クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

秋の羽生にて

2018年11月02日 | はにゅう萌え
なかなかブログに手を付けられない状況が続いていました。
秋は何かとバタつく季節です。

来年度のデザインを描かなければならない時期ですし、
依頼があった講師の仕事も引き受けたからには一生懸命やりたいし、
夏から書いている原稿が終わらずにかかりきりになっていますし、
心配事もありますし、
健康診断に向けて体重を落とさなければならないし……と、
何かと目白押しでした。

気が付けば、めっきり日が短くなりました。
朝と夜が涼しくなりましたね。
羽生市に自生する食虫植物ムジナモもそろそろ冬支度です。

ムジナモは「冬芽」という芽のような形になって、
水底で冬を越します。
なかなか面白い植物です。

20歳以上年の離れた後輩が、ムジナモ研究ですごい結果を出しました。
公になったら取り上げたいな。
バタバタしているときに入った嬉しい一報でした。

ところで、十代のときに一生懸命だったものは、
大人になってもずっと影響を及ぼしていると思います。
後輩の研究に夢中になった日々は、
きっと大人になっても影響し続けていくのでしょう。

夢中になるものは、勉強や部活だけに限りません。
例えば好きになった人も……

人は人に惹かれます。
影響も受けます。
感受性が豊かな時期ほど、それは大きなもの。

好きになった人から受けた影響は、
遠い過去になっても続いているのかもしれません。
いい影響もあれば、「悪い」と判断する人もいるでしょう。
僕は根が単純で、楽観にできているせいか、
「悪い影響」と区別することはありません。

「好き」とひと言で言っても、
恋愛、憧れ、尊敬、敬愛などとその感情はさまざまです。
例えば、20代のときに出会った95歳の羽生城研究者・冨田勝治先生は、
僕にとって尊敬と憧れの存在でした。
先生から受けた影響はいまも続いています。

そんな風に、その時代ごとに気持ちを動かされた感情の延長線上に僕たちは生きているのではないでしょうか。
個人の感情・体験レベルは小さなものです。
しかし、そうしたものが多く集まって、「時代」を創り出している気がしてなりません。
どんなに歳月が流れも、
遠く離れても、例え「忘れた」としても、
歴史は分断されないのですから……

好きになったことは事実です。
何よりもそこに自分がいた証。

「過去」というと、後ろ向きなイメージがあります。
「歴史」というと、ややお堅い。
いずれにしても、僕はいちいち思い出して感傷的になることはありません。
感傷に溺れるのは嫌いです。

ただ、「過去は過去」とまるで不要なものみたいにないがしろにするのではなく、
大切にしてしまっておきたいとは思います。
ときに、指標として人生を指し示すこともあるのですから。

なんて、窓越しに色付く木々の葉を眺めながら思ったりします。
そう考えられるのだから、気持ちに余裕ができたのかもしれません。
と、すれば秋は終わり。
そろそろ冬ですね。
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