ニューヨークでブティック[MIEKOMINTH]を主宰するミエコミンツさんが北インド・ベンガル地方で出会った布「カンタ」の作品群と、宮崎・友愛の森で活動を続けている「天の糸・森の色」の仲間たちによる「自然布・山繭紬・森の草木染め」の展示です。カンタに魅せられた日向市「蓮」のオーナー平坂津由子さんの企画。
「カンタ」とは、北東インドベンガル地方に伝わる優美な布。神への儀式や赤ちゃんのおくるみなど、生活に根差したアートとして知られています。500年もの歴史を持ち、刺繍・刺し子・更紗紋様の染めなど、多彩なデザインと繊細な感覚をあわせ持っています。素材は上質の木綿。ミエコさんは、現地に通い、当地の人たちとミーティングを重ねながら、この奇跡の手仕事を現代の生活アートとして創造し、提示してくれました。今回、「九州の民俗仮面」を展示した空間に見事にマッチしています。
「天の糸・森の色」の仲間たちは、宮崎県西都市茶臼原の大地・石井記念友愛社の一角で障がい者の自立支援施設の指導をしながら、森から得られる素材で自然布・山繭紬・森の草木染めなどの制作を続けている横田康子の技術を継承することを目的に活動しているグループです。アジアの布が出合い、爽やかな空気の通う空間となっています。
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私(高見)は40年ほど前から、日本の古布やアジアの布に親しみ、収集し・展示(由布院空想の森美術館:木綿資料館の活動)し、研究し、復元や生活の中に生かす仕事を続けてきたが、この「カンタ」の存在は知らなかった。というか、名前ぐらいは知っていたけれど、実物を手にする機会がなかったのだ。それが、いま、こうして九州の民俗仮面の並ぶ空間に展示され、一点一点を手に取り、また群像として眺めてみると、その美しさに感動する。経済が許せば、収蔵して、各地域で展開し始めた【空想の森アートコレクティブ】として巡回企画を組み立てたいとさえ思うのである。コレクター魂が揺さぶられるのである。
そのこと(経済の伴わない妄想)は棚に上げて、少しアートの歴史に思いを馳せてみよう。
19世紀のヨーロッパでは、宮廷画家や教会の装飾画家などが貴族の邸やキリスト教の教会を装飾していた時代を過ぎ、写真術の発明を経て「印象派」の時代が来ると、絵画は「心の表現」へと向かう。この時代の画家たちは、アフリカや東洋のアートに目を向け、例えばピカソやブラックやモジリアニはアフリカの彫刻、ゴッホやゴーギャンは日本の浮世絵、カンディンスキーやミロはアジアの布=テキスタイルの美しさに目をみはり、こぞってそれを芸術表現に取り入れ、そこから新しい時代の美の様式と価値観が生まれてきた。それを明治の文明開化と太平洋戦争の敗戦という二度の文化ショックを受けた日本の画家たちは、大雑把にいうと、ヨーロッパの美の概念を1世紀にわたり、「模倣」を続けたのである。このような美術の歴史は世界史の中に存在しない。それはかなり恥ずかしいことではないか。それからおよそ1世紀が経過した21世紀初頭という現代、日本の若者たちは、「はたして自分たちの拠って立つところ、この国の基層の文化とはいったい何なのか?」という自らの内部に対する問いを発し始めたのだ。ここにようやく、「自立=絵画のオリジナリティー」への芽が出始めたといえるだろう。であれば、今回の「カンタ」やアジアの民族アート、そして日本の伝統的美術品や民藝、民俗資料、各地域に残る伝承や儀礼などにも目を向け、足を運び、学び直す「とき」が来たと把握しても良いのではないか。後戻りではない、先駆でもない。歴史時間がぐるりと廻って、原点といえる地点に還って来たのではないか。私どもが暮らす森の中の古民家ミュージアムや、秘境と言われた椎葉の山奥の村に神楽や狩猟文化・染色文化、食文化などを訪ねて若者たちが集まり始めたのも、時代の必然といえる現象ではないか。
アジアの布たちが、深い思索の旅に誘ってくれる4日間の展示だった。
今後、何らかの継続を願って会期の閉幕を惜しみながらひとまず別れることにしよう。
*写真は平坂津由子さん、黒木彰子さん、松浦麻由子さん。