クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

さまよい辿り着いた「羽生城」に

2020年05月19日 | 羽生城をめぐる戦乱の縮図
蔵書に埋め尽くされた部屋で、一人資料と向き合うその人は異端に見えました。
冨田勝治。
およそ80年間、羽生城研究を続けていた人です。

地域史に興味を持ってから何度も冨田氏の名前を目にし、
この人は一体何者なのだろうと思いながら、その著書や論文を読んでいました。
僕が地域史に興味を持ったのは20歳くらいのときで、
同世代にそれを言えば「年寄りくさい」「地味」「そんなの知って何の役に立つの?」と、いう言葉が返ってきたものです。
彼・彼女たちの言葉は的を射ていましたが、一人好奇心の赴くまま荒野の中を彷徨。
すると、辿り着いたのが冨田勝治氏の書斎でした。

南向きのその部屋は、四方八方が蔵書で埋まっていました。
いずれも歴史系の専門書で、文芸書の類が一冊もなかったのが特徴だったかもしれません。
まさに研究室で、もう一つの「羽生城」でした。
一人荒野をさまよい歩いていただけに、そこは居心地がよく、
いつまでも過ごしていたかったものです。

僕はその人を「先生」と呼びました。
出会ったとき僕は25歳で、冨田先生は95歳。
その年になっても研究を続けていた先生は学究の徒であり、
誰にも追いつけない星だったと思います。
誰もが知る人というわけではありません。
でも、先生がとてもかっこよく見えたのを覚えています。

そんな先生が亡くなったのは2008年の春でした。
僕の日常に先生がいた期間は実質的には約4年ということになります。
それが短かったのか長かったのかはわかりません。
ただ、「羽生城」で目にした先生の研究に対する姿勢やその生き方は瞼の裏に焼きつき、
いまなお影響を受け続けています。

2020年5月の大型連休は、緊急事態宣言発令中のため外出が自粛となりました。
ふらり他県へ行くこともできません。
なので、羽生城に関する論文を1本書きました。
少し前から書かないかと声をかけられていたので、
ゴールデンウィークを使って一気に執筆。

論文に向かっている間、ずっと冨田先生と再会しているような感覚でした。
実を言うと、昨年の秋口頃から1冊分になる量の原稿を書き上げていました。
そのときから近くに先生がいるようで、その声を懐かしく思い出したりしたものです。

ただ、僕は先生の影響を受けているものの、
その論説を焼きまわしにするような内容だけは避けなければなりません。
先生の説を踏襲しつつ、あるいは批判を加えながら自分独自の世界を築くという態度で臨んだつもりです。
新発見の資料の存在もあります。
既存の資料でも、捉え方が異なるものもあります。

ただ、羽生城に向き合ったことで、改めて冨田先生の凄まじさを実感したことも確かでした。
とても敵わないな、と本音がこぼれます。
この項については追い抜いたのではないか、と思っても、
改めて先生の論文を読み返せばすでにそこに立っているのです。

さすが難攻不落の牙城。
80年以上にわたって築き上げた城です。
先生が亡くなって10年以上が過ぎましたが、
その城壁は20代で目にしていたときも高く、厚いものであることに気付きます。
先生の凄まじさを感じるのは、どちらかと言えば編纂を担当した市町村史の資料編で、
そこに収録されたもの全てを血肉にしなければ、その城は越えられないのかもしれません。

先生ご自身は、物腰が低くとても柔和な方でした。
いかんせん、出会ったときは95歳だったので若い頃の様子はわかりません。
案外鋭い人だったよ、と言う人もいます。

確かに、先生の仕事を見ると、妥協を許さず、史実を追求し、強い信念を持っていたことを感じます。
訪ねた僕を迎え入れる先生は好々爺然とし、
ニコニコ笑顔を浮かべながらいろいろなことを教えてくれました。
が、胸の内に揺るぎないものを持っていたことは確かです。
いま僕が描く羽生城を見たら何と言うだろう。
ふと、そう思うこともしばしばです。

ところで、再会したのは冨田先生ばかりではなく、20代の自分自身もしかりです。
思い出されるのは自分の未熟さばかり。
一人赤面する思いです。
それなのに、20代の頃から羽生城をテーマとする講師依頼がありました。
30代で大きな講演会に呼んでいただいたこともあります。
振り返ればいまさらながら冷や汗が出る思いですが、
その一つ一つに得るものは多く、出会いも忘れられません。
そのような機会を与えてくださった方々に改めて感謝の念を覚えます。

論文と1冊分の原稿が形になったら、改めてここでお伝えしようと思います。
冨田先生に会うことはもうできませんが、墓前にご報告させていただきましょう。
読むに堪えうるものかはさておき。
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