連死」とは 災害によって直接的・物理的に生命を脅かされた「事故死(水死・圧死等)」ではなく、災害によって負った傷の悪化や 避難生活中の身体的・精神的負担によって起きた疾病が原因となって死亡するケースのことをいいます。

いわば、災害を逃れ せっかく助かった生命が その後の(避難)生活の中で失われてしまうという、残念極まりない「死」なのです。

 

 

 

災害関連死が具体的に定義づけられたのは、1995年の「阪神淡路大震災」がきっかけとのこと。法的な定義は「災害による傷病の悪化や避難埼葛(きとう)における身体的負担によって死亡する」というケースの中で『災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づいて災害が原因で死亡したと認められたもの』と定義されています。

 

私だけでなく 多くの方々が、今回の「令和6年能登半島地震」において連日報道されている被災状況のレポートに接する中で、避難生活や避難所の劣悪な状況を見聞しては胸を痛め そして、発災後2週間余りが経過する中で ここのところ連日に亘り「災害関連死が▽名」と報じられていることに慚愧(ざんき)の念を深めておられるところです。

「せっかく大災害の難を逃れたのに、その後になって むざむざ死ななければならないのか…」

 

「災害関連死」は、過去の大災害の中でも数多く発生していることが記禄されています。

その傾向については、持病などの「既往症者」が多いこと・高齢者が多いこと・死亡時期は発災から1ヶ月から3ヶ月で多く発生すること・原因は 避難所生活が3割/避難中の疲労が2割/病院機能停止が2割 というようなもの(傾向)だそうです。

具体的な災害関連死の事例は下記のようなものが挙げられています。
 病院の機能停止による初期治療の遅れや既往症の悪化
 交通事情等による初期治療の遅れ
 避難所等への移動中の肉体・精神的疲労
 避難所等における生活の肉体・精神的疲労や災害のストレスによる肉体・精神的疲労
 救助・救護活動等の激務 等

そして「災害関連死」は、過去の災害においても多発していることが判ります。いくつかの事例が挙げられています(「東日本大震災」については、分母(被災者の総数)があまりに多いため割愛します)

▼熊本地震(2016年/平成28年発生)

熊本地震での死者数の273人のうち、実に8割に上る223人が「災害関連死」でした。

▼新潟県中越地震(2004年/平成16年発生)

新潟県中越地震でも、死者数68名のうち8割に及ばんとする52名が「災害関連死」でした。

 

このように、過去の大きな災害においても「災害関連死」は、少なからず というよりも、非常に多く発生していることが数字に表(あらわ)されています。

(前掲のとおり)災害を逃れ せっかく助かったのに、その後の(避難)生活の中で死に至ってしまうことは、かえすがえすも残念極まりないところです。

 

 

で、災害関連死を防ぐためには「K・T・B」の3要素が重要であることが言われています。

これは「トイレ・キッチン・ベッド」の略とのこと。

汚いトイレを避けて清潔なトイレにすること・冷たく栄養の不十分な食事を避けて滋養のある暖かい食事を提供すること・床での雑魚寝を避けて就寝環境を整えること を指(さ)しています。

 

 

 

 

で、この「災害関連死を防ぐ3要素」を 今回の「令和6年能登半島地震」に当てはめてみると…それが尽(ことごと)く満たされていないことが感じられ、それは即ち 今後も被災地(能登半島エリア)で災害関連死が増え続けるのではないかとの懸念材料になるところです。

例えば「T」のトイレ問題。

被災地においては上下水道の寸断に起因する断水はもとより いわゆる生活用水自体が不足している状況となっており、それはすなわちトイレ環境の悪化の要因となっています。

日頃のトイレが使えない→仮設トイレに利用が集中するも数が限られている→生活用水が不足し清潔な洗浄ができない→汚れて不衛生な環境に陥る→トイレの回数を減らすために水分摂取を控える→脱水症状や血中濃度髙による梗塞(こうそく)・口腔内の水分(唾液)不足による(口腔内の)細菌増加による誤えん性肺炎等の疾病増加 との〝負のスパイラル〟に陥る。

しかして、今回の被災地(避難所)のトイレ事情はどうか…報道等によると、液状化現象等で上下水道インフラの被害はことのほか大きく、それに伴い 避難所のトイレも劣悪を極めていることが伝えられています。

また例えば「K」キッチン(食事)問題

被災後の被災地や避難所では、一定期間の食事は固く冷たい非常食を余儀なくされ 特に高齢者は嚥下(飲み下し)が難しいことから十分な口径物の摂取ができにくい状況に陥ります。また、食事内容も偏(かたよ)ったものにならざるを得ず、それは高血圧や循環器系疾患につながりやすくなります。

それに、そもそも災害のショックで 食欲そのものも萎(な)えてしまう人も少なからずおられることでありましょう。

ただ今回の災害でも 各地から炊き出しボランテアが駆けつけてくださり、温かい食事が供されていることが伝えられているのは有り難い限りであります。

さらに「B」ベッド 雑魚寝問題は…。
避難所の状況を見れば、体育館などの床に(直(じか)に)横たわる「雑魚寝」が多く、またマイカー車内での座位での仮眠も少なからずあるとのこと。床で寝ることはストレスや深い眠りにつけない寝不足の要因・また床に近いことで埃(ほこり)を吸引しての肺炎・免疫力低下・呼吸器系疾患の要因となり、座位での仮眠はエコノミークラス症候群による血栓の要因ともなっています。

これらをして非常に残念ながら、能登半島の被災地における「K・T・B」は 未達状況にあることを再認識させられてしまうところです。

 

また 事例として挙げた「熊本地震」や「新潟中越地震」そして今回の「令和6年能登半島地震」の共通点として 発生した場所が中山間地域などのローカルエリアであること、それは即ち  被災地の地勢が不利であること・そこに住む方々の多くが高齢者であることを再認識させられるところです。

高齢者にとって、被災そのものはもとより 避難所生活も非常にキツいものがあるでしょう。

まず仮設トイレ。特に従来型の水洗タイプは便器の下部がタンクになっていることから トイレ内に入るまでに大きな段差があり、足の悪い人は難儀であること・また(従来型の)多くは「和式」であることから使用に耐(堪)えられないこともあろうと思います。

また 血圧などの常備薬を飲み続けなければならない人は、災害によって それら摂薬行為が途絶することは、医療の途絶と同じ。直ちに健康被害につながることが懸念されます。

また(前掲の)口腔内の不衛生からくる肺炎・食欲不振や運動不足など、高齢者にとっては大きなハンディを負わされる環境に陥っていることも伝えられています。

このことについて、齢(よわい)95才になるオフクロに水を向けたところ「あたしゃ とても無理。もしそんなことになったら、ここで死ぬわ。」と即答されたものでありました。

 

不測の災害によって多発する「災害関連死」何ともやるせない思いにさせられるところであります。

そして、何より問題(課題)なのが、このこと(災害関連死)が 災害の度に発生していること→(発生が)分かっていながら 抜本的な対策が講じられていなかったと言わざるを得ない状況(現実)にあることではないか、と思わされるところなのです。

1995年に発生した「阪神淡路大震災」から約30年、この間 いくつもの大災害を経ていながら、今回の「令和6年能登半島地震」でも次々に災害関連死が発生している事実…事(こと)はここに及んでしまっておりますが、私たちは いま一度、この未達ぶりを反省しなければならないのではないでしょうか。

この〝変わらない状況〟が続けば、いずれ 災害関連死をも「人災」と定義づけられることになることを憂慮する者の一人です。

 

一方、この状況(大規模災害の度に多発する災害関連死)を「防ぎようがない」と〝分析〟する人もおられます。

「地震大国に暮らし、それも中山間地域に特に高齢者が多い状況の中で 地震などの大規模災害が起きれば、その対応にも限界がある。災害が起きても いつもどおりの社会生活や 医療・介護サービスを維持しようったって、それは不可能だ」とのシビアな意見です。それも ごもっともと聞かされるところです。

しかし 私たちは、だからといって努力を放棄するのではなく、さまざまな経験を踏まえ「今度こそ」の意義をもって 減災に取り組むべきでありましょう。

今回の「令和6年能登半島地震」においても、遅まきながら ホテル等への「1,5次/2次避難」が始まっており、高齢者などの社会的弱者を優先しながら「KTB」の環境があるエリアに避難していただくこととなっています。

「対応が遅々とし散発的」と これまで以上に厳しい評価が寄せられる今回の大震災。今後のイイ意味での巻き返しを求めるところです。

 

「災害は いつも課題を 突きつける」

日々の災害関連のニュースに触れるにつけ、思わず詠んだ五七五でありました。

 


令和6年能登半島地震 ~新たな災害の予兆に胸騒ぎが~

2024-01-12 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は 能登半島全域に大きな、そして さまざまな被害を及ぼすこととなっています。

 

震度7の大きな横揺れ(キラーパルス)に伴う建屋の倒壊・夕刻の街に発生した大規模火災・沿岸部を飲み込んだ津波被害・奥能登の集落を分断に至らしめた土砂崩落・そもそも砂地の基礎から発生した液状化現象…これらの災害は、様態が多様である分 実にさまざまな面で被害のトリガー(引き金)となっています。

 

そんな中、ここへきての被災地(被害状況)ニュースに〝新たな災害の予兆〟が包含されるのを耳にし、私自身 何ともいえない悪しき胸騒ぎを覚えるところです。

輪島エリアの山中から流下する河川に「土砂ダム」が、複数箇所で できつつあるというのです。

 

 

 

 

「土砂ダム」とは、主に山中(さんちゅう)を流れる河川の途中に、何らかの事象による堆積物によって流れが遮断され 流下すべき河川水が行き場をなくしてその場に溜(た)まり、時間経過と共に〝ダム〟となってしまうものです。

この「土砂ダム」最初の頃は大したことのない水量ですが、流れ下るハズの河川水が遍(あまね)く溜まることで その貯水量は天井なしに増え、やがて堪えきれなくなった〝ダム〟は決壊し 一気に流れ下った水は堆積物を伴って下流域に大きな被害を及ぼすというものです。

 

 

 

現場の航空写真によると、平時はどうということの無い河川が 地震による法面崩落に伴い堰(せ)き止められたことで「土砂ダム」を成すこととなり、今もそこに流下できない河川水が溜まり続けているとのことでありました。

今後、いつか土石流が発生するのではないかと 強い懸念をもって事態を見守るばかりであります。

 

 

 

 

「土石流」の怖さといえば、私たち長野県民は 平成26年に発生した「南木曽町土石流災害」を想起せざるを得ません。

これは 土砂ダムではありませんでしたが、土石流の怖さを知らされる災害として想起するところです。

南木曾地区の山の奥部で大量に降った雨が 臨界点を超えた瞬間にせきを切り、蛇行させながら形成した沢(梨子沢)を堆積物を伴って真っ直ぐに流下し 下流の集落に大きな被害を及ぼしたものでありました。

 

 

 

 

また、平成18年には記録的な豪雨災害があり、岡谷で土石流が発生したのも記憶に残るところです。

 

 

 

これらの災害で私たちは、土石流の勢いの強さと及ぼされる被害の大きさを思い知らされたものでありました。

 

 

発災後にできつつある「土砂ダム」…これらについては、時間経過と共に蓄えられた悪しきエネルギーが暴発しなければいいがと心底思わされます。。

これらの滞留水については、例えば さきの「令和元年東日本台風」の際に、長野市域(浅川エリア)での排水作業に 国交省の「排水トラック」が活用された経緯もあることから、これらを駆使して強制的に排水するなどし、何とかして水を無為に貯めないようにしてほしいところです。

 

 

 

 

天気予報によると、これから以降も現地では ややまとまった降水(降雪)があるとのこと。

さまざまな被害を生じさせている令和6年能登半島地震、こんなこと(土砂ダム決壊)でも新たな被害の要因とならないことを願うばかりであります。

 


大切なお知らせ ~令和6年能登半島地震への支援~

2024-01-11 | 日記

よりによって元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は、発災から10日余が経過することとなっています。

この間、時間経過と共に被害の状況が徐々に明らかになってきてはいますが、その全容は未だ未詳…日を追うごとに さまざまな様態の被害内容が明らかになってきており、そして(残念ながら)それら被害への対応が追いついていないのが現状であると 私たちは報道等を通じて見せつけられることとなっています。

奥能登の孤立集落の厳しい状況や避難所の窮状も伝えられる中、一方で海岸線の異常な隆起や 輪島市の奥部で「土砂ダム」出現の情報が流れるなど、当地の自然環境に新たな危険(困難)要素が見られるなど予断を許さない状況となっています。

このことについては後日に触れることといたしますが、今日のブログ記事としては「被災地支援(寄付金)」について(既にご案内のところもあるかもしれませんが)私の立場でも改めてご紹介させていただきます。

 

被災地の支援については、実際に現地を訪れて後片付けを手伝ったり炊き出し支援を行なうボランテア支援や 被災地へ食糧や物資等を送る送付型支援がありますが、報道等で伝えられているとおり いま現在は道路状況や受け入れ態勢の未達により、それらの支援は(現地が)受け入れ難い状況になっているらしいことから、ここは イチバン堅実な支援である「支援金(義援金)の寄付(以下/寄付金)」についてご紹介させていただきます。

 

寄付金については、路上で行なわれる「募金タイプ」や 金融機関等を通じて行なわれる「振込みタイプ」が代表的で、また最近は(後述しますが)新しい形で行なわれるものがあります。

そのうち「募金タイプ」については、さまざまな団体や個人が 基本的に善意に基づき行なっておられますが、これには一部 問題も散見されることから、この場では「振込みタイプ」についてご紹介します。

 

と いうのも、本来 善意に基づいて行なわれているハズの寄付金(活動)に〝詐欺〟まがいの行為が散見されるからです。

これら(詐欺の)手口についてはさまざまあるところですが、この(詐欺の)中身については割愛することとし、この場では いわゆる「信頼できる(無難な)寄付の仕方」についてご紹介します。

 

 

 

 

個人が行なう募金については、やはり一番信用がおけると思われるのが「日本赤十字社」に対する募金でありましょう。

日本赤十字社は 今回の令和6年能登半島地震災害による義援金を受け付け、届けられた義援金は被災地の方々の生活を支援するため 被災都道府県が設置する「義援金配分委員会」へ全額を送付するそうです。

寄付先には「被災地全域への寄付」と「地域を限定しての寄付」があるそうです。

どちらの寄付でも 被災地が1箇所の場合、その都道府県の義援金配分委員会へ全額が送られます。被災地が複数箇所の場合「被災地全域への寄付」は、当該の都道府県の「義援金配分委員会」へ 被災状況に応じて配分されるそうです。

いずれにしても、日本赤十字社への寄付が 最も適切に(寄付金が)活かされることと存じます(他にも信頼できる筋があろうと存じますが、この場では 代表的なもの(寄付先)として聞き置いてください)。

 

 

 

詳細は、下記ホームページをご覧ください。

日本赤十字社「令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県)」HP

           ↓

 

令和6年能登半島地震災害義援金|国内災害義援金・海外救援金へのご寄付|寄付する|日本赤十字社

日本赤十字社

 

 

 

 

また 寄付金については、お住まいの自治体が窓口となって受け付けている場合もあります。

私の住む長野市においても然り。長野市が窓口となって「令和6年能登半島地震災害義援金の受付」を行なっています。

 

 

 

詳細は、下記ホームページをご覧ください。

「長野市 令和6年能登半島地震災害義援金の受付」について

         ↓

 

令和6年能登半島地震災害義援金の受付

長野市

 

 

 

 

また この度は、新しい形での被災地支援が始まっています。

被災地自治体に対する「ふるさと納税の代理寄附」です。

 

 

 

これは 他の自治体を支援するために納付する「ふるさと納税」について、相手方(被災地)の自治体(職員)の労力を軽減するために(ふるさと納税事務の)業務を請け負うものです。

このこと(ふるさと納税)により、被災地自治体に 確実に善意が届けられるというものです。

 

ふるさと納税の相手方は「石川県 輪島市」、

 

 

ならびに「石川県 珠洲市(すずし)」です。

 

 

詳細については、長野市のホームページをご覧ください。 

「令和6年能登半島地震災害に伴うふるさと納税の代理寄附」長野市HP

            ↓

 

令和6年能登半島地震災害に伴うふるさと納税の代理寄附

長野市

 

 

 

ご高覧のとおり、私たちは いくつかの方法で被災地支援(寄附)を行なうことができます。

冒頭に述べたとおり、被災地支援にはさままざな方法があるところですが、現場が未だ混乱している現時点においては 前掲の「寄附金」の方法が適切と思われます。

但し これ(寄附金)は あくまで任意であり、ある意味で(寄附する)余裕のある方に限って行なっていただければ と存じます。

実際に行動を起こさないまでも、被災地の方々に心を寄せ 一日も早く日常生活を取り戻してくださることを祈るだけでも、それは被災者支援になる。

私はそう思います。

 


令和6年能登半島地震 =儘(まま)ならない支援=

2024-01-09 | 日記

この日(9日)の長野域の朝は、ことのほか冷え込んだ陽気になりました。

私が気温計のある場所を差し掛かった時刻(6:30AM)でも -6℃を表示していました。

 

 

 

後で聞けば この日の朝の最低気温は-8.3℃だったそうで、まさに刺すような寒さでした。

今冬 初めてともいえる厳しい陽気に、季節らしさを身に染みて覚えると同時に 私たち平常の中に暮らす者と異なり、不測の避難生活を強いられている震災被害者の方々が感じているであろう寒さを思い、切なさを増すばかりでありました。

 

 

 

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、発生から1週間余が経過しています。

元日の くつろぎのひとときに大地を揺るがした地震は、この間 各方面に大きな被害を及ぼし、それ(被害)は 実数が把握されるにつけ、日増しに(被害が)拡大していることが伝えられています。

さきの本ブログでは、7日時点で「死者128名(石川県内)」とお伝えしましたが、それが たった1日が経過しただけで、その数が 9日午前/180名→午後2時/202名と増加の一途を辿っています。

これは、死者数が増えた というよりも、時間経過と共に確認された数(実数)が判明してきたということに他ならず…いわんや、これからも その数は更に増える(さらに実数が確認される)ということでありましょう。

残念に他ならないところではありますが…。

 

他方、これは 私の感覚的なものなのですが、今回の令和6年能登半島地震においては、他の震災に比して 被災地への救助・支援が遅々(ちち)としているような気がしてならないのです。

これは 地震が元旦に発生したということもあり、また 自治体間の支援についても、当該の自治体からの支援要請が無ければ動けないというような不文律もこれあり、日々のニュースでは 被災地の厳しい状況や 避難所の窮状ばかりが伝えられており、実際に支援が行なわれている様子が明らかに目に見えてこないことに 私たち域外の者はジレンマをもって見守るばかりであります。

とりわけ、奥能登エリアに遍在する〝孤立集落〟に支援の手が届いていない状況には、当該エリアが高齢化など社会的弱者が多いことが類推されることから「何とかならないものか」と歯がみする思いを強めているところです。

そして、災害の際には直ちに追鳥刀(おっとりかたな)で駆けつけてくれる「自衛隊」の出動についても 直近での熊本地震に比して大幅に少ない動員数となっており、この状況も 私たちにとって、今の国等の支援の〝物足りなさ〟が実感させられる一因となっています。

 

 

 

また、発災後に措置されることとなった 地震への支援予算について「予備費から 約47億円」が充てられることが報じられました。

不測の震災ゆえに 万やむを得ない措置と思ったところですが…。

 

 

 

震災後の日程でウクライナを訪問した上川外務大臣が現地で「NATO(北大西洋条約機構)の基金に、日本円で約53億円を新たに拠出」を表明しているのです。

このことについては、ジャンル(所管)は全く別ものであり「それはそれ・これはこれ」は理解するところですが、われわれ国民とすれば どうしても〝数字(額)〟で比較してしまうもの。いわんや 目の前で自国民が受けた大規模自然災害への措置(額)と 他国への支援の額の差異(震災支援額の方が低い)ことについて〝感覚的に〟疑問が寄せられています。

 

 

 

 

この、震災対応への〝中途半端感〟はどこからくるのでしょうか。

例えば 自衛隊派遣の〝規模の小ささ〟については、さきの熊本地震は(被災が)平野部で 被害が一様であったことから 一時(いちどき)に大部隊を派遣することができましたが、今回の能登半島地震は、半島の中に点在する集落が個別に被災されていることや、動脈である幹線道路が寸断されていることで 人員や機材を投入しても思うように動けない などの震災の「背景」が異なること等が挙げられており、それだけに 今回の震災対応の難しさを示しているようでした。

 

 

 

[参考]毎日新聞記事

    ↓

自衛隊派遣、増員が容易でない背景 能登半島地震と熊本地震の差 | 毎日新聞

 

 

 

いずれにしても、今回の能登半島地震における被災地や避難所の困窮した状況や その後の行政対応等を見るにつけ、またぞろ〝後追い感〟が否めません。

今回の被災地においても 幹線道路の寸断=集落の孤立に陥り、それはそれで(現下の社会インフラでは)万(ばん)やむを得ない面がありながらも、集落ごとの災害備蓄などの「備え」が不足していたために トイレなど様々な面で支障を来(きた)すようになってしまっています。

また 財政面での政府対応にしても、その都度の「予備費」で対応するなど〝地震大国ニッポン〟の震災対応にしては脆弱の感を否めないところです。

この際は、災害対応に準じた基金または特別会計を設け 今や「いつ どこで起きても不思議に無い災害」に常時体制で臨める布陣を敷くべきではないかと思います。

また、例えば災害備蓄などの「備え」についても、地域の地勢に準じたキメ細かい配備が必要なのではないか…例えば、市でいえば支所単位で備蓄はされているものの もし道路が寸断されれば、そこにさえ到達できずに孤立に陥る可能性がある。このことを 今回の令和6年能登半島地震で見せつけられた思いがしたところです。

 

そんな中でも、今回の地震では 被災のうち「津波による人的被害」が少なかったことが実感されます。

これは、さきの東日本大震災の際の「海辺の地震の際は津波が発生するかもしれないので とにかく高台へ逃げろ!」が教訓として活かされたことの証左であると思います。

このように、僅かずつでも前例に学んできた我々は、今回の地震を更に契機とし 防災・減災に向け取り組んでゆかなければならないと思うところです。

 

 

被災地は未だ多難な様相でありますが…。


令和6年能登半島地震の被害状況に思わされる

2024-01-08 | 日記

よりによって、元旦の夕刻に発生した「令和6年能登半島地震」は、発生から1週間が経過し その被害状況が拡大傾向のうちに報告されています。

消防庁の発表(7日時点)で 死者126名・負傷者513人・住家被害1,507棟と、現時点でも多くの被害が報告されており、この数字はさらに拡大するのではないかと懸念されています(その後 14時に 死者128名に変更)。

 

 

 

 

(繰り返しますが)よりによって元日の夕刻に起きた大規模地震。

われわれ日本人にとって、1年で一番くつろぐと言われるその日に能登半島を襲った地震は、まさに〝丸腰状態〟の住民の安寧を即座に奪う「蛮行」を働くことになりました。

おそらくは、能登半島のまちやムラに実家があり 普段は首都圏など他の地区に暮らす人たちの中には、正月を契機に里帰りしたケースも少なからずあることでしょう。

また 風光明媚な能登半島には、年末年始のロングバケーションを活用して観光に訪れた人も数多(あまた)おられることでしょう。

そんな そこに暮らす人のみならず、当地に〝帰った人〟や〝訪れた人〟をも巻き込んでの元旦の地震…大自然の気まぐれともいえる事(こと)の起こし様(よう)には、無常感・非情感を禁じ得ないところでありました。

 

この不測の自然災害の報に触れ 私たち長野県人は、2014年に発生した「御嶽山水蒸気爆発」を想起せざるを得ません。

 

 

 

 

あの噴火(水蒸気爆発)も、秋の行楽日のお昼どきに発生しました。

よりによって、秋の好日 多くのハイカーが山頂に集(つど)っている時季・時間帯に発生した水蒸気爆発は、普段は人気の無い山の頂(いただき)で甚大な人的被害をもたらすことになってしまいました。

大自然は、かくも非情なものでありましょうか。

 

 

あのときの能登半島の集落や観光地など地域には、普段より多くの人たちが在されたことと思います。

私が懸念するのは、現在公表されている被害状況は 自治体の住民基本台帳上に基づきまとめられているものと思われますが、前掲のとおり 被災日時は年末年始の好日です。台帳に載っていない人(観光客や帰省客等)が当地を訪れていた可能性もあるのではないか…そういう点では今後、新たな被災者が発見される可能性を考えさせられるところです。

 

 

今回の能登半島地震は、日本の地勢や社会状況(環境)を象徴するような災害であったことを示しています。

被害が最も多かった石川県では 多くの死傷者が発生してしまいましたが、そのうち輪島市では死者の9割以上が「圧死」であったという 実に残念な結果が伝えられています。

 

 

 

その原因には、いくつかの可能性が指摘されています。

一つは、今回の地震の「振動周期」とのこと。

地震の揺れには いくつかの地震波があるそうですが、今回の令和6年能登半島地震では「キラーパルス」といわれる 周期1~2秒の地震波が発生したようです。

この地震波は 特に1~3階程度の低層物(一般住宅)を崩壊させる威力があるそうで、まさに今回 この地震波(キラーパルス)が当地を襲ったのでありました。

 

 

 

そこへもってきて(過日も触れましたが)歴史ある能登の街には旧家が多く、屋根も土葺きの重い屋根で それが家屋崩落を助長することになってしまいました。

 

 

 

 

また、能登半島に限らず 地震の影響を受けた地域で 特に海辺のエリアにおいては「液状化現象」が多発することになっています。

これは、北陸や新潟県の沿岸部に 液状化しやすい地下水位が高い砂地の地盤が広がっていたことなどが要因とみられています。

海沿いに広がる住宅地などの広範囲に亘り どこからともなく砂混じりの泥水が湧き上がり、地面を覆ったり 宅地の陥没・隆起を発生させ、建屋にも大きな そして非常にやっかいな被害を及ぼしています。 

 

 

 

 

この現象は(前掲のとおり)砂地を地盤とする土地に発生します。

「砂地」は普段は結束しているものの 土中の水分に非常に弱く、一度(ひとたび)水分が混入し そこが地震で揺すぶられると、成分(砂)はバラバラになって陥没や隆起を引き起こすというものです。

一旦 それ(液状化)が起きると、復旧は非常に困難で 特に住宅の場合は、一見すると何も(被害が)無くても、実際には〝傾き〟など非常にストレスの残る被害が起きてしまうことが知られています。

 

 

 

 

そして 今回の地震においては、ここ能登半島にも「津波」が押し寄せることになってしまいました。

そのうえで特徴的なのが、当地は〝遠浅〟で、そこに震源の近さも手伝って さきの「東日本大震災」より時間的に早く、そして浜辺を まるでスロープを駈け上げるように〝サーッ〟という感じで(津波が)襲ってきたようなのです。

平時の観光ガイドでは 遠浅がウリになっていますが、この地形が 津波をまるで滑走路のような形で本土に流入させることになってしまいました。

 

 

 

 

さらに(これもさきのブログで触れていますが)、能登半島のそこここで 地域間を結ぶ動脈ともいえる幹線道路が土砂崩落など寸断され、ライフラインが途絶することになってしまっています。

 

 

 

 

これらの被災に起因して 半島では20を超える地区が孤立状態に陥っており、地区によっては徒歩で移動を試みる人たちもおられるなど、現地で支援が受けらえずに自力で(支援を)求めるを余儀なくされていることも伝えられていました。

 

 

 

 

 

何という年の初めになってしまったのでありましょう。

〝不測の自然災害〟は〝想定外の被害〟を及ぼしたところであります、が…。

これが、果たして 本当に〝不測〟だったのか〝想定外〟だったのか…疑問の声が挙げられています。

まず住宅の倒壊被害について、そこには 建屋の耐震化が重要な対策であることはいうまでもありませんが、概して能登半島の(自治体の)住宅の耐震化率は全国を大きく下回っているとのこと。

下図は石川県珠洲市の率ですが、輪島市においても50%に満たない現状にあるそうです。

 

 

 

また 液状化の被害についても、能登半島エリアにおいては「液状化危険度分布図」なるハザードマップがあり、いわば(液状化は)織り込み済みの災害に数えらえているそうなのです。

 

 

 

さらに言えば、当地は 昨年5月5日にM6,5の地震が発生しており、さらに過去にも何回もの地震が発生するなど いわば地震多発エリアであることが知られています。

 

 

 

 

なのに 何故、このような大きな被害が起きてしまったのか。

私のブレーンのMくんは「地震は人の命は奪わない。人命を奪うのは その上に住む人類の責任だ」と話してくれました。

曰く「地震は地面を揺らすだけだが、その(地面の)上に暮らす人の住む家が崩れたせいで人命が奪われる。液状化にしても、砂地で緩(ゆる)い地質の上に敢えて暮らしているから(液状化の)被害を受けるんじゃないか」とのこと。

そのうえで彼は「今回の地震についても、防げる被害はあったと思う。ところが 当地の人たちは、いわば地震に慣れてしまっていて 抜本的な対策を講じないままに今に至ってしまった。これは〝オオカミ少年〟の童話と同じだと思う」そして「政治(行政)自体が、住民と同じレベルで地震に慣れてしまってはダメだ。住民の弛緩(しかん)した意識を改めさせ、何かが起きる前に 事前の策を講じることが行政責任(リーダーシップ)であるハズだけど、残念ながら ここではそれが発揮されなかったみたいだね」と。

 

奇しくもそれは、当県の知事の対応に表(あらわ)れていました。

石川県のH知事は、地震発生から5日も経過した頃に ようやく『非常事態宣言』を発出し、それが「スピード感のかけらも無い」と県民から不評をかっているとのことなのです。

マ これは、別に呑気に構えていたワケじゃなく そこに行き着くまでの暇(いとま)が無かったことと推察されるところですが、事ほど左様に〝後手〟の感が否めない状況は これほどの地震多発エリアのリーダーとしては、心許(こころもと)ないと思わざるを得ないところです。

 

 

 

 

 

いずれにしても、時間だけは無常に過ぎています。

後の報道では、孤立した集落では 電気・水・食糧などが枯渇しかねない状況になっているとのこと、一刻も早い幹線道路の復旧または物資の投入が求められます。

また 避難所の衛生状態も悪化し、ザコ寝の中に コロナウィルス感染症やインフルエンザが発生し始めていることが報じられています。

トイレ環境も限界に近づいているようでです。

 

 

どうかどうか、人智を尽くして被災者支援を進めていただきたい。

今こそ、政治(行政)の力量が問われていると申せます。

 


支援・救援の大切さと難しさ

2024-01-06 | 日記

4日の朝、去る1日に発生した「令和6年能登半島地震」に際し 長野市から被災地の給水支援のため、職員4名と給水車・伴走車が現地に向け出発しました。

長野市上下水道局(三輪)に関係者が集まり、派遣職員を激励し 任務の遂行を期して出立を見送りました。

 

 

 

 

長野市においては、能登半島地震の影響で 市内でも停電や建屋の屋根の破損(瓦など)・それに一部エリアでの断水・また過呼吸による救急搬送者等の事案が発生し、対応することとなりました。

 

 

 

 

地震発生後、直ちに(市内での被害は幸い軽微であったものの)発生事案の対応を行なうと同時に、被災地支援に向け情報収集を行なってきました。

国内の自治体においては、各自治体間に 災害支援協定や、自治体の規模に応じた協定などが締結されており、先ずは それらのコネクションを通じて支援を模索します。

そのうえで、いち自治体が先走りして却(かえ)って混乱を招かぬように 長野県や全国市長会とも連携しながら被災地支援に(県内自治体が協力し合いながら)取り組むことになります。

そのうえで 自治体間の支援のルールとして「支援要請」を受けること、それを受けたうえで支援を行なうこととなっています。

これは、受け入れ自治体の(受け入れ)体制を慮(おもんばか)ってのことです。

こちらが いわゆる〝プッシュ型〟として支援を行なおうとしても、肝心の相手(自治体)が対応できないとなれば いわば〝押しかけ女房〟となってしまい 却って混乱の素(もと)となってしまうことから、ここは緊密に連携(連絡)を取り合いながら対応することになります。

 

そのうえで長野市は、同市が(ある程度の規模を有する)「中核市」であることから、能登エリアの(同じ中核市の)「金沢市」からの支援要請を待ったものの、最終的には要請が無いこととなりました。
また、個別市の「応援協定」に基づき、富山県富山市と新潟県上越市に照会しましたが、現時点では支援要請は無いとのことであります。

このことについては 被災自治体の体制そのものが整っていないこともあるかもしれませんが、いずれにしても 今後も連絡を密にしながら、イザ派遣要請が出たら直ちに対応できるよう準備だけは進めるとのことです。

 

長野市においても「令和6年能登半島地震災害支援本部」を設置し、適時適切に 体系だてて支援活動を行なうことになっています。

 

 

 

 

今回の「給水(車)支援」については『公益社団法人 日本水道協会中部地方支部』における「災害相互応援に関する協定」に基づき、長野県内の水道事業体が 任務を分掌しながら応援給水活動を緒に就(つ)けています。

報道等でご案内のとおり、先ずは松本市・飯田市・岡谷市が出動し その次に長野市・上田市が出動する運びとなっており、この日の出立となりました。

 

 

 

 

ところで、被災地エリア(能登半島)においては、道路状況が非常に悪いことが伝えられています。

海沿いの幹線道路では あちこちで土砂崩れが発生、地域間の動脈が寸断されているとのこと。

 

 

 

 

また、高速道路等の広域連絡道路も 陥没などの被害を受け、車両の移動が儘(まま)ならなくなっている箇所も遍在しているそうです。

 

 

 

 

また〝即座の災害支援〟ということで、全国から公用車のみならず一般車両も(被災地へ)終結せんとするのが いわば〝支援渋滞〟を引き起こし、肝心の緊急車両が目的地に到達できないことにもなっており、被災地支援の熱意が 却って仇(あだ)になってしまっていることも伝えられています。

 

 

 

 

長野市の派遣先は 石川県羽昨市(はくいし)で、同市は能登半島の いわば付け根部分にあることから、道路状況の如何は未詳ではありますが、いずれにしても道中は充分に気をつけながら 急ぐ中でも安全運行に務めてもらいたいところです。

 

 

 

 

私の元(もと)に「長野市の対応は遅いんじゃないか」との声が複数に亘り寄せられています。

報道等で 被災地の窮状・特に「水が足りない」と嘆く被災地の方々の様子を見るにつけ「地震発生と同時に スグに飛んで行けばイイじゃないか!」とのご意見、至極ごもっとものことと思います。

特に長野市は、さきの「令和元年東日本台風」で 他の自治体から多くの支援をいただいた立場であることから、なおのこと機敏な行動が求められているというものです。

 

心ある市民の方々は、被災地の窮状を目にし 被災者のみなさんに心を寄せる中、一刻も早い支援活動を 長野市民を代表して完遂してほしい、そんな期待を込めて 敢えて苦言を呈しておられると理解するところです。

それらを踏まえ 長野市はじめ各自治体においては、現行の協定やルールがありながらも そのうえで1分1秒でも早く被災地支援が行なえるよう、今後も検討(研究)を進めるべきでありましょう。

市職員は公僕たるもの、市民の方々の意向を最大限 形にできるよう試行錯誤を重ねるべき存在であることは言うまでもありません。

そんな叱咤(しった)が寄せられることは、私たちにとってありがたいことであります。


令和6年能登半島地震 =美談の一方で 許されざるもの=

2024-01-04 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は 日を追うごとに被害拡大の様相を呈しており、予断のならない状況が続いています。

特に、4日中には 生命の維持が困難になるといわれる「72時間」がやってくることから、消防・自衛隊・警察などの関係者は 不明者の発見救出に全力を挙げていることが伝えられています。

また、まさに降って沸いた地震災害は 正月の住民生活を直撃することになり、発災後には飲料水や食料など 生きるために必要や物資が不足していることも報じられ、私たち域外の者は心配を募らせるところです。

 

そんな中、被災地住民に対し 支援の手が次々と伸べられていることが伝えられています。

パンメーカー大手の「ヤマザキパン」は、自社の大型トラックに パン約5万食を積載し被災地に直行、自衛隊の手を借りて避難所等で配布している様子が報じられています。

パンに併せ飲料水もセットでの配布は 被災地の方々の空腹に大きな足しとなることでしょう。

保存の効く「パン」は 被災地食に適していることから、ヤマザキパンの素早い被災地対応は高く評価されるところです。

 

 

 

 

また、コンビニ大手チェーンや製麺メーカーも 店舗を活用するなどして飲食物の提供を始めておられ、徐々にではありますが 具体的な被災地支援が始まっていることが伝えられ、心強いところです。

また、電力会社も作業員を派遣し 電力の復旧を集中的に行なうなど、社会インフラの復旧に向けて 関係者が力を尽くしていることも並行して伝えられています。

 

 

 

 

 

そんな美談の一方で、これまでの自然災害でも散見された 心無い輩(やから)によるデマ・窃盗・詐欺・復旧作業を手伝う善意を装い 後で高額請求をする行為など、鬼畜ともいえる悪行が横行していることも報じられ、これには怒りを禁じ得ないところです。

ある者は、被災者を装(よそお)って「助けてください」などと情報発信し、実際には存在しない住所を語ったうえで モバイル決済を使って寄付を募る手口で(寄付を)詐取する行為をしているとか。

 

 

 

また ある被災地では、被災し人気(ひとけ)の無い建屋に侵入し エアコンやタイヤなどを盗んでゆく者が跋扈(ばっこ)しているとか。

目撃者によると「あまりに堂々と作業(窃盗行為)しているので、まさか泥棒とは思わなかった」とのことです。

 

 

 

 

また、前掲の「デマによる募金詐欺」に類したデマ情報では、SNSにデマ情報を載せることにより それ(デマ情報)を自分のサイトの表示数稼ぎにしようとするなど、他人(ひと)の不幸をネタに懐(ふところ)を温めようというような所作は 許し難いといえるところです。

 

 

 

 

また、例えば屋根のブルーシート張りなどの復旧作業を「手伝う」と言って近寄り、最後には高額の作業代を請求する 詐欺まがいの行為も散見されているとのこと。

これらの悪しき行為は、さきの東日本大震災や東日本台風でも見られ、災害の度に被災地に現れる輩によるものと言われ、今回の災害においても注意が呼びかけられています。

 

 

このように、被災地では善行と悪行との いわば両極端な行為が行なわれています。

普通の感覚であれば、他人(ひと)が困っていれば その状況に同情し、何かしてあげられることはないかと考え及ぶものですが、後述の連中は 他人の不幸につけ込んで荒稼ぎしようとしているもので、もはやアタマの回路が悪知恵に直結しているとしか思えないところです。

 

 

いずれにしても、時間は刻々と ときに無常に過ぎています。

被災地には「思いやりの心」だけが拡散され、早期の復旧・復興を願うばかりです。 


新年早々…

2024-01-03 | 日記

「新たな年が明けたばかりだというのに…」

そう感じているのは、私だけではないハズです。

新たなる2024年を迎えて僅か2日…だというのに、私たちの元(もと)には 次々と災害や事故ニュースが飛び込んでくることになってしまっています。

 

よりによって 元日に発生することとなってしまった「令和6年能登半島地震」は、時間経過と共に その被害の大きさが明らかになってきています。

当初の報道から、それまで見えなかった被害…それも人的被害の様子が伝えられ、私たちは それらの報道に接する度に、胸が塞(ふさ)がる思いにさせられるところです。

 

 

 

 

被災した能登半島の市町村においては いわゆる古くからの家並みが多く、例えば大火となってしまった輪島市の朝市のある地区も、古い築年の建屋(木造)が遍在していたことが知られています。

それらに何らかの原因で火が回り 折からの風・そこに加えて地震による断水に伴う給水不足(=消火活動に支障)などの悪条件が重なり、結果 大規模な火災を引き起こすことになってしまいました。

 

 

 

 

また当地は 古くは加賀藩から続く歴史ある旧家が多く、それは古来の瓦積みの建築手法(土葺(どふ)き工法)からなる 屋根自体が重い構造となっており、しかして それは一度(ひとたび)地震に遭うと屋根ごと倒壊する災害の要因にもなってしまっています。

 

 

 

 

そこに暮らす住民には、また 年末年始に当地を訪れた人々には何の非も無いのに、大自然の 半ば気まぐれともいえる行為(災害)は、地域全体の人や物 そして「心」にも甚大な被害を及ぼすことになってしまっています。

 

一体なぜ このような災害が起きてしまったのでしょうか?

報道等による専門家の見解は「域内の地下で〝流体〟が移動したことが関与している可能性がある」とのことです。

当エリア(能登半島)においては、2018年ごろから地震の回数が増え 20年12月ごろから活動が活発になっていたようです。で、その(頻発していた)地震の要因とみられるのが「地下にある流体(それも「水」の可能性が大)だとのこと。

能登半島の深い所には水の豊富な領域があり、それが地下を上昇して活断層に入り込み、断層(プレート)を滑らせたり周辺の岩盤を押し広げたりして地震の要因になったのではないか、とのことです。

 

 

 

 

それらの学説を総合すると、そもそも当地は群発地震が発生しやすいエリアだということのようです。

しかし、人々は 現にここに住んでおり、そして これからも(ここに)住み続けることは当然のことであります。

今回の不測の地震災害を通じて、改めて地域の地勢・特性を知ったうえで それらに合った暮らし向きをしてゆかれることを願うばかりであります。

もとより、今はお正月の最中(さなか)…本来であれば 新たな年を祝い、一家また親戚が集(つど)って憩(いこ)いのひとときを過ごしているハズなのに こんなことになってしまった。

被災地の方々の嘆きとご心痛は 察するに余りあるところです。

 

 

かかる状況において、発災後は周辺自治体からも支援・救援の手が被災地に伸べられるようになっています。

長野県においても、いくつかの自治体が 給水車等の装備を派遣していることが伝えられています。

松本市は2日、石川県羽咋市(はくいし)に給水車1台・組み立て式給水タンクと給水袋300袋を載せたサポートカー1台・上水道課職員3人を派遣、飯田市も2日、羽咋市に給水車1台と水道課職員4人を派遣し、さらにドクターカー1台と飯田市立病院の医師ら計5人を七尾市の公立能登総合病院に派遣するとのこと。

また 佐久市(水道企業団)は2日、水3トンを積める給水車1台・組み立て式給水タンク・給水袋500袋・職員4名を富山県高岡市に派遣、さらに 小諸市も2日、富山県滑川市に約2千人分の水と食料・職員4人を派遣したそうです。

 

 

 

これ(災害派遣)について 長野市の状況(計画)を照会すると、他自治体への災害支援については 長野県内に支援のネットワークがあり、長野市については 市内でも断水などの被害が出ていることから そちらの対応に追われることとなり、そこで他県への支援は 先ずは被災の無かった地域(中南信)の自治体に先行していただき、長野市においては4日に出動するべく準備を進めているとのことです。

また、佐久市については 全国青年市長会の要請に・小諸市については 応援協定を結ぶ滑川市の要請に基づき(いわば別口で)出動したとのことです。

私の元(もと)にも一部の方から「長野市の対応は遅い」旨のご意見をいただいたところですが、決して手をこまねいているのではなく 本市の被災状況や 県下における取り決めに準じて対応しておりますので、私の立場でも誤解の無いようにお願いいたすところであります。

いずれにしても、今この瞬間にも 被災地で不自由な生活を余儀なくされておる方々がおられることは現実ですので、長野市においても遅滞なく支援活動が行なわれることを期するところであります。

 

 

また 別報で、羽田空港の滑走路上で 航空機同士が衝突・炎上する事故が発生したことが報じられ、驚きをもって(報を)聞かされました。

 

 

 

 

聞けば、滑走路に着陸した日航機が 同じ滑走路を離陸せんとした海上自衛隊の輸送機に〝追突〟する形で衝突したとのこと。

さらに聞けば〝追突〟された自衛隊機は、能登半島の被災地に支援物資を積んで 滑走路上にいたとのこと…何ということでありましょう。

(そんな不測中の不測の衝突事故でありましたが、航空機に搭乗していた乗客乗員については全員無事に脱出でき、このことについては その対応の適切さに賛辞が送られています。こればかりは 不幸中の幸い極まれり といったところです)

 

 

 

 

冒頭のとおり、年初まだ数日しか経過していないのです。

これは残念ながら「多難な2024年の幕開け」と言わざるを得ないところでありましょう。

 


新年早々に不測の大きな自然災害「令和6年能登半島地震」

2024-01-02 | 日記

それは、私が須坂市の実家に居(い)たときに発生しました。

元日の4時過ぎ、サッカー国際親善試合後の監督インタビューの最中に突然画面が切り替わり、地震速報が流され始めました。

私はオフクロに「能登半島で大きな地震だって!」と伝え、引き続きニュース画面に注目していると…。

ほどなくしてスマホが大きく鳴動し、画面には「緊急地震情報」の画像が。

 

 

 

「え?能登半島の地震なのに、こっちのエリアにも緊急地震情報が来るの?」と訝(いぶか)しく思ったその瞬間、自宅の部屋が左右にガタガタと揺れ始めたのです。

その間 約数十秒だったでしょうか。最初はガタガタ・そのうちにユラユラという感じで 横揺れが続いていました。

部屋の蛍光灯が揺れる中、まんじりともしない(できない)うちに やがて揺れは収まり、オフクロと安堵のうちに顔を見合わせたのでした。

地震の波動は、遠く信州の地も揺るがすこととなったのでした。

 

地震の概要は下記のとおり。

[発生時刻] 1月1日16時10分

[マグニチュード] 7.6(暫定値)

[最大震度]7

[発生場所]石川県能登地方(輪島の東北東30km付近)・深さ16km

[発震機構]北西―南東方向に圧力軸を持つ逆断層型(速報)

[地震活動の状況]
 震度1以上を観測した地震が93回発生(震度7:1回 震度5強:3回 震度5弱:5回 震度4:17回 震度3:39回 震度2:28回 (1日16時以降~2日01時00分現在)

[津波警報等]

 津波注意報 北海道太平洋沿岸西部・北海道日本海沿岸北部・北海道日本海沿岸南部・青森県日本海沿岸・秋田県・山形県・新潟県上中下越・佐渡・富山県・石川県能登・石川県加賀・福井県・京都府・兵庫県北部・鳥取県・島根県出雲/石見・隠岐・山口県日本海沿岸・福岡県日本海沿岸・佐賀県北部・壱岐/対馬

 

能登半島を起点に、北陸信越地方から広く本州広域に亘る 不測の大災害となったものでした。

 

 

 

 

 

その後は、時間経過と共に 被災情報が次々と伝えられてきます。

時が経(た)つにつれて寄せられる情報・そしてそれらは時間経過と共に拡大の様相を見せるを受け、私たちは次第に言葉を失なってゆくのでした。

 

その主なものでも、道路の亀裂・隆起・陥没・崩落、

 

 

 

 

建屋の倒壊、

 

 

 

 

家屋 とりわけ屋根の倒壊、

 


 

 

土砂崩れ(法面崩落)、

 

 

 

そして津波と火災。

 

 

 

 

新たな年を言祝(ことほ)ぐ(現に祝っていた)元旦の日に、不測というには余りある衝撃をもって地震災害が地域を襲ったのでした。

この地域においては、2007年の「能登半島地震」2011年の「東日本大震災」また昨年5月には 石川県珠洲(すず)市で震度6の地震に見舞われるなど、被災の傷が癒えぬ中で再び大きな災害に見舞われることになってしまいました。

特に 今回は(11年の東日本大震災以降では初の)大津波警報が出されたことから、着の身着のままで高台に逃げる人々の姿も映し出され、暖冬とはいえ寒中の不測の避難状況に 見ている者も大いに心配せざるを得ないところでありました。

 

また とりわけ、震源の能登半島や北陸エリアは 国内有数の観光地でもあることから、年末年始にかけて多くの観光客が当地を訪れていることでしょう。

そんな方々も、よりによって災害に巻き込まれることになってしまいました。

それを考えれば、たとえ当地に暮らしていなくとも 被災する可能性は誰にでもあると言えるのです。

私たち被災地以外に暮らす者だって、たまたまその時(とき)に被災エリアに居合わせれば、何らかの被害を受けたかもしれないのです。

そのとき、そこに居(い)ただけで災害に見舞われる可能性…いつ なんどき被災者になるかもしれないことを思わされるところでもあります。

 

おそらく今後(残念ながら)、時間経過と共に被害の全容が明らかになる(=拡大する)ことになるのでしょう。

 

新年早々、何ということでありましょう。

 

 

ちなみに、長野市では 人的被害は無く、一部地域での停電と断水などが発生していますが 順次対応しているとのことでありました。

 

 

 

今後は どのような形で被災地支援をしてゆくのか、先ずは被災地自治体の意向・また北陸信越エリア内の災害支援・援助のルール等に基づき、適宜適切な活動が期されるところです。

長野市においては、さきの「令和元年東日本台風」の際に 多くの他自治体等から多大な支援をいただいた経過があるので、いわば恩返しの意味でも十分な対応を と思うところです。

 

今は、被災地の方々に 心からなるお見舞いを申し上げるしかありません。

それにしても かえすがえすも、なんで新年早々 こんな目に遭わなきゃならないんだ…被災者のお気持ちに心をいたすところです…。

発災から十数時間が経過しましたが、未だ余震が続いています(1週間程度は要警戒とのこと)。

私たちは、今後の状況を予断なく見守るばかりです。

 


本年も どうぞよろしくお願い申し上げます

2024-01-01 | 日記

新たなる2024年/令和6年を迎えました。

皆様には、昨年中のご薫陶に心から御礼申し上げますと共に、本年も倍旧のご支援ご鞭撻のほど 改めてお願い申し上げる次第であります。

 

年は変わったとはいえ、地域や社会における諸課題は継続しています。

私といたしましては、新年を迎え 新たな境地で歩み出すものの、基本的な姿勢は変わることなく「地域貢献」を旨として物事に取り組んでまいります。

「みなさんのために 何ができるか。」それを最優先に考えて これからも生きてまいります。

例年に亘り申し上げておりますが、これからも試行錯誤が続くであろう人生行路の中で、迷ったときは「みなさんのために どうすべきか。」このことを指標に、令和6年も歩んでまいります。

〝読者〟のみなさん、私に心を寄せてくださるみなさん。こんな私を、これからも ときに温かく、ときに厳しく見守り続けていただければ幸甚に存じます。

 

今後とも どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 


人命を預かるインフラで手抜き工事と検査の怠惰 ~連帯責任の極み/和歌山・八郎山トンネル工事~

2023-12-31 | 日記

先日の記事で、長野市・長野県が 障がい児童を対象にした「放課後児童クラブ」で虚偽申請をしたことで係争事案に発展してしまったことをお伝えしました。

いわば事業者と行政の 相互の齟齬(そご)が、社会に大いなる迷惑を及ぼしてしまった悪しき事例でありましたが、他の自治体では 全く異なるジャンルですが、かかる事業者⇔行政の〝怠慢対応(措置)〟ともいえる事例を耳にし〝開いた口が塞がらない状態〟となってしまいました。

暮れに来て、悪しき社会構造のようなものを知らされることは非常に残念ではありますが、これらをもって 今後(来年以降)同じ轍(てつ)を踏まないようにと思いながら、敢えてレポートさせていただきます。

 

 

和歌山県内を通る県道のトンネルについて、昨年9月に完了した(ハズの)工事で、あろうことか天井のコンクリートに「空洞」が存在し 厚さが不足するなど施工不良が見つかったことが明らかになったのです。

で さらに悪しきことに、この工事について 和歌山県が行った厚さの検査の回数が、基準の10分の1以下の回数しか実施されず 検査自体が十分に行なわれていなかったことが明らかになったのです。

 

 

 

 

現場は、和歌山県の串本町と那智勝浦町の町境をつなぐ県道のトンネル「八郎山トンネル(全長711m」です。「地震などの災害時には 海沿いの国道42号線の迂回道路として重要な意味合いを持つ県道」として整備中で、トンネルは去年9月に完成し 今年12月に供用開始の予定でした。

繰り返します。このトンネルは「地震などの災害時には 海沿いの国道42号線の迂回道路として重要な意味合い」を持っているのです。

しかし トンネルの本体工事が竣工(完了)したとされた9月を過ぎた去年12月に、照明の設置工事を行なうために作業員がアンカー(吊り金)用の穴をあけたところ コンクリートの天上内部に「空洞」があることが判り、その空洞は 少なくとも(トンネル全長の)約8割の範囲に及んでいたということなのです。

そして その後の調査で、あろうことか 本来の設計なら、内壁(コンクリート)の厚さが30cm必要なのに、最も薄いところで 僅か1/10の「3cm」しか無かったということなのです。

 

 

 

 

この異常ともいえる手抜き工事について、(再び)あろうことか 請負業者は完成後「覆工コンクリートの厚さは設計以上に確保されていた」という内容の書類を提出していました。しかし、その後の和歌山県の聞き取りに対して「検査で(コンクリートが)薄いことは把握していた」と回答、書類を設計値以上に改ざんしたことを認めたということです。

さらに 管理監督する側の和歌山県においても重大な不手際が。

トンネル工事の際には コンクリートの厚さについて検査するよう定めており、このトンネル工事の場合は約10メートル毎に1回・合わせて136回の検査が必要でしたが、実際には これを大幅に下回る6回しか検査を行なっていなかったということなのです。

和歌山県は会見で「現場の管理がされていないことにには 正直驚きを隠せない。非常に遺憾です。」としたうえで「検査の際には施工業者からの連絡があるのが基本だが、その連絡がなかった。連絡が少ないことに組織として認識ができていなかった。」としていることが報じられていました。

 

 

 

この杜撰(ずさん)なトンネル工事については 今後の工法を検討する専門家らの技術検討委員会が立ち上がり、その会議の席上では「施工時の測量がずさんで、ミスに気付いているのに修正せず 元に戻していない」とか「全てのコンクリート壁を剥(は)がして、安全性の確認が必要」となどの厳しい指摘が上がったということです。

和歌山県は、年内にも補修(やり直し)工事の時期など 今後の方針を年内にも決めるとのことで、それ(やり直し工事)は受注業者の負担で工事が行なわれるとのことですが、肝心のトンネル供用開始は 約2年も遅れてしまうとのことでありました。

 

 

 

 

完成したはずのトンネルが ほぼ全てやり直を迫られるという、全国の公共工事でも異例の事態は、トンネル内壁のコンクリートの厚みが規定の1/10しかない「張りぼてトンネル」であることが発覚したことで明らかになりました。

特に このトンネル整備は「南海トラフ地震等による津波被災時などのアクセス確保」を目的とされており、その強度には絶対の保証が要されていました。

それが よりによって、事業者の手抜きや行政への報告の怠慢に加え、行政の事業者任せの体質がダメを押す形となって 最悪の結果を招くことになってしまいました。

(さらに恐ろしいのが、もし この「張りぼて」の事実が表(おもて)に出ないまま供用が開始され、そこに大きな地震などが発生したとすれば…災害(南海トラフ大地震)の際のアクセス路として活用されるハズが(張りぼてのせいで)落盤事故の温床となり、トンネルの使用が 却(かえ)って大きな人的被害の温床となるところでした)

 

 

・・・・・・。

この 最悪ともいえるニュースは、内容に差異があるとは申せ 過般レポートした「長野県・長野市における障がい者放課後デイサービス施設での不正請求事件」に重なる面があると思います。

事業者においては、行政側が 書類だけで事業の可否を判断していることをいいことに、虚偽の書類を出しただけで〝お墨付き〟をいただき 後は好き勝手に事業(工事)を進め続けた。

行政チェックが入らないことをいいことに、放課後デイでは人件費を・トンネル工事ではセメント代を節約する形で事業(工事)を行なっていた。

 

そのうえで この2件に悪しけく共通しているのが、行政側の対応ではないか と。

両件とも、問題が表面化した際には 事業者を悪者として、罰(長野は損害賠償・和歌山は やり直し工事)を与えています。

しかしながら、ここに至るまでの管理監督については 行政側にも瑕疵(かし)があると言わざるを得ません。

さきの長野の放課後デイ案件については、制度上とはいえ 開業後3年間に亘って実地指導を行なわず、不正受給を看過し続けてしまった。

片や 和歌山のトンネル案件については、業者から点検の連絡(申し入れ)が無かったから検査を行わなかったと いう言い訳が聞かれています。

そんな〝ザル対応〟をしておいて「遺憾に思う」と言われても。

イチバン遺憾に思うのは、エンドユーザーであり納税者である住民の方だっつーの。

 

 

2023年も佳境に至る中で発覚した2つの案件は、来年に向け 大きな課題を私たちに突きつけることとなりました。

本来は 私たちの社会生活を向上させてくれるハズの諸事業が、一部の者の所業によりマイナス成果を招くことになってしまうこと・そして それを見抜けないままに被害を大きくさせしまう行政側の脇の甘い対応…社会が多様化し さまざまな面でロス(損失)が許されなくなった現下の社会情勢においては、かかる失敗例は捨て置けないと言わざるを得ません。

これら事案を側聞する中、これ以上の失政は勘弁してもらいたいところでありますが、来年に向け 他の状況いかなるものぞと、一抹の憂慮の念が消え去らないところであります。