クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

子はわからぬ父の二十歳の写真

2024年01月07日 | コトノハ
羽生市の「二十歳の集い」(成人式)は、産業文化ホールで開催された。
ので、出勤する。
今年は受付係を担当。
昨年は新型コロナにかかって迷惑をかけたので、万難を排して臨んだ(つもり)。

仕事の都合上、毎年のように成人式を目にする。
そのたびごとに、二十歳の自分と再会する。
髪を染め、ピアスをして、タバコを吸っていたあの頃。
まるで別人である。
その頃の写真を子に見せたら、父親がどれかわからなかった。

二十歳の子たちに、もはや知っている顔はない。
知っている顔があるとすれば、同伴の保護者の方だろう。
子どもが二十歳を迎えた同級生を何人か知っている。
それが自然な年齢に達してしまった。
今回は知っている顔は見当たらず。
たまたまか、単に気付かなかっただけか……。

式は無事に終わり、昼に解散となる。
そのまま羽生図書館へ足を運ぶ。
今年初めての入館。
「二十歳の集い」の華やかさと賑やかさとは異なり、館内は地味でとても静か。

書架を見て回る。
いま、心の琴線に触れるのが何なのか、意外な書架に着地する。
が、よく考えればそうでもなかった。
自分が10代だった90年代に端を発している。
遠く離れても、いまだ過去とつながっている。
過去が現在を照射する。

一旦帰宅。
案外疲れていたらしく、ウトウトする。
録画した「映像の世紀 プレミアム」を息子が観始めたので、つい引き込まれてしまう。
東京オリンピックの開催年の映し出したもの。

過去の積み重ねの上にいまがあるということがよくわかる。
時間の大きな流れと、うねりを感じるのが好きだ。
それは命の熱さに触れるからなのかもしれない。
現在、命を燃やしている我々はどんな未来を築いていくのか。
「映像の世紀」はそんな問いを投げかけてくる。

二十歳の子たちが二次会を始めたであろう時間帯に加須中央図書館へ行く。
やはり静か。
琴線に触れる本を手に取ってキーワードを拾っていく。
少し書き物もした。
が、考えは迷走し、まとまらない。

今夜からスタートの大河ドラマ「光る君へ」を観る。
意外と、息子と娘は最後まで黙って観ていた。

「お前が男に生まれればよかったのに」
そんなセリフが出てきた。
ドラマ終了後に『紫式部日記』を開き、その根拠となっている記述を子らに見せる。
ドラマとはいえ、歴史ものは資料を基に描かれている。
そのことを肌で感じてもらおうとしたが、時期尚早か。
大きくなって思い出してくれればよい。

ついで、久しぶりに『藤原道長「御堂関白記」』(講談社学術文庫)を開く。
以前買ったきり読み通しておらず、使ったこともない。
始まった「光る君へ」をきっかけに、脳が「あれ、ここは重要じゃね?」と反応するようになるだろうか。
と、思うのは『すごい脳の使い方』(加藤俊徳、サンマーク出版)を読んだから。
この本は、大人になっても学び続ける人にとってはヒントをもらうだろう。
生涯学習社会の観点からも参考になる。

二十歳という年齢を、「もう」と思うか「まだ」と感じるか。
一つのゴールと感じている二十歳は少なくないかもしれない。

では、いま自分が置かれている立場はどうか。
「まあいっか」と思うか「まだまだ」と意気込むか。
どちらでもいいと思う。
ただ、後者を選ぶ人は、未来を変えていく可能性が高い。
現在、この瞬間、どれだけやるか。
思い描く像が未來へ結びつていく。
40代半ばの自分には耳の痛い話ではあるが。
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