クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

深谷の“上杉憲盛”と羽生の“木戸忠朝”の駆け引き ―おうち戦国―

2023年01月29日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
『大日本史料 第十編之三』にも収録されているのちの羽生城主木戸忠朝の仕事。
それは、上杉謙信の命を受け、深谷城主上杉憲盛を謙信方に引き込むというものだった。

武田信玄の駿河進攻により、武田・北条・今川の三氏間で結ばれていた三国同盟が決裂し、
急遽北条と上杉の両氏が手を結ぶという転換期における仕事だったことになる。

元々、憲盛は永禄三年には謙信に属し、翌年の小田原城攻めには参陣していた。
しかし、北条勢が徐々に勢力を挽回していくと、憲盛は謙信から離反。
一方、羽生城主広田直繁は一貫して上杉方の態度を保持しており、
弟の忠朝もその身を皿尾城に置きながら兄と足並みをそろえていた。

上杉憲盛の上杉方への従属は、謙信が羽生城に課した任務だった。
謙信から広田直繁へ、その後忠朝に指示がいったのだろう。
この任務に実質的に動いていたのは忠朝であり、その配下には佐藤筑前守がいた。

『大日本史料』では「上杉輝虎、武蔵深谷城主上杉憲盛ト好ヲ結ブ」という綱文のあと、
木戸忠朝が河田長親に宛てた書状を収録している。
この書状に、当時の忠朝の仕事が書き記されているわけである(『歴代古案』)。

 態以使申上候、抑先日深谷之義、引付可申段、御内意之上、両使差越申、意見申候之処ニ、
 被任其儀、此度以両使被仰展候、依之、佐藤筑前守為案内者指添申候、深谷之義、
 殊ニ古河・栗橋之様子、以条目申上候、此等之旨、可預御披露候、恐々謹言
    七月十五日           木戸伊豆守
                       忠朝
     河田豊前守

これに合わせて、上杉憲盛自身も同月同日付で印判状を作成しており、
同じく河田長親へ送ったようである(「上杉家編年文書」)。

 去頃木戸伊豆守、広田出雲守以使被申宣候砌、拙者身体之事、屋形御内證御懇切之由、
 彼地へ自其方承候段、被申越候、誠以忝本懐候、憲政御家督御与奪、吾等儀於当国
 穢御幕候間、相へ被聞候條、一廉有之様御取成偏憑入候、知行方之儀、存分之通、善應寺、
 渋江大炊助以両使申宣候、能々被聞召届、御披露任入候、木戸被差副案内者候之間、
 定自彼方、此等之趣可被申届候、恐々謹言
    七月十五日             憲盛 居判
     河田豊前守殿

ここには、さんぬる頃に木戸忠朝と広田直繁が使いをもって申し宣われたとある。
この使者は先の書状で見た佐藤筑前守と思われる。
忠朝の名が先に記されているのは、彼を中心に動いていたためか、
あるいは木戸氏の名跡を継いだのが忠朝だったからなのか、はっきりしたことは言えない。

なお、憲盛は謙信に帰属することで、後北条氏への取り成しをひとえに頼み入るとともに、
知行のことについて使者に伝えたので、よくよくこれを聞いてご理解の上、謙信への御披露をお任せしますと、さすがに抜かりない。

上杉と北条の同盟という歴史の転換点を迎え、
変わった風向きに対応しようとする国衆(地域的領主)の姿が見て取れる。
個人的にわりと好きな史料で、現代の交渉事に通ずるものがあるような気がする。
(わざわざ『大日本史料』を引いたが、県史、市町村史の資料編にも収録されている。
このほか実際のやり取りを記録した会議録のようなものが残っていればモアベターなのだけど……)

相手あっての交渉事のため、
どのような流れに持っていけば憲盛が納得してくれるか、忠朝は不安と緊張をもって頭を悩ませただろう。
そのためには、憲盛が欲するところや利を考えねばならず、
その要諦を探るべく、情報収集にも励んだのではないだろうか。
特に知行のことは、忠朝自身に発言権があるわけではなく、
下手に大風呂敷を広げて謙信の不満を買う可能性もあり、慎重に事を進めたに違いない。

結果的に交渉はうまくいき、忠朝はもとより広田直繁も胸を撫で下ろしたはずである。
謙信から課された役を一つクリアしたのだ。
河田氏への書状をしたためるとき、筆は軽かったかもしれない。
そのせいもあるのだろう、深谷城のこと以外にも古河と栗橋の様子も条目をもって申し上げる旨を書き添えている。
この何気ない一文に、当時の羽生城の歴史的意義があるように思うのだが、
それは別の機会があったときに詳述したい。


羽生城址碑(埼玉県羽生市東5丁目)
最初の画像は深谷城址(埼玉県深谷市)
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