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森の空想ブログ

邪馬台国の南に狗奴国あり:「魏志倭人傳」を冷静に「読み解く」/和田清・石原道博:著 「魏志倭人傳・後漢書倭傳・宗書倭國傳・隋書倭國傳」(岩波文庫/昭和26年)[本に会う旅<38>]

 

・季刊邪馬台国139号の写真。インターネットの画面を撮影し転写。

     ☆

これだ。

やっと冷静な「魏志倭人傳」の「読み解き」が提出された、という感慨。

倭人伝を読み進むと、「狗奴国」(くなこく)という記述に到達する。そこは、女王の境界の尽きたその南にあり、男子が王であるとし、官名「狗古智卑狗」(きくちひこ)がおり、女王に属していないと記述される。さらに当時はこの地域が戦争状態にあったという記述がある。総攬すると当時の倭国大乱という状態、百余国という小国家乱立の時代相も浮かび上がってくる。これにより、狗奴国の所在は、「邪馬台国」の南という位置付けと、発音から熊本県球磨・菊池地方が比定されるのである。

さらに、「對蘇」「蘇奴」などという「阿蘇」にちなむ地名を連想させる国名があり、邪馬台国がこの近隣であることが示唆される。オラが村こそ邪馬台国という我田引水的邪馬台国説を一切消去して、当時の「クニ」を割り出してゆく作業こそ、邪馬台国の存在を明らかにする近道であろう。いわば学問の常道。そこへ立ち返れば、歴史の実相が明らかにされる日がくるだろう。そういう意味において、この学説は傾聴すべき価値がある。

堂々巡りの邪馬台国論争はいまだ決着せずに続いているが、私が邪馬台国の存在に興味を持ったのは、30年も前のことである。宮崎康平著「まぼろしの邪馬台国」がその契機であったことは、他の邪馬台国論者に準ずる。当時、入手できる限りの関連書籍(掲示写真)を読んだが、どの論も決め手に欠け、前述のようにわが郷土こそその地であるという郷土愛的論法と興味本位のマスコミ論法に翻弄されて、邪馬台国そのものが究極の「まぼろし」の領域に迷い込んでしまったのである。それで、以後は一切、邪馬台国論争からは目をそらし続けてきた。ただ、女王「卑弥呼」が「鬼道」を行う女性シャーマンであったこと、当時、すでに養蚕の技術と高度な絹織物の生産があったことなどは、無視できない。縄文時代に栄えた「土偶」や「土面」の文化がその後の日本列島の祭祀儀礼にどのような影響をあたえたのか、その結節点に「卑弥呼」と「邪馬台国」があるのかどうか。卑弥呼の時代に漢に献上された絹織物が、文献や神楽歌に残された天照大神の絹織りの技術と関連があるのかないのか。この二点は、邪馬台国の存在を抜きにしては語れないように思うのだ。

およそ30年ぶりに手にしたのは、この薄っぺらな一冊である。昭和26年初版だから、私が3歳の時に出ている。この一書は、当時の学説なども参照しながら、じつに冷静に、原書の訳文だけを掲載している。ゆえに、もっとも信頼できる資料である。これを読むと、朝鮮半島帯方郡から壱岐・対馬を経て松浦半島に至り、糸島、那の津(博多)、宇美地方(現在の宇美町)に至る道程と距離数、戸数などが正確に記録されていることがわかる。 

その後、「南へ水行20日」で投馬國に至る。官を彌彌といい五萬戸がある、と続く。その南、水行10日、陸行1月の処に邪馬台国があり、7萬戸を有すとある。この記述が果てしない論争の起点なのだが、それは専門家がこれほど議論しても決着がつかないのだから、棚上げしておくことにして、読み進むと、「隣国」と思われる21の国名に至る。その中に、「斯馬國」「己百支國」「群支國」「彌奴國」「好古國」「不呼國」「姐奴國」「伊邪国」とあり、「對蘇國」「蘇奴國」「呼邑國」「華奴蘇奴國」「鬼國」「為吾國」「鬼奴國」「邪馬國」「躬臣國」「巴利國」「支惟國」「奴國」という国名が続いた後、それ女王の境界の尽きる所なり。「その南に狗奴國あり、男子を王と為す。その官に狗古智樋卑狗あり、女王に属せず。郡より女王国に至る萬二千余里」と続くのである。

上記国名(地名)のうち、「投馬國」を「ツマ」「あるいは「サツマ」と読む解釈がある。「彌彌」を「ミミ」と読み、美々津、耳川、アメノオシホミミノミコトなど、日向地域に分布する地名・神名と重ねることが出来るのかどうか、「對蘇國」を「アソ」と読み「蘇奴國」を「ソナ」または「ソヨウ=蘇陽」と読み替えられるかどうか、さらに「呼邑」「投馬」を「コユ・ツマ」という西都原古墳群に一帯に分布する地名に当てはめられるのかどうか、「鬼國」とはどのような國なのか、等々の着目点がある。

*「狗奴國」を和歌山県熊野地方等を候補地とする異説もあるが、仮に邪馬台国を畿内としても、はるか葛城・吉野の山脈のかなたの熊野國と戦争をする状態は考えられないので、これは論外。他にも斯馬を志摩と読んだり、己百支を伊勢石城、彌奴を美濃などと読み取ったりなど、音の似たような国名を当てはめてゆく作業は意味をなさないと、この書の著者も言っている。

これ以上の深入りはやめ、議論は専門家に任せて、縮めて言おう。「倭国=博多・那の津近隣国」の宇美付近から南へ下る地域におよそ21国があり、邪馬台国に近接する。そのさらに南が女王国と男王国の境界であり、戦争状態がある。「狗奴國」とはそういう地域なのである。魏志倭人伝に記された一つ一つの国名を読み解いてゆく作業を重ねれば、当時の邪馬台国とその周辺の小国家群像があきらかになってくるのではないか。それにより、邪馬台国の位置そのものが特定されるのではないか。このたび出版された季刊邪馬台国「その南に狗奴國あり」という特集と、その後の研究に期待する由縁である。


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