クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

TSUTAYA雀宮店、1997年1月にて。

2023年01月31日 | 神社とお寺の部屋
1997年1月の記憶を探し続けていた。
文珠寺(埼玉県熊谷市)へ参詣した帰りに立ち寄った書店がどこだったのか、ずっとわからなかった。
もう閉店しているかもしれず、
店舗は跡形もない可能性が皆無ではなかった。
当時一緒にいた両親と妹に訊いてみたが、書店へ行ったことすら記憶していなかった。

旧道を使って文珠寺へ向かうルートに書店はあるのか、
何度となく車を走らせたことがある。
1軒だけあったものの、記憶と似ても似つかなかった。
リニューアルオープンしたのかもしれない。
そう言い聞かせて、喉につかえたまま取れない小骨のように、
どこか違和感を覚えつつやり過ごした。

ところが、2023年1月、常光院(同市)から埼玉県立熊谷図書館へ向かう途中のことだった。
突如、左目の端で書店を捉えた。
TSUTAYA雀宮店。
想定した旧道の一本手前だった。
いつもの図書館へ向かう交差点の反対方向だっただけに、心理的な死角だったらしい。

目にした瞬間、記憶と一致した。
店舗の規模、佇まい、雰囲気といい、
長年探していたピースがはまった感覚を覚えた。

1997年1月、スティーヴン・キングと東野圭吾の小説を買ったのを覚えている。
帰路の父の車にはなぜか「Mike」の曲が流れていた。
僧侶にとって何が大事なのかと訊いた母に、
京極夏彦の百鬼夜行シリーズを『狂骨の夢』まで読了していた僕は「知識」と言い(『鉄鼠の檻』はまだ拾い読みだった)、父は「忍耐」と答えた。
そのとき父の頭の中には、座禅修行する永平寺の雲水の姿が思い浮かんでいたのかもしれない。

あの頃のことを思い出すとき、斜陽に似た光に色付けられ、妙な気怠さを覚える。
新年が明けたのに、終わりに向かっているような、
色々なことを投げ出して何もやりたくないような、そんな終末を連想させる。

買った2冊の小説が、車窓から差し込む昼下がりの光でキラキラしていた。
家には読みさしのシェイクスピアがあった。
自己投資なのか現実逃避なのかわからなかった。
重くのしかかってくるかもしれない現実から目をそらしたかったのか、
いまとなっては手を伸ばしても掴むことができない。

あの頃の僕は17歳で、間もなく18歳の春を迎えようとしていた。
十代の自分はもはや「他人」で、あの頃の気持ちに戻ることはできない。

27年ぶりに(たぶん)、TSUTAYA雀宮店で書籍を眺めた。
さすがに店内のレイアウトは変わり、ハードカバーは2023年1月現在の最新刊が並んでいた。
僕は、なくなりかけていたマルマンのルーズリーフとロルバーンの手帳を買った。
17歳の自分がいまの姿を見たらなんて思うだろう。
僕は44歳で、TSUTAYA雀宮店へ行った翌日の早朝、胃の激痛に見舞われて、救急車で病院へ搬送されることになる。
流れた歳月は桜の花のように儚く、切ない。


文珠寺(埼玉県熊谷市)
最初の画像は常光寺(同市)の遠景
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