老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

「光悦」(松本清張作)(その1)

2008年10月20日 | 江戸時代の京都

本阿弥光悦の作品には、俵屋宗達下絵、本阿弥光悦筆、というものが、結構、多い。

俵屋宗達が下絵を書いたものに、光悦があの独自の書体で字をしたためた作品で、上野で開かれている、「大琳派展」にも、何点か、出品されていた。

こうした作品を観ると、光悦の独特の書体の美しさに、誰しも息を呑むが、

同時に、当然、後で書かれるハズの書の方(すなわち、光悦の方)が、失敗すると、宗達の描いた下絵も、ボツになるのだろうか?

光悦ほどの書家になると、そう失敗などは、しないのだろうか?   などと、つい、余計なことも考えてしまうものだ。

第一、こうした超一流芸術家たちのコラボレーション作品というのも珍しい。

京都・鷹ヶ峰に、芸術村を創ったことといい、本阿弥光悦という存在そのものが、

日本の芸術史上、後にも先にも例のない、なにやら、突然変異か何かのような、特異さがある、とかねがね思っていた。

このような事がどうして起こったのだろう?

このような事がどのようにして可能だったのだろう?

それが長い間、私の疑問だった。

ところで、こうした疑問に対して、昭和の大作家、松本清張さんが、自身の考えを小説化した作品がある。

それが、冒頭のタイトルに掲げた、「光悦」という題の作品だ。

<「光悦」(松本清張作)(その2)に続く>

(追記)

「光悦」という作品は、「小説日本芸譚」という、松本清張さんの短編集に収録されている。この短編集には、「光悦」のほか、「運慶」、「世阿弥」、「千利休」、「雪舟」、「古田織部」、「岩佐又兵衛」、「小堀遠州」、「写楽」、「止利仏師」が収録されている。

小説日本芸譚 (新潮文庫) 小説日本芸譚 (新潮文庫)
価格:¥ 460(税込)
発売日:2008-04

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尾形光琳と京都

2008年10月20日 | 江戸時代の京都

尾形光琳は、1658(明暦4)年、京都の大呉服商・雁金屋の次男として生れている。

琳派の祖とされる、本阿弥光悦が、1558(永禄元)年の生まれ、だから、光琳と光悦の間には、100年の開きがあることになる。

琳派のもう一方の雄、俵屋宗達は、生没年不詳とされるが、光悦とは(ともに京都で活躍した)同時代人だから、光琳との年の差は、やはり、100年近くあるのだろう。

光琳の祖父は、光悦と親交があり、幼い時から、光悦や宗達の作品に囲まれて育ったという光琳の才能は、元禄バブルのなかで、花開く。

随分、放蕩な生活をしたらしい。

有名な「東山衣装競(ひがしやまいしょうくらべ)」の逸話などを残しつつ、しだいに、先祖伝来の財産を食い潰し、1704(元禄17)年、光琳46歳の秋、江戸に下る。

しかし、江戸の水は、光琳には、合わなかったのか、その後も、しばしば、京都に戻り、1709(宝永6)年、京都に戻ってから、1716(享保元)年に没するまで、京都を離れることはなかった。

尾形光琳も、また、京都をこよなく愛したアーティストといえる。

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