kyon's日誌

つれづれに・・・

門下生?

2014年12月10日 | 日記
散歩の帰り道は雪がボタボタ絶え間なく落ちてくる・・
この橋を越えたらもう少しで我が家だぁ~・・・やれやれ・・・
 しばし見入った。
川の水は流れが止まることは無い。
生き物のような気がする。

降り続く雪だるまのようになってしもた・・・眼鏡にも雪は容赦ない。
う~ん・・・眼鏡にワイパーが欲しい(笑)

今朝は雪も一休み。
散歩友と本の話になった。
散歩友は先だって求めた菅原文太さんの対談話の本が意外で、今の集団的自衛権に関するような対談も著名な方となさってるし、自分というものをしっかり練り上げた文化人でもあるだねぇ・・・と。
ワタシは「やわらかな犀の角」という山崎努さんの話を。

インドの犀の角は攻撃の為には無いらしく、中身はやわらかなのだそうだ。
仏陀は、迷える人の悩みに答えて、犀の角のように歩きなさいと言ったとか・・・
ただただ餌を食む、のそのそと硬い鎧のような重い体でジャングルを歩く・・・
その角は敵と遭遇しても役には立たないのに、角があるだけで「犀」という種になる。

山崎さんの読書日記が延々と綴られているので、ずっとこのままなのかと思いきや、段々に山崎努という俳優の生き方や姿勢が浮かび上がってくる。
やわらかな・・・というのは、その読書量もさることながら、偏り過ぎてない本の選び方をしているところをみると、きっと山崎努氏自体がやわらかで豊かな感性の持ち主であり、実は自分も何の為に付けているか分からぬ(攻撃性の無い)角を、自分もそうありたいという思いがあるのではなかろうか・・・と思い至る。

ねぇ、人の心は「進化」ということは無いのじゃないかしらねとワタシが言う。
何百年、何千年経っても人の心は進化しない。
けれど、機械などのような便利な文明だけがドンドン進化して、人は追い付いていないから様々な不具合が生じることになる。
テロリストがどれだけ立派な理屈を掲げて聖戦だと言っても、それはもう何百年も変わらない原型があって、変わっているのは理屈だけ。
都合の良い屁理屈を付けて聖戦と叫んでいる。
けれど、それを子供に教育するのは如何なものか・・・子供に銃を持たせる教育は人ではない・・・そういう子供らを戦いに導かぬようにするのは「母親」の存在だけで、女達が声を上げるしかない・・・
オバサンの威力が世界を変える?!
佐野洋子さんも言ってたね~と、あはは~

残念なのはオバサンらも誰かが右と言えば直ぐにそちらになびく傾向があるっつうことかしらね~・・・自分で考えた意志を持ちたいね・・・女は小面倒臭いね(笑)
意志ねぇ・・・それが問題よね・・・

あ、そう言えば、その佐野さんの本も山崎努さんの読書日誌にあった。
ね、ワタシらって、もしかして佐野さんの門下生?
あははは・・・いつからそうなった?
今から~(笑)
コメント (6)
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