クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

田舎教師の銅像をどの角度から眺める? ―羽生文学散歩(15)―

2016年09月11日 | ブンガク部屋
羽生市弥勒には“田舎教師の像”がある。
法元六郎の手による銅像だ。

パンフレットなどでよく使用される銅像でもある。
主人公のモデル小林秀三より、
銅像の写真の方が多く使用されているかもしれない。

小林秀三は小説のモデル。
銅像は「田舎教師」のイメージ像。
この銅像を目にして『田舎教師』を読むと、
思い描く主人公の造形に多少影響があるだろうか。

銅像は24時間いつでも見ることができる。
昼に見てもよし、深夜に訪ねてもよし。

今回の文学散歩では、時間の都合で車中からの見学だった。
歩いてじっくり見てもいいし、
車中から眺めてもいい。
正面からではなく、背中や横から眺めるのを好む人もいるだろう。

羽生駅から田舎教師の銅像まではだいぶ距離がある。
歩いて1時間で着くだろうか。
そういう次元。
それでも歩いて銅像を訪ねる人はいるらしい。
そのとき銅像はどんな表情で来訪者を迎えるのだろうか。

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1 コメント

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我が家の歴史的発見 (チョー坊)
2017-07-05 03:42:24
花柳病に罹患して亡くなるのか忘れましたが、最期を迎える時に日露戦争の戦勝祝いの喧騒が聞こえてくるんですよね……
私の曾祖父も奉天の会戦で戦死しました。先頃仏壇に手を合わせ経を唱えたところ、不思議なお告げを感じて十年以上入ってない物置になんとなく行き古びた箱を見つけました。
その煤ぼけた木箱をあけると、毛筆書きの手紙やら地劵証に混じって先祖の記した日記の類が出てきました。和紙を綴った大福帳のような日記を手に取ると「武蔵野国持田村 中組」と表紙に筆書きしてある。『 武蔵風土記稿』に持田村は上中下の組に別れていたとある。日記は現代人には読みずらい、何とか解読できたのは、官軍に米を二俵差し出したこと、安政の大地震があったことだけでした。曾祖母の話に先祖が官軍に忍城を開城する時に、床下を掘り米を隠し忍の殿様と逃げる、と言っていたと聞いたことがある。先祖は御家栗田流を寺子屋で習ったらしい。古文書は歯が立ちません、万葉仮名で読み書き出来たのが信じられません。
曾祖父の時代の手紙ですら、筆書きで漢文調のもあって、読みずらいです。
先生は古文書の資料もお読みになられるのでしょう。すごい、すごすぎです!
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