老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

「京都・戦国武将の寺をゆく」(その2)~秀頼公の首塚など~

2008年10月16日 | 戦国&安土桃山時代の京都

(「京都・戦国武将の寺をゆく」(その1)より、続く)

京都・戦国武将の寺をゆく 京都・戦国武将の寺をゆく
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-03

たとえば、豊臣家を例にとると、秀吉、大政所ねね、淀君、秀頼(実子)、鶴松(実子)、秀次(甥)、秀長(弟)、なか(母親)、国松(秀頼の子供)、などについては、ある程度、大河ドラマなどで、お馴染み、だとしても、

秀吉の姉夫婦や、妹、天秀尼(秀頼の子供)、ねねの姉など、秀吉の、その他の周辺の人々になると、その生涯については、よほどの歴史マニアの人でもないかぎり、思い浮かばない、という人が多いのではないだろうか?

この「京都・戦国武将の寺をゆく」には、それら豊臣家の人々の、数奇な人生と、お墓や廟堂のある、京都のお寺についても、写真やアクセス・マップ付きで、詳しく紹介されている。

ところで、嵯峨野の清涼寺に行かれたことのある方は、境内に、「秀頼公首塚」というのがあるのを、ご存知だと思う。

遺体が確認されていないハズの、秀頼公に、何故、首塚があるのだろう?、と思われた方も多いかもしれない、そして、明智光秀公の首塚というのも、あるのだから、マッ、イイカ、と思われたかもしれない。

本書によると、この、「秀頼公首塚」は、大阪城三の丸の跡地から、頭蓋骨が発掘された際、秀頼の首に違いない、ということで、清涼寺・嵯峨釈迦堂に、昭和58年に建立されたもの、で比較的新しいらしい。

豊臣家の悲劇は、昭和の世でも、人々の哀れを誘った(→太閤さんの人気は、今でも、高い)、ということなのだろう。

(その他の、「変わった切り口の京都本」の紹介ページ)

→「京都の洋館」、「京都・絵になる風景~銀幕の舞台をたずねる~」、「京都ご利益めぐり

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