昨日の記事の続き。
掲示した写真は、スサノオノミコトの面。直近まで開催されていた「野の壷・野の花・野の仏展」に関連展示されていたものである。出品者は旧知のコレクター(大分市在住)。
そして、この仮面が、三角寛が記録した豊後大野川流域の無格社の神社で開催された「サンカによる神楽」に使用された仮面とほぼ同一の様式であることにまず驚く。企画展は終了し、買い手はつかなかったので、「九州民俗仮面美術館」と「由布院空想の森美術館」の共有する資料として買い取った。これにより、この仮面が、今後、「サンカと仮面」「サンカと神楽」の関連を検証していく貴重な素材となったのである。美術館を運営しているということには、このような機能と役割と面白みが含まれている。
この写真は、同書からの転載。写真で見るかぎり、この写真の仮面と掲示の仮面が同一様式であることがわかる。だが、これがただちに同一のものであり、「サンカの仮面」であると断定することは、保留しておいたほうが良いだろう。この様式の神楽面は出雲神楽に広く分布する仮面神なのである。とは言いながら、サンカがこの様式の仮面を使って、神楽を舞ったということはほぼ間違いないと思う。しかも、私は25年ほど前、この神楽を見ている。同じく大野川流域の「ひょうたん様祭り」という大草鞋の神様が出る祭りに、他の芸能とともに奉納されていたのである。下段に掲載されている「奇稲田姫」の写真(高見剛撮影)が残っているので、今そのファィルを探しているところ。この偶然にも驚かざるを得ない。
同書の写真キャプションを見てみよう。
『「蛇斬(たじひぎり)」と「蜘蛛斬(くもきり)」 速進男尊(ハヤスサノオノミコト)によって、暴漢が断滅され、奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)が尊と結婚されることになる宮神楽の一。この暴漢断滅のことを蛇斬といい、八蜘蛛退治である。速進男尊が、背後に十束の剣をかくして、暴漢断滅を決意したところ』
『速進男尊に助けられた奇稲田姫命は、そのうれしさを動作に現し、左手に扇、右手に鈴を持って舞う』
(昭和23年2月1日。豊後大野川の無格社の野天で)
これだけを見ると、よくある出雲神楽の地方版という解釈になるが、本文に詳しい解説があるのでそれをみてみよう。
*以下、本文のまま転載。
『「蛇斬(たじひきり)」と「蜘蛛斬(くもきり)」
日向高千穂(昭和11年5月9日)、出雲神部川(同年11月6日)、因幡千代川(同年同月11日)、丹波佐治川(同年同月15日)、武蔵熊谷の荒川土手(昭和13年6月11日)、伊賀、伊賀川島ケ原(昭和14年1月22日)。以上六ヶ所のセブリで「八蜘蛛断―蜘蛛斬」と「蛇斬」の神楽舞を探採した。いずれも野外神楽で、はなはだ原始的だが、見事な芸術である。「蛇斬」だけが、一般に伝わって、宮神楽になっている。主人公は、いずれもスサノオノミコトである。伴奏のはやし(地方=じかた)を「神鳴(かんなり)」というが、これに使われるものは
1、樽太鼓(トドロ)
2、竹法螺(ホヘタ)
3、横笛(ナリタケ)
4、鉦(これは仏教伝来以後、この仏具を神仏混交時代から加えた)
他に板や音竹という両節のある太い竹を叩く。主役の服装は、冠毛(カムリゲ)で顔は鍋炭やトノコを塗り、神代風の木綿の打着打袴(ウチキウチバキ)、藁踏(ワラバキ)、十束直刀(トツカノウメガイ=両刃の真剣)、を左に肩からかけ大扇(マネキシナド)を持つ。
◆「蛇斬」の梗概
登場人物 スサノオノミコト
稲田姫と両親
八岐の大蛇
スサノオノミコトが、花道から大扇をふりかざし、頭を振り振り舞いまくってくる。その反対側から、稲田姫親子三人が泣きながら出て来て、ミコトに「姫が大蛇に奪われる」と訴える。そこへ蛇の顔を描き、頭に苔を生やした蛇紋の袋を着た悪漢が姫を追ってくる。ミコトは、
「われ佩いたる十束のウメガイを抜いて、寸寸(ずたずた)に退治申さんや」
と大声で宣言して大見得を切る。はやしの伴奏につれて、三尺五寸の両刃の剣を抜いたミコトは、狂瀾怒涛のように舞う。大蛇は恐れて逃げ廻る。そこでミコトは大蛇を斬りまくる。つひに大蛇を絶滅したところで、姫の親たちは、姫を進上する。姫とミコトの喜悦の大舞がはじまる。つづいて両親が舞う。そこでミコトが「暴漢断滅」の歌を大音声で、おごそかに奏上し、収めの舞を舞って終わる。
◆「蜘蛛斬」の梗概
登場人物 スサノオノミコト
手篭めにされる姫
土蜘蛛数人
「蛇斬」の大蛇が、蜘蛛の顔に変る。その土蜘蛛が、姫を追って出て来る。スサノオノミコトは、姫と悪漢の間に割り込む。悪漢は後退しながら、反抗する素振りを見せミコトの隙を避けて、なおも姫に輪姦態勢で襲い寄る。ミコトはそれを蹴散らしながら、すらりと十束の剣を抜いて
婦女(ツマ)に暴行(ゴメ)する八蜘蛛、八千蜘蛛が沢山(クサグサ)の犯行(アヤマチ)を犯して作る罪悪(ツミトガ)を、朝風、夕風が吹き払うように、今後罪悪のおきる心配のないように。この十束の剣、双刃(ウメガイ)をもって、繁き木の下草を、焼釜(ヤキノヨイ)の鋭刀(スルドイカマ)で、打ち払うように寸寸(ズタズタ)に斬り払い、四方の国が芽出になる法律(ヤエガキ)を作ることを誓い申す。
という意味の宣誓をする。ここで狂瀾極地のはやしにつれて、ミコトは三尺五寸の刀身を、修羅八荒に振り廻す。さすがの暴漢も、神威に縮んで逃げ出す。ミコトはこれを踏んづけ、一刀両断を続ける。そこで被害者の姫が、ミコトの袖の下へ逃げ込むと、みことはそれを左に抱えて舞う。姫が後退して控えると、ミコトの一人舞となり、はやしが終わると、ミコトは足を轟(トドロ)に踏んで、「暴漢断滅」の歌を奏上する。
大蛇退治は、日向、豊後、出雲地方の宮神楽に神楽の骨格となって残っている。ところがサンカは全国的に、古代のままに保存していて、地方色はない。』
*以上:原文のまま再録。仮名遣いと旧漢字使いのみ現代版に変換した。
これをみれは、神楽の骨格は出雲系神楽の「大蛇退治」であるが、神楽用語、神楽用具、神名など、随所にサンカ言葉が使われていることがわかる。「タジヒ」はサンカの起源とも関連する職業「蝮獲り」に関連し、「ウメガイ」はサンカ独特の両刃の刀、「ヤエガキ」はサンカの「掟=法律」である。
さらに、注目されることは、
――八雲立つ、出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
と歌われる神楽歌は、従来の解釈では、
「祥雲の立つ出雲の地に妻を住まわせる八重垣を作ろう」
という言祝ぎの歌となっているがサンカの解釈によるとまったく違った内容となる。
すなわち「八蜘蛛」とは土地の先住民・暴漢を表す。「立つ」は「断ち」であり、スサノオの先住神制圧の場面を現す。妻籠めとは暴漢に襲われるクシイナダヒメのこと、八重垣とはヤエガキでサンカの掟=法律を表す。この歌は漢字を一時一時当て字で使ったためその後は本意が失われてめでたい内容とされているが、古意は、スサノオが反乱を繰り返す出雲の先住の民を制圧し、「ヤエガキ=掟」を作った場面だというのである。それが神楽として演じられ、サンカ言葉で語られているのである(この詳細も同書本文に掲載されているが長文なので意訳した)。
掲示した写真は昭和23年のものだが、三角は、昭和10年代初頭に戦後の数年間にわたり、各地を訪ね、その実態を調査している。その集積が、この報告である。それを見ると多くの開催地が川原、川辺またはそれに近い広場=セブリであったことが記されている。これもサンカの活動領域である。これによって、神楽を舞う芸能集団(シナドのトエラ=風のように移動する遊芸人集団)の存在があり、神楽の古形がそこにあり、「仮面」を使ってサンカが神楽を舞っていたという実例が記録され、明らかにされているのである。
これはすぐれたフィールドワークである。時間も経費もかかり、サンカという特殊集団との信頼関係が構築されていなければ実現不可能な研究活動である。机の上の文献が頼りの学者では不可能な事業である。
一般に言われているように、「サンカの生態が三角寛の創作」ではあり得ないことが、ここでもわかる。
*仮面と本の背景はサンカの「箕」。熊本県小国町で入手。
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