草むらの中を、白い光が走るように移動するものがあった。
それが白猫だとわかるまでには、夏から秋、そして冬へと移り変わる季節の変化と同じぐらいの時間を要した。
葉を落とした草木の間から、その小さな体が見え隠れするようになったのである。
そしてその子猫は、素早い動きで先住の野良猫「ノラ」の餌を盗み、また枯れ葉色の草陰に身を隠した。
――捨て猫だな。
と私は判断したが、かなり深刻な恐怖体験を持っているらしく、人の姿を見れば逃げる速度は、野生のものと大きな違いはなかった。
それで、私はノラの餌場とは少し離れた位置に、この白猫の餌場を作り、ノラのものとは分けて置くようにした。
すると少しずつ距離が近づき、半年ほどかけて、ついに私の手元から餌を採るようになったのである。
だが、馴れることはなく、餌を得れば、たちまち一瞬の風のように去っていった。
それがこの猫の持って生まれた習性とは思えなかったから、根気よく餌をやり、声をかけ続けていると、ある日、焼いた鳥のささ身を与えながら
――どうだ、旨いか?
とかけた言葉に、
――にゃ。
と小さい答えが返ってきた。そして徐々に馴れて、喉を撫でさせるようになり、森への散歩についてくるようになった。男の子なので、ノラのように森を怖がることはなく、先になって歩いて行くことさえあった。そして、倒木を見つけると身軽に飛び乗り、ちらちらとこちらへ視線を送りながら、ガシガシと爪とぎのパフォーマンスをして見せるのである。
――わかった、勇ましい、勇ましい・・・
と私は調子を合わせるのだが、この猫は、音声を失っていた。
ニャ、と口が開くだけで、声が出ないのである。子猫の時の凄絶な体験が声を奪っていたのだろう。
それでも一年が過ぎ、半年が過ぎる頃には成獣になり、先住猫を追い払ったり、どこかへ出かけて傷だらけになって帰ってきたりするようになった。そして、わが「九州民俗仮面美術館」の看板を取り付けてある大木の切株の上を居場所として、周囲を睥睨するようになったのである。
いつの間にか「ましろ」とか「シロちゃん」などとまわりのものから呼ばれるようになったある一日、彼は、小鳥を捕らえて帰って来た。
――おおっ、やったな。
――にゃあ!!
この日、この時、ただの一度だけ、彼は獲物を足元に置き、私の顔を見上げながら声を発したのである。
猟犬が鹿や猪を獲った時の表情と同じであった。
その後、ましろは隣家のさっちゃん(仮名)に馴れた。隣家は障がい者の人たちが暮らすグループホームで、軽度の障がいをもつ入所者の人たちはここで暮らしながら石井記念友愛社が運営する「茶臼原自然芸術館」に通い、染織を習うのである。技術を習得したら、社会へと巣立ってゆく。ところがさっちゃんは、動きが緩慢で、言葉もはっきりとしないため、施設の中では皆と離れた位置にいた。いつもニコニコと笑顔を浮かべたそのさっちゃんと、ましろがある日突然、馴染んだのである。それから二人は密接に交流した。真冬には、段ボールの家をこしらえてやり、毛布を敷き、餌箱を置いて、さっちゃんはこまごまと世話を焼いたのである。ましろは、従順にそれに従い、彼女に抱かれて散歩するまでになった。
その二人(一人と一匹)は、この春に引っ越して行った。さっちゃんが、アパートを借りて、その部屋で二人だけで暮らすのだという。いそいそと荷造りをして出て行ったさっちゃんとましろを遠くから見送りながら、それはそれで幸せな着地点なのだ、と、私は思ったのである。