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森の空想ブログ

謎の先導神「イブクロ」とは 新富町新田神社「夏祭り」を歩く

新富町・新田神社夏祭りを先導するという謎の神「イブクロ」を見に行った。
数年前からの課題としていたものだが、今夏、やっと実現したのである。

夏祭りは、暑気を払い、悪疫の退散を祈願する「夏越しの祭り」「祇園祭り」等を原型とするが、
近年は町の活性化を目指した「イベント」として盛大に行なわれる例も多く、年々華やかさや勇壮さを競う傾向にあり、さらに、北海道で「よさこい」の祭りがあり、九州で津軽の「ねぶた」を擬したものが出、沖縄の「エイサー」が全国津々浦々で展開されるなど、様相を変えてきている。そんな中で、古式にもとづき、地元の皆さんだけで静かに開催される祭りに出会うと、なぜかほっとするような気持ちになり、「祭り」の本源はやはりこちらにあるのだと思う。ただ、「秘儀」「祭儀」として「村」「集落」「神社」などでひそやかに行なわれてきた「祭り」や「神楽」が、近年、次第に活気を失い消滅の危機に瀕しているのも事実であり、時代の変遷と祭りのあり方というものを本気で検討する「とき」がきているのだとも思う。

新田神社は新田原(にゅうたばる)古墳群のある丘陵の麓に位置し、東方に日向灘を望む田園地帯である。春先に開催される「新田神楽」では、早朝、この日向灘の浜に出て禊をし、その後、神楽が始まる。


・神社での神事の後、神輿の行列が出発する。行列を先導するのは、赤・白一対の仮面神「イブクロ」である。


・イブクロは、先端に切り込みを入れた竹の棒をガラガラと引きずりながら歩く。そしてその棒で、参拝者や子どもたちの頭や腰などを軽く叩いたり、なでたりする。時には「まえは達者か?」とイブクロが老人の股間をつつき「まだ機能しておるわい」という村の翁の答えなどがあって爆笑を誘う。疫病祓い・子孫繁栄の儀礼である。


・これが「イブクロ」。赤が男神、白が女神という。イブクロという珍しい名称の由緒を知る人も少なくなっていたが、昔はイブクロはそれぞれ大きな袋(または籠)を持って商店などの門口に立ち、激しく竹の棒で地面を叩いた。するとその家のものは、米や餅、野菜などを供物として籠に入れたものである。それでその袋を何でも飲み込む胃袋と称したという伝承、また、その持ち歩いた袋のことを古くは「弓袋」と呼び、それがなまってイブクロとなったという説、また、この新田地区は「にゅうた」と呼ばれ神社も新田原古墳群に隣接することから、古代の「丹(に)」の生産があったのではないか、という推理などもあって面白い。ちなみにこの「ニブクロ説」を披露して下さった地元の郷土史家は、この近くには「丹(たん)」さんという姓の人が現存する。古代の「丹(に)」とは、「赤=朱色」を発色する顔料として珍重された。これにちなむ「丹生(にゅう=にう)」という地名は全国に分布する。イブクロとは「丹袋(にぶくろ)」ではないか、というのである。古代の「赤=朱」を入れた袋は、悪霊を封じ、幸を招く袋であった。


・イブクロは人気者。


・現代の神輿は軽トラックで移動する。


・近くの神社に着いたイブクロ。


・祭りの一行は、一日目は上新田地区に分布する神社を廻り(お下り)、お旅所に着いて一泊。二日目、下新田地区を巡って神社へ帰る(お上り)。祭り太鼓の音が色づき始めた稲田に響いている。

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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

れいれい
>ほかぽん さんへ
>懐かしい... への返信
私も今は実家は岡山で、自分は在米ですが、父が自衛隊だったので小学二年から高校卒業まで新田でした。このイブクロ、ほんっとーに怖かったの覚えています!!!トラウマレベルで、毎年イブクロがある日・時間帯は絶対に外に出ないって思ってました。(笑)今となっては本当に懐かしいです。そして今でもやってくれているのが本当に嬉しいです。
ほかぽん
懐かしい
愛知県在住ですが高校まで新田で過ごしました。イブクロの写真をみてとても懐かしい気分になりました。ありがとうございます!子供のころはただただ怖かった。これからも絶対残ってほしい。もっとたくさんの人に知ってほしい。
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