人がたくさんいるところは好きだけど、
孤独を嗜好するところがあって、
例えば大人数のところで本を読んでいるような性質かもしれません。
思えば小学生の頃、
放課後に2、3人で会うときは一緒に遊んでも、
5、6人以上で集まったときは一人で本を読んだり音楽を聴いたりしていました。
僕としては居心地がいいのだけど、
一緒にいる人にはかえって不快な思いをさせてしまった気がします。
そんな性質は大人になっても変わらないものです。
ある日、出掛けたときのことです。
見知った3人で向かっている最中は、
ごく普通に会話に参加。
自分から言葉を発しました。
ところが、別便で来た同じく見知った2人と合流すると、
途端に聞き役に転換。
彼らの話に耳を傾け、頷くこともあれば一緒に笑うといった感じです。
6人で町を歩きながら改めて思いました。
自分の性質は変わってないなぁ、と。
ずっと昔、自分の居場所が欲しくてグループの中に入ろうとしましたが、
彼らとの間に透明の膜のようなものを感じたことがありました。
それは、彼らが距離をとっていたのではなく、
僕自身の性質にほかなりません。
例えるなら、バンドだと曲を奏でられないのに、
ソロならば歌う、といったところでしょうか。
誤解がないように言えば、
大人数が苦手というわけではありません。
はみ出たいわけではないですし、
協調性もあると思います(たぶん)。
最初にも言いましたが、人がたくさんいるところは好きなのです。
たくさんの人が話す楽しい言葉に耳を傾けていたいだけ。
ただ、それで相手に不快な思いをさせたり気を遣わせてしまったら、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
昼、6人でラーメン店に入りました。
とてもおいしいラーメンでした。
いくつになっても変わらない自分の性質を思い、
また感じながら食べたラーメンです。
目を細めれば、湯気の向こうの彼らはとても眩しく、
過去の自分の姿が浮かんでは消えていくようでした。
孤独を嗜好するところがあって、
例えば大人数のところで本を読んでいるような性質かもしれません。
思えば小学生の頃、
放課後に2、3人で会うときは一緒に遊んでも、
5、6人以上で集まったときは一人で本を読んだり音楽を聴いたりしていました。
僕としては居心地がいいのだけど、
一緒にいる人にはかえって不快な思いをさせてしまった気がします。
そんな性質は大人になっても変わらないものです。
ある日、出掛けたときのことです。
見知った3人で向かっている最中は、
ごく普通に会話に参加。
自分から言葉を発しました。
ところが、別便で来た同じく見知った2人と合流すると、
途端に聞き役に転換。
彼らの話に耳を傾け、頷くこともあれば一緒に笑うといった感じです。
6人で町を歩きながら改めて思いました。
自分の性質は変わってないなぁ、と。
ずっと昔、自分の居場所が欲しくてグループの中に入ろうとしましたが、
彼らとの間に透明の膜のようなものを感じたことがありました。
それは、彼らが距離をとっていたのではなく、
僕自身の性質にほかなりません。
例えるなら、バンドだと曲を奏でられないのに、
ソロならば歌う、といったところでしょうか。
誤解がないように言えば、
大人数が苦手というわけではありません。
はみ出たいわけではないですし、
協調性もあると思います(たぶん)。
最初にも言いましたが、人がたくさんいるところは好きなのです。
たくさんの人が話す楽しい言葉に耳を傾けていたいだけ。
ただ、それで相手に不快な思いをさせたり気を遣わせてしまったら、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
昼、6人でラーメン店に入りました。
とてもおいしいラーメンでした。
いくつになっても変わらない自分の性質を思い、
また感じながら食べたラーメンです。
目を細めれば、湯気の向こうの彼らはとても眩しく、
過去の自分の姿が浮かんでは消えていくようでした。
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