クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

歴史秘話「ヒストリア」、“和泉式部”の恋はなぜ永遠か? ―かな文字―

2009年09月03日 | ブンガク部屋
いつの時代も恋多き女性はいる。
しかし、それを“文学”に昇華させた女性は何人いるだろう。

歴史秘話「ヒストリア」(NHK)で“和泉式部”が取り上げられていた。
平安中期の女流歌人として著名だが、
恋多き女性としても知られ、
“藤原道長”には「うかれ女」と評されたほどだった。
帥宮との恋愛を綴った『和泉式部日記』は文学史に登場するし、『大鏡』にも、

 とをつらの馬ならねども君乗ればくるまもまとに見ゆるものかな

と、帥宮とのエピソードと和泉式部の和歌が綴られている。

“和泉守橘道貞”や“弾正宮為尊親王”との恋愛遍歴を送った和泉式部だが、
なぜその恋心を文学に昇華できたのだろうか。
それは、当時発達した“かな文字”の存在を無視できない。

周知のように、現在当たり前のように使っている平仮名や片仮名は、
平安時代初期に成立した。
日本史の教科書にも登場するいわゆる“国風文化”である。

かな文字の登場は文芸革命だった。
それまでは日本固有の文字がなかったために漢字・万葉がなを用い、
9世紀前半には漢詩文が流行していた。
いわば、そこは男の世界と言えよう。

漢詩文を駆使する女性がいないわけではなかった。
ただ、女性の繊細な感情を表現するには、
漢字はその魅力を十分に引き出すことはできなかった。

ところが、かな文字の成立により、
女性の自己表現力は飛躍することになる。
それは女性だけではない。
和歌が再び盛んになると『古今和歌集』が編まれ、
『竹取物語』や『土佐日記』など物語・日記文学が花開く。

もし、かな文字が成立しなかったならば、
今日のブログの流行もなかっただろう。
紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』も、
かな文字だからこそ表現できた文学であった。
和泉式部の恋心も、
かな文字がなかったら文学に昇華することもなく、
いまに読み継がれることもなかったに違いない。

文字や文体の変化は、
文学に大きな革命を起こす。
明治期に言文一致で書かれた“二葉亭四迷”の『浮雲』もその例だ。

いまでこそ文章は口語体で書かれるのが当たり前だが、
二葉亭四迷はロシア語にしてから言文一致の口語体で書くという
並々ならぬ苦労があったという。
そのためか、『浮雲』は未完で終わっている。

あまり読まれていない小説ではあるが、
当時としては画期的であり革命だった。
田山花袋が『蒲団』を書き、
己の内面を赤裸々に告白できたのも、
言文一致の文体が大きく影響している。
私小説の流行も、口語体なくしてはあり得なかっただろう。

ちなみに、和泉式部が生きた時代の一般庶民は、
文字を書くことはほとんどできなかった。
和歌の才気あふれる和泉式部は、
さぞや知的で魅力ある女性に見えたことだろう。
男たちが夢中になるのも頷ける。

恋多き女性は好きだろうか?
それとも道長のように「うかれ女」とからかうだろうか。

数多の恋をするのというのも、
ひとつの才能に違いない。
それだけの魅力と、感受性が備わっている。
しかし、そこから一歩ぬきんでて、
文章にしたり、あるいは歌にしたりする自己表現に転換すれば、
その美しさや恋は永遠になるかもしれない……。

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