
渡川神楽が始まってしばらく経っても、私はこの神楽がどこの地域の神楽に属するのか、どの神楽のどのような要素を交えているのかがわからなかった。それで、先入観や前もって立てていた予測などを捨てて、まずは虚心に神楽そのものを「見る」ことを心がけた。
この神楽は「どこにも似ていない」、「渡川神楽」としてのオリジナルである、という認識のもとに見ること。そして、この地に伝わる「神楽ワールド」に身も心も委ねること。そこから始まる理解と共感こそが「実態」であり「核心」であり「神楽の本意」なのだ。


まずは写真を撮り、伝承者に話しかけ、知り合いになった若い女性や旧知の神楽研究者と語り合う。そして画帖を取り出し、一枚のスケッチをする。
こうして場になじんできた頃、太鼓のリズムや笛の旋律にどこか聞き覚えのある、そして懐かしい感覚が共通して流れていることがわかってきた。さらに、採り物や「鬼神」などの仮面神の降臨の仕方、被り物や細かな所作などに「米良山系の神楽」に共通項があることに気付いた。それで、やっとわかった。流麗な早調子のリズムは「尾八重神楽」と同系だ。神の降臨を促す地舞の舞人が肩に扇を立てて舞い始める所作、先に地舞を舞って脇に控えた舞人が立ち上がり、降臨した鬼神と面棒を引き合う所作などは、「中之又神楽」や「銀鏡神楽」などと共通する。
「渡川神楽は、米良山系東端の神楽」という構造が見えてきた。
すでに身体は太鼓の音に合わせて揺れ始めている。


各演目の詳細を割愛し、終盤に出る「めご面」を見てみよう。
真っ白な装束、右手に鈴を持ち、「めご=籠」を手に持って舞い出てきたのが「めご面」である。この「めご面」は米良山系の神楽に共通して分布する。中之又神楽、尾八重神楽では真っ黒な姥面「磐石(ばんぜき)」として出る。銀鏡神楽では「室(へや)の神」、村所神楽では「部屋の神」として出る。西都・高鍋・宮崎平野などにも同様の芸態が分布する。いずれも、籠を背負うか腰に下げて出る。籠の中にはしゃもじ、杓子、すりこ木、弁当箱などが入っており、それを取り出しながら、天地創造、子孫繁栄などの法を説く。私は、近著「神楽が伝える古事記の真相」(廣済堂文庫)で先住神・山の神信仰の反映という読み解きをした。記紀神話・天孫降臨の段で、コノハナノサクヤヒメ・イワナガヒメ伝承にちなみ、醜貌ゆえにニニギノミコトに受け入れてもらえなかったイワナガヒメが悲しみのあまり米良の山中に隠れ、米良の山人に迎えられて山の神信仰と混交しながら伝承されたという解釈である。神楽の「女面」の源流と「神和(かんなぎ)」という女面の舞もあわせて照射した。その解釈と考察は今後深めて行きたいと思っているが、ここにまた一つ新しいデータが加わったことになる。

渡川神楽の「めご面」は、大げさな身振りで舞い出て、観客と派手なセッションをする。舞台の袖に集まった子供たちや女性客、村人などは、めご面のもつ籠に入った宝物を貰う(あるい奪う)ことが目的である。めご面は大きく籠を客のほうへ差し出したり、また引っ込めたりして大騒ぎとなるが、最後にはその宝を客に渡して退場する。
山の神の幸は村人に授けられた。
「めご面」と入れ替わりに、不思議な仮面神が次々に降臨する。この演目はめご面と連続していることは銀鏡神楽の「室の神」から「七鬼神」「獅子舞」へと続く演目とほぼ同じ構成であることからわかる。
怪異な面や古面、道化系の仮面などをつけているが、手には山霊の象徴である「榊」を持っていることから、この仮面神たちが山と森の精霊神であることもわかる。銀鏡神楽の「七鬼神」では「ずり面」という古朴な仮面神が出て「室の神」に絡む場面がある。

やがてシシ(猪)が出る。シシもまた観客と交歓し、さらに鬼神たちと舞い遊ぶ。
そこへ狩人が出る。この狩人は山の神=大山祇命=猪荒神である。
中之又神楽では前半に鹿狩りの神「鹿倉様」が出て、鹿倉舞を舞い、後半に猪荒神が出て猪と舞い遊び、猪を取り押さえて退場する。銀鏡神楽七鬼神では七体の鬼神と山の神が舞い遊ぶ。これも猪狩りを表す儀礼が神楽に取り込まれたものである。高千穂神楽の「山森」でも荒神と獅子=猪の遊びがあり、舞人が猟銃を担いで舞う例もある。

最後に狩人がシシを仕留めて帰る渡川神楽の「シシ舞」もこれらの山の神儀礼と同系の神楽である。
今季の狩りの豊猟が約束された。