大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

労働者自主福祉運動のすすめ(14)

2015年09月03日 | 労働者福祉

中央の運動に呼応して静岡の歴史も動きますが、その歩みは多少異なります。
これまで学んできたように、中央ではまず労働金庫が出来る前に「物対協」があり、労働金庫創立と時期を同じくして「福対協」に組織再編され、その組織が現在の「中央労福協」になっていきます。

これに対して静岡県の場合は、労働金庫設立後に「福対協準備会(福対協)」として発足します。
「福対協」はまず労働金庫から斡旋物資購入資金を借りて、物資の斡旋販売を始めました。
この物資斡旋事業は大好評でした。

「福対協」では、この「物資斡旋事業」も含め、3事業の独立化を図っていました。
「火災共済事業」と「労働質庫事業」です。
後に、この3事業はそれぞれ独立していきます。

「物資斡旋事業」は、「遠州生協・中部生協・東部生協」などの地方生協や「学生協」「職域生協」を生み出し、1967年には他組織と共同して「県生協連」が設立されます。
「火災共済事業」からは、難産の末に「静岡労済」が生まれ、現在の「全労済静岡県本部」となります。
異色なのは「労働質庫事業」ですが、当時は未組織労働者に対して労働金庫からの融資の道も閉ざされていました。
労金法の縛り(団体主義)があったからです。
そのため人々は闇金か質屋の世話になっていました。
そこで低利の「労働質屋」を開くわけですが、福対協が衣替えした「労福協」の設立で労金への道が開かれ、そして「勤信協」が設立されます。
こうして3つの事業体は大きく育っていきました。