クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

その“沼”は過去の記憶を映す? ―見沼代用水路と藤間の沼―

2010年06月10日 | 利根川・荒川の部屋
高校時代、ヘラ師の血が最も騒いだ“沼”は、
行田市藤間にある。
そこは禁漁区で、釣り糸を垂らしたことは一度もないが、
初めて見たときの衝撃は忘れられない。

狭い道を通っていたとき、
突如目の前に現れたのがその沼だった。
近くに住んでいる同級生がいなかったら、
ぼくはずっとその沼を知らないままだったかもしれない。

保育園の前に水を湛え、
夏になると蓮の葉が水面に浮かんでいる。
岸辺には雑草や樹木が生い茂り、
護岸されていない自然的な沼を愛する者には、
心をくすぐられると思う。

いまでこそ“沼”なのだが、
実はそこは“見沼代用水路”の旧河道である。

見沼代用水路は、新田開発のために“井沢弥惣兵衛為永”が掘削した用水路。
京保13年(1728)に完成した。
いまでも使用されており、
コンクリートで護岸された用水路が直線的に伸びている。

しかし、往古は蛇行していたことが、藤間の沼を見てもわかる。
『新編武蔵風土記稿』の藤間村の項を見ると、
「星川 村の西南を流る 川幅十四間」とある。

近隣だと、騎西町(現加須市)にも旧河道の沼が残っており、
往時を偲ぶことができるだろう。
見た目には単なる沼かもしれないが、
見沼代用水路という関東最大級の農業用水の歴史が、
静かな水面と共に湛えられていると言える。

ちなみに、沼のことを考えていたせいか、
夢の中に同級生が出てきた。
最後に会ってから10年以上が経っているせいか、
その人もぼくも高校生のままである。

夢の中のその人は、教室の机に座って授業を受けていた。
周囲には、見慣れた同級生の顔。
その人が、いまどこでどう過ごしているのかは知らない。
最後にもらった年賀状には平穏に暮らしていることを伝えていたが、
いまでも変わらず息災だろうか。

藤間の沼は、高校生だった頃と変わらずそこに佇んでいる。
ふと水面を覗けば、
ぼくたちがそこを通り過ぎた記憶が映るかもしれない。
あるいは、かつてそこが川だった頃の記憶が……

時は否応なく過ぎていく。
教室で当たり前のように顔を合わせていた同級生は、
日常から遥か遠い。
夢の中で過ごした教室は、夢の如しである。
過去に戻りたいわけでも、
変わることに抗うわけでもないが、
藤間の沼はずっとそのままでいてほしい。



見沼代用水路



見沼代用水路の旧河道である藤間の沼(埼玉県行田市)

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