「版画」といえば、消しゴムやサツマイモ、簡単な板などに文様や絵柄を彫り込んで刷った年賀状を思い出す。
私は、その原画と反対向きに刷り上がる感触がつかめず、なんとなく苦手としてきた経緯を持つが、貝殻を半乾きの土器に押し付けて連続紋様を造形した縄文土器のデザインを「版」の範疇に加えるならば、その奥行きは無限大に深いものとなる。古代史書の文字の印刷、着物の意匠としての更紗なども驚嘆すべき技術力の高さをみることができる。そして江戸期の浮世絵に至り、庶民にまで普及して、19世紀ヨーロッパのアーティストを驚嘆させる美術史的絵画芸術となったのである。
今回、大正期の復刻版の浮世絵版画を展示して、それらのことを考える機会を得た。
そして、その版画芸術の系譜は現代版画にまで引き継がれていることを再認識する契機ともなったのである。
日本画家・高山辰雄画伯作。太陽に向かう花・ひまわりとクローズアップされた若い女性の顔。画面にあるのはそれだけだが、どこかに漂う郷愁と、真夏の幻視または悠久の時空間に誘われるまなざしに惹きつけられる。
こちらはアジアの旅から。高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画家になることを目指していたという。1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。
左は絵本作家田島征三「雨の森」。御存知、日本を代表する絵本作家・美術家。本作は、エネルギッシュな作品群の底流をなす素朴で愉快な造形物が、画面いっぱいに配置され、森の中の雨音や雷さまのとどろき、生き物たちの声などが聞こえてくるような作品。
右は田口雅己「八百屋お七」。紅蓮の炎の中に火消しの纒や櫓、逃げ惑う人々、役者や鳥、種々の景物などが描き込まれ、現代の絵草子を見るような画面構成となっている。江戸時代前期に、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火あぶりの刑に処せられた実在の少女は、以来、様々な戯曲や芝居、小説などに描かれたが、20世紀の絵師は今昔を行き来するような絵柄を生み出した。
左は谷川晃一「鳥の歌」。谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、東京から伊豆高原の森に移り住み旺盛な作家活動を続けた。太陽の光が明るく降り注ぐ伊豆高原の森には、たくさんの鳥が集まり、終日、歌声を響かせる。この地で暮らした谷川晃一・宮迫千鶴夫妻の日々を彩った鳥たちの合奏。そこから生まれ出た美しいフォルムと色彩。
右はさとうしのぶ「たそがれ」。夕暮れ時の野に立つ一本の樹のような描線で、哀愁と寂寥感漂う空気感を描出している。ある一日の終わり、このような神秘的で美しいひとときに出会うよろこび。
版画とは、一枚の版で複数の作品を生み出すことができる美術領域だが、さとうしのぶさんは版が完成しても一枚しか刷らないという。版を駆使した「画家」とよぶべきではないか。
高名な画家の本画や大作は高額で一般の絵画愛好家には入手困難なことが多いが、版画はその普及版として流通するケースがある。種々多様な技法があり、複数の作品を刷ることができることで、価格の安定が保たれるのである。民芸運動とともに一時代を牽引した棟方志功のように「版画家」として独立した領域で仕事をする人たちもいる。太平洋戦争の実態を鋭く照射した浜田知明「初年兵哀歌」シリーズもある。「版画」の底流と魅力、その秘められた地力を、もう一度見直してみることにしよう。
*掲示の作品はいずれも「空想の森アートコレクティブ」のコレクション(作家・コレクターの提供分を含む) https://kuusounomori.base.shop/items/all から。