この不思議な名を持つ呪術的な神楽については、すでに多くの研究書が出ており、地元南国市にある高知県立歴史民俗資料館がすぐれた研究と伝承活動を続けてきている。詳しくは別掲の資料をみていただくことにして、ここでは今回の企画を主催した「いざなぎ流と物部川流域の文化を考える会」発行のパンフレットと高知県立歴史民俗博物館発行の「―神と人のものがたり―いざなぎ流の宇宙」をもとに、その概略をみておくことにしよう。
高知県物部村(現在は香美市物部)に伝わる「いざなぎ流祈祷」とは、巫女信仰・神道・仏教・修験道・陰陽道などが混在した民間信仰である。村にはいざなぎ流を習得した「太夫(たゆう)と呼ばれる宗教者がおり、村や個人の依頼によって神まつり、先祖祭祀、病人祈祷、家祈祷、氏神祭祀、占いなどを行なってきた。ここには古い祭儀や祈祷、神楽の方法などが伝えられており、その重要性から「土佐の神楽」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。いざなぎ流は、神の由来を語るさまざまな祭文、神々の形を切り紙によって表現する100種以上の御幣、独自の様式と使用法をもつ仮面群、猟師や杣人など土地の仕事に根ざした呪術など、多様な要素を包含する祭祀儀礼なのである。
主な儀礼の特徴をあげておこう。
・太夫(たゆう) 「いざなぎ流」を習得し、祈祷や神楽を行なう宗教者。
・陰陽師、博士、神子 太夫とほぼ同様の民間儀礼を行なう宗教者。地域ごとに異なる役割を持ったものと思われる。
・いざなぎ流の歴史 中世の古文書がある。「いざなぎ流」という名称の由来は判然としない。平家の落人とともに流入したという伝承、中世の宗教者たちが普及させたという伝承がある。
・祭文 神楽や祈祷を行なう太夫や博士、神子などが駆使する唱え言。宇宙の理、神々の由来譚、鎮魂儀礼、占いや病気治療の祈祷に関する文言など多くの情報が潜んでいる。
・仮面 仮面を用いた祈祷や呪術的祭儀があり、その造形は独自性に富む。
・御幣 100種を超える切り紙の様式があり、各種の「人形(ヒトガタ)御幣」や「山神幣「水神幣」など呪術的な要素をもつものが多い。
・呪詛(すそ) 因縁調伏や諍いの調停などが主目的だが、「呪詛返し」という「呪いの解除」や「狐憑き・犬神憑き」などの生霊憑依の解除なども含まれている。
・家祈祷 太夫が各家ごとに行なう祈祷や仮面祭祀。
・西山法 猟師の作法、起源譚、獲物の解体や分配の作法、鎮魂儀礼などが記録されている。
☆関連書籍一覧


・「いざなぎ流の宇宙」―神と人の物語―
高知県立歴史民俗資料館/1997初版2015・6刷


・「仮面の神々」土佐の民俗仮面展(図録)
高知県立歴史民俗資料館/1992
・「いざなぎ流の研究」歴史のなかのいざなぎ流太夫
高知の民間信仰「いざなぎ流」の歴史をたどり、日本人の原点に迫る!
著者:小松和彦
角川学芸出版/2011
高知の民間信仰「いざなぎ流」。現代の安倍晴明ともいわれる太夫の神秘的な祭儀、物語性に富む祭文、神霊を象る御幣――。日本を代表する民俗学者が40年に亘る調査を集大成。その歴史の全貌、日本人の源流に迫る。
・「いざなぎ流御祈祷の研究」 土佐山中に息づく〝神々の世界〟
高知県の山里に伝承されてきた神々と祈祷の世界を精細な資料研究に基づいて改名する30年来の研究の成果
著者:高木啓夫
高知県文化財団/1996
・「いざなぎ流 祭文と儀礼」
現代に生きる民間陰陽師の呪術。祈祷世界の核心に迫る! 高知県物部村に伝わる民間信仰「いざなぎ流」。神と渡り合うコトバと力の相貌を始めて鮮やかに解説する。
著者:斎藤英喜 宝蔵館/2002
・「いざなぎ流祭文帳」
吉村淑甫監修/斎藤英喜・梅野光興編
高知県立歴史民俗資料館/1997
・「物部の民俗といざなぎ流」
病気治癒・家の神祭祀・祈雨の祈祷が伝わるいざなぎ流の特質を論じる。失われつつある自然への畏れと、その関わり方を問い直す。
著者:松尾 恒一吉川弘文館/2011
以上の資料の内、小松和彦著「いざなぎ流の研究」、松尾恒一著「物部の民俗といざなぎ流」以外は、私の手元にある。1992年の「土佐の民俗仮面展」を見て以来、折にふれて入手し、開いて見ていたものである。だが、いくら立派な書物を読んでも「いざなぎ流」のことは理解できなかった。それは神秘の「呪術的世界」であり、いざなぎ流を伝える物部村は「異界」であるかのようなイメージを抱いていたのである。ところが、今回、実際に村を訪れ、いざなぎ流の「神楽」を見た途端、いざなぎ流の本質を私は瞬時に理解した。それは九州・宮崎の神楽とほぼ同じ構造・様式を持つ「神楽」だったのだ。もとより、祈祷や呪術的祭儀は物部に圧倒的に残っているが、九州の神楽に皆無でもない。その密度の差こそあれ、「別のもの」ではなかったのだ。そして、伝承地が抱えるさまざまな問題(これも宮崎の神楽に共通する課題)もみえてきた。
そのことは次回以降に詳述。