本阿弥光悦の作品には、俵屋宗達下絵、本阿弥光悦筆、というものが、結構、多い。
俵屋宗達が下絵を書いたものに、光悦があの独自の書体で字をしたためた作品で、上野で開かれている、「大琳派展」にも、何点か、出品されていた。
こうした作品を観ると、光悦の独特の書体の美しさに、誰しも息を呑むが、
同時に、当然、後で書かれるハズの書の方(すなわち、光悦の方)が、失敗すると、宗達の描いた下絵も、ボツになるのだろうか?
光悦ほどの書家になると、そう失敗などは、しないのだろうか? などと、つい、余計なことも考えてしまうものだ。
第一、こうした超一流芸術家たちのコラボレーション作品というのも珍しい。
京都・鷹ヶ峰に、芸術村を創ったことといい、本阿弥光悦という存在そのものが、
日本の芸術史上、後にも先にも例のない、なにやら、突然変異か何かのような、特異さがある、とかねがね思っていた。
このような事がどうして起こったのだろう?
このような事がどのようにして可能だったのだろう?
それが長い間、私の疑問だった。
ところで、こうした疑問に対して、昭和の大作家、松本清張さんが、自身の考えを小説化した作品がある。
それが、冒頭のタイトルに掲げた、「光悦」という題の作品だ。
<「光悦」(松本清張作)(その2)に続く>
(追記)
「光悦」という作品は、「小説日本芸譚」という、松本清張さんの短編集に収録されている。この短編集には、「光悦」のほか、「運慶」、「世阿弥」、「千利休」、「雪舟」、「古田織部」、「岩佐又兵衛」、「小堀遠州」、「写楽」、「止利仏師」が収録されている。
小説日本芸譚 (新潮文庫) 価格:¥ 460(税込) 発売日:2008-04 |