2016年も暮れとなり、
ご挨拶をかねて埼玉県熊谷の“文殊寺”に参拝。
三箇日に比べれば境内は落ち着いている。
この文殊寺は学問の神様として知られている。
境内には合格祈願の書かれた絵馬あり、
本堂には千羽鶴がいくつも掲げられている。
そんな文殊寺は、かつて“館”として機能した時期があった。
居館したのは増田氏とされる。
が、詳細はよくわかっていない。
享徳の乱の時代に築かれたとするが、果たしてどうだろうか。
ちなみに、文殊寺の中興開基は「増田重富」となっている。
境内の裏手に足を伸ばせば、
館を偲ばせる堀跡が残っている。
往古は深く張り巡っていたのだろうが、
現在は子どもの足でも上り下りできる深さと幅になっている。
落ち葉が積もっているせいか、堀に下りるとフカフカしている。
息子も一緒に連れて行けばおぼつかない足取り。
風に吹かれて舞い転がる葉っぱに笑っていた。
そういえば文殊寺の仁王様(阿)を見ても笑っていた。
仁王様の何が息子の心をくすぐったのだろう。
近くには2匹のネコが休んでいた。
サムライの化身にしてはのんびりしている。
眠そうな目で僕らを見ていた。
お寺と館跡。
すぐ隣には立正大学の敷地が広がっている。
年明けには多くの受験生たちが参拝に来るに違いない。
ご挨拶をかねて埼玉県熊谷の“文殊寺”に参拝。
三箇日に比べれば境内は落ち着いている。
この文殊寺は学問の神様として知られている。
境内には合格祈願の書かれた絵馬あり、
本堂には千羽鶴がいくつも掲げられている。
そんな文殊寺は、かつて“館”として機能した時期があった。
居館したのは増田氏とされる。
が、詳細はよくわかっていない。
享徳の乱の時代に築かれたとするが、果たしてどうだろうか。
ちなみに、文殊寺の中興開基は「増田重富」となっている。
境内の裏手に足を伸ばせば、
館を偲ばせる堀跡が残っている。
往古は深く張り巡っていたのだろうが、
現在は子どもの足でも上り下りできる深さと幅になっている。
落ち葉が積もっているせいか、堀に下りるとフカフカしている。
息子も一緒に連れて行けばおぼつかない足取り。
風に吹かれて舞い転がる葉っぱに笑っていた。
そういえば文殊寺の仁王様(阿)を見ても笑っていた。
仁王様の何が息子の心をくすぐったのだろう。
近くには2匹のネコが休んでいた。
サムライの化身にしてはのんびりしている。
眠そうな目で僕らを見ていた。
お寺と館跡。
すぐ隣には立正大学の敷地が広がっている。
年明けには多くの受験生たちが参拝に来るに違いない。