いまから5、6年前のこと、
「変なものがある」と教え連れてこられたのが、
“玄奘三蔵霊骨塔”だった。
『西遊記』に登場する三蔵法師の遺骨がそこに眠っているという。
中国風の門を潜ると、十三重塔がそびえ立っていた。
小さな公園のような場所になっていて、
確かに「変な」ような気がした。
しかし、その隠れスポット的な雰囲気は好きである。
三蔵法師とは実在した高僧で、
昭和17年にその遺骨が日本人の手によって偶然発見された。
その一部が日本にやってくると、
岩槻(現さいたま市)の“慈恩寺”に奉安された。
玄奘三蔵は唐の大慈恩寺にゆかりがあることと、
岩槻の浄国寺の仏眼舎利宝塔に安置されている仏眼舎利は、
玄奘三蔵が天竺に渡った際に拝領したものが、
巡り巡ってこの地にやってきた一部だという言い伝えがあるがために、
玄奘三蔵ゆかりの地として、遺骨が奉安されたのだろう。
ちなみに、浄国寺の仏眼舎利は羽生城将“菅原為繁(直則)”も、
一部携わっている言い伝えがある。
玄奘三蔵は僧であり、知識人である。
経典に対する疑問と真義を見いだすため、
原典を求めてインドへと旅立った。
629年(貞観3年)秋8月、
このとき玄奘三蔵は26歳だった(諸説ある)。
そして、帰還後は教典の翻訳に没頭する。
このとき多くの翻訳を完成させたのが大慈恩寺だった。
三蔵法師の書いた旅行記『大唐西域記』が『西遊記』の題材になり、
日本でもなじみ深い。
『西遊記』のアニメ版などでは中性的に描かれているが、
ぼくは“インディー・ジョーンズ”を彷彿とさせる。
国外への外出が許されない中、
好奇心と向学心に溢れ知の旅へと赴いた三蔵法師は、
かなり熱い知識人である。
そんな三蔵法師の遺骨が埼玉県に眠っていることは、
意外ではないだろうか。
地元の人にも「なんか変」と言われるこの意外性。
十三重塔の前で手を合わせれば、
天竺でなくとも、知の旅へと導いてくれるだろう。
玄奘三蔵の遺骨の眠る十三重の塔(埼玉県さいたま市)
写真は夜でどこか物々しいが、
日中に行けばさわやかで綺麗な場所である。
「変なものがある」と教え連れてこられたのが、
“玄奘三蔵霊骨塔”だった。
『西遊記』に登場する三蔵法師の遺骨がそこに眠っているという。
中国風の門を潜ると、十三重塔がそびえ立っていた。
小さな公園のような場所になっていて、
確かに「変な」ような気がした。
しかし、その隠れスポット的な雰囲気は好きである。
三蔵法師とは実在した高僧で、
昭和17年にその遺骨が日本人の手によって偶然発見された。
その一部が日本にやってくると、
岩槻(現さいたま市)の“慈恩寺”に奉安された。
玄奘三蔵は唐の大慈恩寺にゆかりがあることと、
岩槻の浄国寺の仏眼舎利宝塔に安置されている仏眼舎利は、
玄奘三蔵が天竺に渡った際に拝領したものが、
巡り巡ってこの地にやってきた一部だという言い伝えがあるがために、
玄奘三蔵ゆかりの地として、遺骨が奉安されたのだろう。
ちなみに、浄国寺の仏眼舎利は羽生城将“菅原為繁(直則)”も、
一部携わっている言い伝えがある。
玄奘三蔵は僧であり、知識人である。
経典に対する疑問と真義を見いだすため、
原典を求めてインドへと旅立った。
629年(貞観3年)秋8月、
このとき玄奘三蔵は26歳だった(諸説ある)。
そして、帰還後は教典の翻訳に没頭する。
このとき多くの翻訳を完成させたのが大慈恩寺だった。
三蔵法師の書いた旅行記『大唐西域記』が『西遊記』の題材になり、
日本でもなじみ深い。
『西遊記』のアニメ版などでは中性的に描かれているが、
ぼくは“インディー・ジョーンズ”を彷彿とさせる。
国外への外出が許されない中、
好奇心と向学心に溢れ知の旅へと赴いた三蔵法師は、
かなり熱い知識人である。
そんな三蔵法師の遺骨が埼玉県に眠っていることは、
意外ではないだろうか。
地元の人にも「なんか変」と言われるこの意外性。
十三重塔の前で手を合わせれば、
天竺でなくとも、知の旅へと導いてくれるだろう。
玄奘三蔵の遺骨の眠る十三重の塔(埼玉県さいたま市)
写真は夜でどこか物々しいが、
日中に行けばさわやかで綺麗な場所である。
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