クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

待つよりも待たせる方がつらい? ―コトノハ―

2018年06月28日 | コトノハ
三鷹の禅林寺では、毎年6月19日に太宰治の死を悼む「桜桃忌」が催される。
2018年は太宰の没後70年に当たる年。
特集を組む雑誌もある。

2018年6月19日、
この日僕は高熱を出して寝込んでいた。
桜桃忌どころではない。
風邪では手も足も出なかった。

学生時代、太宰好きの友人と桜桃忌に足を運んだことがある。
噂通り、若者の墓参者が多かった。
あの頃、僕らもそんな「若者」の一人に数えられたのだろう。
いまも太宰治は新しい読者を増やし続け、
一度はまったら、はしかのように熱にうなされるその魅力は変わらない。

さて、太宰治のよく知られた逸話を一つ。
金欠なのに熱海で仕事をしていた太宰のもとに壇一雄が訪ねた。
妻の初代に頼まれて、太宰を家に連れて帰るためだった。

ところが、壇はその場に留まってしまう、
一緒に宿代の借金を重ねるという有様だった。

このままでは仕方がないと思ったのだろうか。
太宰は壇を人質として東京に帰る。
金を作って必ず戻ってくる。
そう壇に約束をした。

しかし、太宰はいつになってもやって来ない。
手紙の一つも寄越さない。
耐えかねて、見張り付きで東京に戻ることにする。
そして、太宰の師である井伏鱒二のところへ行くと、
のんきに2人で将棋を指していたという。

壇は抗議する。
あんまりではないか、と。
すると太宰はこう言った。

  待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね。

さすが「お道化」名人の太宰治。
妙な理屈を返してくる。
ちなみに、太宰の代表作の一つである「走れメロス」は、
この体験が元になっているという。
メロスは太宰治、セリヌンティウスは壇一雄ということになろうか。

この逸話は、案外心に思い浮かぶことが多い。
特に、何かを待っているときによく思い出す。

なかなか連絡が来ないとき、
時間になっても人が来ないとき、
約束の日を過ぎても音沙汰がないとき、などなど。

待っている身としては、全くもって落ち着かない。
辛い。
イライラする。

短くてもいいから、一報さえ入れてくれれば安心する。
でも、何のアクションもない。
いかがしたものか……。

いや、待たせている相手の方がもっと辛いのかもしれない。
ふと思い浮かぶ太宰治の逸話。

溜飲が下がるわけではない。
でも、少しだけ寛大な気持ちになる。

それが良いのか悪いのかわからない。
催促をすべき案件はある。
ただ、太宰を介して待たせている相手のことを考える余裕ができるのだ。

確かに、待たせる方も辛い。
落ち着かないし、ソワソワする。

とはいえ、大物になると相手を待たせようと何も動じないのだろうか。
人質に壇一雄を宿屋に置いて行った太宰治。
待たせていた彼が、本当に辛い気持ちでいたかどうかは、
もはやわからない。

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