大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

労働者自主福祉運動のすすめ(15)

2015年09月08日 | 労働者福祉

全国的にも希な統一組織として結成された「県労会議」は、共産党主導の極左勢力に対抗するため、民主的な労働戦線の拡大を図るため「静岡県労働組合民主化懇談会(民労懇)」を結成します。
この民労懇を母体として「静岡県産業再建共闘会議」を結成し、民主化勢力はさらに勢いを増していき、共産党の影響下にあった組織は壊滅していきます。
そして1951年3月に県評結成準備会が持たれ、その運動と並行して、労働金庫の事務所を兼ね備えた労働会館の建設推進委員会も設置されます。
この準備会の事務局長には後の労働金庫専務に就任する竹本正晴氏(繊維)が就任しています。

1951年11月「県評結成大会」が開かれ、労働会館の建設と労働金庫設立の運動方針が提案され、決議されます。
1952年「静岡県労働金庫設立準備世話人会」が設立、議長に竹本正晴氏が選出され、県知事に対して2つの申し入れを行いました。
1、労金の実務を担当でき、労組運動に理解のある金融専門家を推薦願いたい。
2、設立準備のための諸費用を相当額(50万円)援助願いたい。
そして県内各地区で労組会員と懇談会を持ち、労働金庫に対する出資金の要請活動を行いました。

この要請に対して、静岡県からは次のような力強い後援をいただきます。
1、金融専門家として、静岡銀行出身の諸田耕一郎氏を推薦する。
2、助成金として30万円の援助をする。

準備期間中、準備委員はもちろんですが、県労政課の協力も並大抵ではなかったようです。
静岡財務部や名古屋財務局、労働省、大蔵省と、委員の皆さんはお百度を踏むように駆けずり回りました。
こうして多くのみなさんの支援を受けて、1953年3月「信用協同組合 静岡県労働金庫」が誕生します。
初代理事長は相川久吉氏(全日通)、専務理事は諸田耕一郎氏(静銀)でした。
創立当時の職員は総勢10名、旧・労働会館(静岡市昭和町)の1室を本部として、浜松・三島・吉原の労政事務所に職員を配置しました。

政治的アプローチも実を結び、県からは40万円の創立助成と無利子の預託金500万円を受けます。
各市町からも公金預託を受け、労組会員組織では一人100円の定期積み金運動が起こりました。
貧しい労働者への住宅資金融資に躊躇する銀行を尻目に(労金業界でも早い段階で)、静岡県労働金庫が住宅資金貸出を始めたことで存在意義があらためて認められ、県からの住宅利子補給も決定されます。
ただし当初は資金も限られていたので、利用者は住宅預金を半年間積み立てることを融資条件としました。

静岡県労働金庫のスピリットは全国でも群を抜いていました。
それもこれも事業団体の努力もさることながら、県内労働団体や県をはじめとする行政との良好な関係性や、各級議員の力強い支援があった賜物だと思います。