クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

星川沿いの関根伏越は何を語る? ―ひとり散歩―

2021年01月17日 | 歴史さんぽ部屋
藤間橋から少し下ると行田市関根に入ります。
大曲橋の少し先に調節堰があり、土手下には関根神社が鎮座しています。
旧関根村の村社であり、藤間神社から下って1つ目の神社です。
大曲橋は、昭和32年の架橋。
以前は、その名が示す通り大きく蛇行して流れていました。

関根神社からもう少し下ると、関根伏越が存在します。
星川の下を、関根落という排水路が潜って流れているわけです。
目立つものではなく、規模としても小さいため、
自転車や車では見落としてしまうかもしれません。

かつて、関根落は星川に注ぎ込んでいました。
しかし星川が増水すればうまく注ぎ込めず、下流域ではしばしば冠水したそうです。
当然、農作物に影響が及びます。
その影響は小さなものではありません。
下流域の人々にとって、関根落の冠水は悩みの種であり、
藤間村と真名板村(いずれも現行田市)は、上流域を相手に訴訟を起こしたこともありました(『行田市史』)。

星川が大きく蛇行するほどの低地です。
常に排水の問題があったのでしょう。
地域の中央では田んぼも深く、水をかいてもきりがなかったのだとか(同)。

現在のように、星川の下に落とし堀を潜らせる伏越にしたのは昭和9年のことです。
悲願叶って、関根伏越が完成。
ところが、飲み口が浅かったため、増水時には再び冠水に見舞われます。
そこで、人々の尽力によって再び改修工事が実施されることになりました。
現在の形となるには、昭和60年を待たなければなりません。
何気なく土手下に存在するものですが、長年にわたる人々の苦労と努力があるわけです。

関根に実家を持つ後輩がいます。
家は農業を営んでおり、後輩は専業農家ではありませんが、
夏や秋になると農業の手伝いをしているそうです。
そのお宅が先祖代々農家だったならば、関根落の冠水と向き合ってきた一人になります。
のどかな田園風景の広がる関根ですが、
水と共存、あるいは戦い、湿地を生かした知恵をもって生活を営んできた歴史が眠っていると言えます。

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