クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

40を過ぎてのギトギト系の食し方は?

2023年05月26日 | ウラ部屋
20代の頃は平気で食べられた脂たっぷりのラーメンも、
40代も半ばになると遠慮の気持ちが働きます。
食べられなくはない。
でも、定期健診の数値にはね返ってくる。
何も気にせず、平気の平左で暖簾をくぐっていた時代がまぶしく感じられます。

本も似たことが言えるかもしれません。
例えば自己啓発本。
「一流」「本物」「本当の」「真の」「成功」といった言葉の頻度の高い本は、
自ずと静かにページを閉じてしまいます。

なぜならギラギラしているから。
ラーメンで言えば、若者が好みそうな脂たっぷりのラーメンといったところでしょうか。

「一流」や「本物」とは一体どういう状態のことを指すのでしょう。
何をもってすれば「真」であり、「成功」なのでしょうか。

この手の中には、それを年収アップや高級品の所持、
はたまた「絶世の美女」と一緒にいることを「成功」と定義した上で書かれたものがあります。
それは一つの真実かもしれず、
そこに向かって著者はヒントを指し示していることになります。

困惑するのは、その定義が明確に示されていない本です。
何をもって「一流」なのか「本物」なのかわかりません。
ただ、文脈から高収入やブランド品の所持、異性からもてることを「一流」や「成功」と捉えていることが読み取れ、
そう考える読者を想定して書かれているのでしょう。

20代や30代のときには、特に違和感を覚えることなく読んでいたかもしれません。
が、いまの僕は体がついていけず、
それが一般常識でしょう? と無理に価値観を押し付けられているような気がします。
出会うのが遅すぎたのか早すぎたのかわからぬその本を静かに閉じるのです。

僕個人の好みで言えば、もっとあっさりでいい。
自分とは別の価値観を否定するのではなく、認める心でありたい。
多様性と言われる時代なのだから、認め合える関係性でいたい。
お互いが穏やかな心で過ごしたい。

勝ち負けは重要でも、それは一面的なものでしかない。
持っていないものもあれば、持っているものもある。
人が「一流」や「三流」に見えるのは、
「一流」と「三流」の両方を持つその人自身の鏡像なのでは?

脂で光ってなくていいのです。
ギトギトラーメンは好きです。
なので、たまには食べたい。
だから、偏らずうまく付き合って、色々な味に出会えたら、
らー活(ラーメン活動)はたぶん「成功」なのでしょう。

年齢を重ねたら、逆に脂たっぷりラーメンを好んで選ぶようになるでしょうか。
価値観は年齢によって変わるもの。
とはいえ、幹はあまり変わりようがないので、
いまの延長線にあるものを食し、読んでいる気がします。
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