くにたち PEACE WEB

東京・国立市の平和運動のネットワーク
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戦争中の多摩の姿と生産管理闘争、砂川闘争

2007年12月15日 | その他
(↑)下谷保村から自由民権運動に加わった本田家

三多摩民権運動史 第4回(最終回)

戦争中の多摩の姿と生産管理闘争、砂川闘争

  日 時 2007年12月15日(土)13:00~
  場 所 スペースF(明和マンション西側)
  講 師 佐藤文明さん(フリーライター、戸籍制度を研究、『未完の多摩共和国』ほか著書多数)
  参加費 500円
  主 催 スペースF(042-573-4027/火曜日~土曜日、13時~17時スタッフ在中)

平和運動、環境運動、労働運動、そして自由民権運動、多くの市民運動、住民運動のうねりを作り出してきた三多摩地域。都心とは違う独自の運動を形成してきた風土と歴史を、「民権運動」の視点から討論しながら深めていくのが講座の目的です。
歴史に興味がある人も、運動に興味がある人も、地元に興味がある人も、どなたでもお越しください。

大正デモクラシーが終わり、多摩民権運動が鳴りを潜める。
測ったように起こった関東大震災(東京壊滅)は、北多摩の宅地ブームに火をつけ、最新鋭工場(中心は航空機産業)の多摩進出(疎開=租界)を生み落とした。東京市の後ろ支え(後背地)であるとともに日本を支える軍需センターである。帝都構想は、この多摩の帝都からの切捨てだったため、三多摩壮士の抵抗が始まる。でも「民権の多摩が自治を否定するような論陣を張っていいのか」との悩みもあった。

敗戦はこの矛盾を一気に取っ払った。自ら自由・自主・自治を勝ち取ればいいのだ。
多摩の最新鋭工場のいくつかは生産管理闘争に立ち上がった。この闘いの敗北は、解放軍アメリカの幻想から多摩人を目覚めさせる。三多摩メーデーの赤旗は、そのまま、砂川基地拡張反対闘争へと流れ込む。多摩は伏魔殿・東京都制による三多摩格差に抗して、三多摩革新ベルト地帯を形成していく。民権の風は吹いていた。

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18時ごろ~ 居酒屋F(忘年会)
  特別企画:マジック凛のマジック・ショーつき
参加費(食事代+1杯) 1000円  
★居酒屋F、今回は忘年会を兼ねて行います。
そして今回は、喫茶店ナジャ等各所で主宰中のマジック教室が好評のマジシャン「マジック凛さん」が、 新たにスペースFスタッフに加わったことを記念して、なんとマジック・ショーつき(投げ銭制)です。 なべ料理、ごはん、ビール・酒等はスタッフで用意しますが、その他のメニューは皆さんの持ち寄りに期待しております。


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