企業とは一体何か。
非常に思い悩む。企業とは一体何なのだろうか。
「企業の存在意義を知る」という事は、投資家として別に知っておくべき必修科目ではなく、リターンに影響を与えるとも思えないんだけど、とてもひっかかる。
一体全体、俺は何に投資をしているのだろうか。この得体のしれない組織はいったい何なのだろうか。
投資家的解釈をすれば、企業とは、生産を担当する分野。生産を行う箱。金のなる木。これが自分の解釈。しかしこの解釈は一側面しかとらえていない。
では、全体を見渡した時、企業とは、それはなんなのか。なぜ人はそこに集まり生産を行うのかがピンとこない。
労働者的解釈からいえば、自分の社会人の一員として企業に勤めているが、それは生活を維持するため、そして今後のキャリアを形成し、
基礎を磨くためにやっている側面が大きいんだけど、一体何なのかさっぱりわからない。
投資家、労働者以外にも様々な利権者が会社に関与している。その様々なステークホルダの中間にあり、そこで発生する摩擦を調整しつつ各々のステークホルダに便益を提供し、社会に貢献する。
何だそれは。意味が分からん。実体のない、いわゆる神様だとか、人にやさしい精霊の類みたいなものじゃないか。なんとスピリチュアルな!
企業の本質とは物質的な所にはないのではないかと最近思い始めた。リソースは何かよくわからない引力に吸い寄せられて組織されているのであって、
実態はそのリソース(人・物・金・技術)の奥底にあるのではないかと。財務諸表上に企業の本質は見えないのではないかと(特性はわかるけどね)。
企業にとってリソースはただの表現帯にすぎないのかもしれない。実際、企業は比較的簡単に事業を売却したり購入したりする。
GEや富士フィルムがよい例だろうか。では、業種が違っても同じ看板を担いでいる彼らはいったい何者なのだろうか?
明らかに、以前の彼らとは異質な存在であり、別物であり、単に別企業に会社名を張り替えただけとも取れる。
閑話休題
では企業のコアってなんだろう。そこで一つ強烈な意志がそれではないのかとサジェストしたい。
強烈な意志というコアがそこにあり、それを源泉にリソースが引き寄せられ、成果物をアウトプットしていく存在。それが企業。
最初はその意志は創業者等にあったのだけど、それがいつの間にか企業というものに”憑依”し、創業者が消えても生き続ける。
しかしその憑依体には実態がない。どのリソースに紐づいているのか厳密には言えない。
強烈な意志がなくなった企業は惰性で駆動する。
それが悪いとは言わないし、惰性とはいえ駆動している事に変わりはない。
操縦者不在でも企業は駆動する。ただ、いずれは社会の中に埋没して他のステークホルダ(投資家を含む)にとって食われていくんだろうなと思う。
あぁ、それと、一番この強烈な意志とリンクしているのは紛れもなく最初に投資された資本金であるといえるんじゃないかな。
非常に思い悩む。企業とは一体何なのだろうか。
「企業の存在意義を知る」という事は、投資家として別に知っておくべき必修科目ではなく、リターンに影響を与えるとも思えないんだけど、とてもひっかかる。
一体全体、俺は何に投資をしているのだろうか。この得体のしれない組織はいったい何なのだろうか。
投資家的解釈をすれば、企業とは、生産を担当する分野。生産を行う箱。金のなる木。これが自分の解釈。しかしこの解釈は一側面しかとらえていない。
では、全体を見渡した時、企業とは、それはなんなのか。なぜ人はそこに集まり生産を行うのかがピンとこない。
労働者的解釈からいえば、自分の社会人の一員として企業に勤めているが、それは生活を維持するため、そして今後のキャリアを形成し、
基礎を磨くためにやっている側面が大きいんだけど、一体何なのかさっぱりわからない。
投資家、労働者以外にも様々な利権者が会社に関与している。その様々なステークホルダの中間にあり、そこで発生する摩擦を調整しつつ各々のステークホルダに便益を提供し、社会に貢献する。
何だそれは。意味が分からん。実体のない、いわゆる神様だとか、人にやさしい精霊の類みたいなものじゃないか。なんとスピリチュアルな!
企業の本質とは物質的な所にはないのではないかと最近思い始めた。リソースは何かよくわからない引力に吸い寄せられて組織されているのであって、
実態はそのリソース(人・物・金・技術)の奥底にあるのではないかと。財務諸表上に企業の本質は見えないのではないかと(特性はわかるけどね)。
企業にとってリソースはただの表現帯にすぎないのかもしれない。実際、企業は比較的簡単に事業を売却したり購入したりする。
GEや富士フィルムがよい例だろうか。では、業種が違っても同じ看板を担いでいる彼らはいったい何者なのだろうか?
明らかに、以前の彼らとは異質な存在であり、別物であり、単に別企業に会社名を張り替えただけとも取れる。
閑話休題
では企業のコアってなんだろう。そこで一つ強烈な意志がそれではないのかとサジェストしたい。
強烈な意志というコアがそこにあり、それを源泉にリソースが引き寄せられ、成果物をアウトプットしていく存在。それが企業。
最初はその意志は創業者等にあったのだけど、それがいつの間にか企業というものに”憑依”し、創業者が消えても生き続ける。
しかしその憑依体には実態がない。どのリソースに紐づいているのか厳密には言えない。
強烈な意志がなくなった企業は惰性で駆動する。
それが悪いとは言わないし、惰性とはいえ駆動している事に変わりはない。
操縦者不在でも企業は駆動する。ただ、いずれは社会の中に埋没して他のステークホルダ(投資家を含む)にとって食われていくんだろうなと思う。
あぁ、それと、一番この強烈な意志とリンクしているのは紛れもなく最初に投資された資本金であるといえるんじゃないかな。