森の空想ブログ

漂泊するアート「空想の森アートコレクティブ展《第一期》」の最終地点/由布院空想の森美術館&芸術新社:漂泊にて②[空想の森アートコレクティブ展<VOL:4>]

五ケ月をかけて、各地を巡ってきた「空想の森アートコレクティブ展」が、第一期の終着地点となる「藝術新社:漂泊」へと帰ってきた。この建物は、津軽(青森県)の古い林檎蔵を移築したもので、2年ほど前から「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」として運営してきたものである。北の国の豪雪に耐える設計による構造美は、南国にはみられない魅力があり、それ自体がアートと呼べるような建造物なのである。ここに、昨年から米子(旧制・廣瀬)凪里さんが参入してくれた。凪里さんは、由布院駅アートホールの事務局兼アートディレクターとして赴任してきて、企画や運営の主力として活動していたのだが、3年前にリニュアルオープンした「大阪中之島美術館」のミュージアムショップ部門に抜擢され、関西での活動も目覚ましいものがあったのだが、いくつかの経緯を経て湯布院へ帰ってくることになり、その拠点としたのが、この林檎蔵ギャラリーだった。そこから、議論を重ね、今回の「空想の森アートコレクティブ」の構想へと集約したのである。昨年の「アートフェア・アジア・フクオカ」への私の参加と収穫もその契機の一つとなった。凪里さんは現在、関西と由布院を往復し、活発なアート活動を展開している大分のアーティスト仲間との縁も緊密なことから、方々へ出かけ、企画に参加し、多くの人と会い、忙しい。本人いわく、「屋号のとおり漂泊を続ける毎日」なのである。

それもまた現代のアートの一局面であろう。

「アートが漂泊・漂流している」という表現は大袈裟すぎるかもしれない。だが、この一年間、私は現代アートの最前線というべき「2023アートフェア・アジア・フクオカ」に参加し、そこで出会った縁により、目下アジアのアートマーケットの最前線となっているという台湾へ作品を送り、由布院・日田・高千穂・南阿蘇・宮崎を結んだ企画展を開催し、そこでの多くの出会いによる発見と学びがあったのだ。来月には私は76歳になる年寄りだが、学ぶという行為に終点はない。コロナ過で世の中全体が逼塞状態にあった時、「こんな時だからこそアートの歩みを止めてはならない」という合言葉がどこからともなく生まれ、地道な活動を続けてきた仲間たちもいるのだ。私はその間、中止となった「神楽」の里へ出かけることができなくなったため、ひたすら心象の風景を描いた。それもまた画風と画面の深化をもたらす契機となったものだ。

私は、短い周期で出かけ、また本拠へと帰るため、漂泊という観念はなく、「小さな旅に出る」という感覚でありそれがまた人生の楽しみの一つなのだが、行く先々での出会いには衝撃を受ける事例がある。

<その一>アート作品が売れない時代が来ている。各地で開催されるアートフェアは活況を呈しているが、それは「現代アート」と呼ばれるファンシーな画風の作品群に限定されており、それもすでに前年に高値を付けた作品群など、一部の暴落が始まっているという。

<その二>「現代アート」の作品群は、マンガやアニメに影響されたものを主力とする。ベトナムの作家も台湾や韓国、日本の若い作家までもが同じような調子の絵を描いている。これはオリジナリティーに欠けるばかりでなく、絵画芸術の将来性を危うくするものではないか。

<その三>公募展や美術館・アートギャラリーなどが行う展覧会芸術の限界が来ている。現に各地の美術館やアートギャラリーの閉館・閉鎖が相次ぎ、美術館の学芸員の退職も目立っている。これは外国のテキストを基にした画一的な企画と無機質な展示空間が鑑賞者の共感を得られなくなり、入館者の激減を招いているのである。

<その四>アート作品の価格構造が崩壊している。これはバブル期の暴騰や投機目的の「売り・買い」に走りすぎたための反動である。

<その五>「画商」や「コレクター」など、自分の「眼」と価値観をもとにアート作品を鑑賞したり、蒐集したりする階層が激減している。これは上記<その一>から<その四>までと同時代的共通項を持つものである。

以上、数え上げればきりがないが、この件についてはいずれ掘り下げた考察と議論の場を設定することにして、ここではこの「アートコレクティブ展」に関する情報に限定してコメントしておこう。つまり私は、現在進行中の「アートコレクティブ展」の手法が現代アートの方向性の一つとなるのではないか、という感触を得ているのである。社会から見捨てられ無価値のものとして排除されつつある空家や古民家が私どもにとっては無限の可能性と価値観を秘めた第一級の素材なのである。アートな手法でリフォームされ、そこに企画者の「眼力」「目配り」などを厳密にした作品を展示し、素敵なアート空間=生活アートの現場とする、そしてその建物そのものが芸術的価値を持ち、移住者の受け入れ拠点となり、「作品」としての価値水準を獲得する。これは、オーガニックなライフスタイルを求める世代の価値観と一致するものであり、次代のアーティストの制作・発表の現場ともなるものである。いま、各地で展開されつつある過疎地や疲弊した商店街、離島など、地域そのものがアートの現場となる事例をここにあげるまでもないだろう。もう一点、現代のアートに日本の伝統美術(アートアンティーク)、古民芸などを加え、コラボレーションを実現すること、を付け加えておこう。ここにもオリジナルの価値観の発見と技法が潜んでいることはいうまでもない。日本美術のマーケットには、まだ無尽蔵と言っていいほどの「在庫」があることを私は知っている。つい先日、私どもの身内が主宰する古美術のオークションで北斎の肉筆画が出て、たちまち高値がつき落札されたそうだ。

さて、前記の長い前置きをしたうえで、展示の解説にとりかかろう。個別の作品の解説については、いずれオンラインショップで公開する予定で整理中。

右端にこのアートコレクティブ展のシンボル的作品となった「谷川晃一/人間になった犬」を置いた。その手前に北九州の「上野(あがの)焼」の豪快な片口鉢など。左端に李朝の「唐箕(とうみ)」*手動式の穀物選別機。唐箕の原型ではないかという説。その背後に同じく李朝の「牛飼の図」。のどかな農村風景を髣髴する世界。

 

今回の企画から参加して下さった宮崎の作家・水元博子「七月に聴くジャズは」(油彩F30号)と九州派の作家宮崎準之助の木彫「座る女」(アートコレクティブ出展作ではありません)などを配置。


右端には琉球紅型の「首里城図」、戦火で焼失する前の首里城が描かれており、貴重な資料であるとともに染織美術としても出色の作。

右の壁に作者不詳の「椿図」(油彩)。西洋アンティークの棚に左から「高取焼・瓶子(江戸時代)」、「木彫・僧形八幡(推定鎌倉~室町頃)」「木彫・姫神(年代不詳・戦国~江戸頃か)」を配置した。どれもが違和感なく収まって安心。

この「藝術新社:漂泊」と「アートコレクティブ展」のようなコーディネートは現代アートの集まるアートフェアにはなじまないだろう。あるいは対極に位置する価値観かもしれない。そのことを前提に、私は多くのアーティスト仲間と同様にアートフェアのあり方については多少の疑念を抱くものだが、その将来については主催者たちの判断によるもので私どもの口出しする領域ではない。

私どもの目の前で活発に活動する凪里さんのように、現場のアーティストに会い、「場」の状況や条件を把握して企画を組み立て、さらなる企画とアーティスト・表現者たちとの連携につなげてゆくこと、その集積こそが次の時代の扉を開く鍵になることは間違いない。アートディレクターとしての自立を目標に「漂泊」を続ける米子凪里さんの行動そのものを、現代のアートとして見つめ続けてゆこうではないか。


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