大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

エジプト新憲法

2014年01月17日 | 日記
紆余曲折の末、15日の国民投票でエジプトに新憲法が誕生しました。
事の発端は2010年12月17日北アフリカの小国チュニジアでの出来事から始まります。
名もない露天商の一人ムハンマド・ブーアジジのぞっとするような焼身自殺が火をつけました。

ブーアジジは年老いた両親と弟妹を抱え、荷車引きの仕事で生計をたてている貧しい労働者です。
いつも地元の警官にいじめられ、侮辱され、賄賂をせびられていたブーアジジは、何かの理由で荷車を没収されてしまいました。
役所に抗議しに行きますが、たらいまわしにされてしまい埒があきません。
最後に彼は知事公舎を訪ねますが、守衛に追い返されてしまいます。
堪忍袋の緒が切れたブーアジジは、ガソリンを買うと、知事公舎の前で身体に油をかけて火を着けました。
ブーアジジの焼身自殺は不満を持つ多くの貧しい国民の怒りを呼び起こします。
瞬く間に国中にデモ行進が起こり、焼身自殺の4週間後には、首都チュニスに何十万人ものデモ参加者が集結します。

チュニジアの反乱がアラブ世界の民主化運動の先頭を切りましたが、その影響はエジプトにも及びました。
(このあたりは「南町の独り言中東の不穏な動き」をご覧ください)
エジプトでは1981年イスラム過激派に暗殺されたサダト大統領の後を受けて、当時副大統領だったムバーラクが昇格し20年以上に渡って強権政治を維持していました。
ムバーラク大統領は対米協調外交を図り、イスラム主義運動は厳しく弾圧してきました。
チュニジアのジャスミン革命がエジプトに波及し、2011年2月ムバーラク大統領は辞任します。
その後就任したムルシー大統領はイスラム色の強い憲法を国民投票を経て成立させます。

しかし大統領選挙そのものが違憲であったとする勢力や、軍部によるクーデターでムルシーは2013年7月辞任します。
現在暫定大統領はおりますが、これから議会選挙や大統領選挙を通じてエジプトが民主化するのかイスラム化するのか大変興味深いところでもあります。
ちなみに15日に制定された新憲法は、イスラム色を廃し、軍の独立性を強化したものだそうです。

チュニジアやエジプトを通して、私は日本の政治的堕落を感じてなりません。
国の行く末を思うと、議会制民主主義の基本である投票権をおろそかにしている実態や、政治的無関心がたまらなく不安でなりません。
彼の国々では多くの国民の血を流しながら自由を追求しようとしているのに…わが日本では我がままで無責任で無秩序な自由がまかり通っていることに…