くじらの音楽日誌

日頃聞いてる音楽全般の雑記です♪

思い出のメロディー1959年

2014-04-22 | 思い出のメロディー?
くじら3歳児の時代。当然ですがリアルな記憶はありません。
ちゃんとした記憶が残っているのは小学生になって以降ですね。

井上ひろし「地下鉄は今日も終電車」
大津美子「空へ帰る人」
春日八郎「足摺岬」「あれから十年たったかなァ」「山の吊橋」
小林旭「ギターを持った渡り鳥」「銀座旋風児」
こまどり姉妹「浅草姉妹」「三味線姉妹」
島倉千代子「哀愁のからまつ林」
スリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」
中島そのみ「フラ・フープ・ソング」
ザ・ピーナッツ「可愛い花」「情熱の花」「心の窓にともし灯を」
平尾昌章「ロック「おてもやん」」「浮かれ祭り」
フランク永井「夜霧に消えたチャコ」
フランク永井と松尾和子「東京ナイト・クラブ」
ペギー葉山「南国土佐を後にして」「爪」
松尾和子、和田弘とマヒナスターズ「誰よりも君を愛す」
松山恵子「お別れ公衆電話」
水原弘「黒い花びら」
美空ひばり「大川ながし」
三波春夫「大利根無情」「忠太郎月夜」「鴛鴦道中」「沓掛時次郎」
三橋美智也「古城」
村田英雄「人生劇場」
守屋浩「僕は泣いちっち」
守屋浩・堀威夫とスウィング・ウエスト「檻の中の野郎たち」
和田弘とマヒナスターズ「夜霧の空の終着港」「泣けるうちゃいいさ」

記憶はなくても知ってる曲はいくつかあります。
リアルタイムではなく後から見聞きして覚えたのだと思います。

水原弘は第一回レコード大賞受賞でしたからレコード大賞の時期になると毎回取り上げられましたから知ってました。ただくじらにとっては水原弘は歌手というよりもアース製薬の看板のおじさんというイメージのほうが強かった。
曲は2曲しか知らないけどアースの看板は非常に印象深かったので…町のいたるところにあの看板貼ってありました。

井上ひろしと中島そのみ、スリー・キャッツは全く知りません。
スリー・キャッツの黄色いさくらんぼは曲は知ってますけど、それはゴールデンハーフが唄ったものでこの当時のは多分聴いた事ないと思います。




聴いたことがあるならこんな強烈なお色気ソング忘れるはずがありません(笑)
ゴールデンハーフのはくじらが中学生くらいのときにヒットしましたが、唄ってるのはハーフの女の子でしかも過剰なお色気演出気味だったのでかえってリアルなお色気は感じませんでした。
ニューハーフの女ぽさと同じようなものでしょうか?







思い出のメロディー1958年

2012-12-18 | 思い出のメロディー?
くじらが2歳のときのヒット曲。
当然ですがリアルタイムでの記憶はありません。
当事まだ我が家にはテレビもありませんでした。
ほとんどがもう少し大きくなってから知った曲ばかりですが、知らない曲もかなりたくさんあります。




石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」「明日は明日の風が吹く」
大津美子「銀座の蝶」「白い桟橋」「東京ドライブ」
織井茂子「夜がわらっている」
春日八郎「別れの燈台」「海猫の啼く波止場」
神戸一郎「銀座九丁目水の上」
清野太郎「クレイジイ・ラブ」「ロックを踊る宇宙人」
小坂一也「監獄ロック」「テディ・ベア」「口笛吹けば」「キャンプたのしや」
小林旭「ダイナマイトが百五十屯」「女を忘れろ」
五月みどり「お座敷ロック」
島倉千代子「からたち日記」「思い出さん今日は」
鶴田浩二「東京詩集」
中原美紗緒「河は呼んでいる」
浜村美智子「監獄ロック」
平尾昌章「星は何でも知っている」「ダイアナ」「監獄ロック」「リトル・ダーリン」「ルシヤ」「心のうずくとき」
藤本二三代「好きな人」
フランク永井「こいさんのラブ・コール」「羽田発7時50分」「俺は淋しいんだ」「西銀座駅前」
松山恵子「だから云ったじゃないの」
美空ひばり「花笠道中」「ロカビリー剣法」
ミッキー・カーチス「月影のなぎさ」「君は我がさだめ」
三波春夫「旅笠道中」
三橋美智也「夕焼とんび」「赤い夕陽の故郷」「民謡酒場」「センチメンタルトーキョー」
三船浩「夜霧の滑走路」
村田英雄「無法松の一生(度胸千両入り)」
雪村いづみ「娘サンドイッチマン」「ピリカ・ピリカ」
若原一郎「おーい中村君」
和田弘とマヒナスターズ「泣かないで」

なぜか「監獄ロック」が3曲も入ってます。
くじらはエルヴィスプレスリーの「監獄ロック」しか知りません。



昔は結構長いこと洋楽の日本語カバーが普通にヒットしていましたが、これも当事監獄ロックが世界的なヒットだったので日本のレコード会社各社で競ってカバー曲を発売したのでしょう。
誰のが一番売れたのかなぁ?
平尾昌章はどうも生理的に嫌いなタイプなので若かりしころ女性から絶大な人気があったというのはいまひとつ信じられないのですが、大体くじらの好みが世間一般とずれているので自分が嫌いだからと言って人気があったことを疑っちゃいけません(苦笑)
あのふにゃふにゃしてのっぺりした感じが河村隆一とかぶって、当事こんな感じで人気があったのかなぁと思ってます。



おそらくくじらが平尾昌章を気持ち悪いと感じるのは、リアルタイムで知ったのではなく、いい加減おっさんになってから「星は何でも知っている」をあのキモイせりふ入りで見聞きしたからではないかと…
何でも旬というものがあります。
そしてとどめになったのはやはり畑中葉子との「カナダからの手紙」でしょう。
どう見たって援助交際の女子高生と中年親父にしか見えない二人がねちねちとデュエットしてるのを見てあんぐり。
一瞬でも畑中葉子が売れたのは平尾昌晃のおかげだけど、アイドルになれなかったのもやはり平尾昌晃のせいだと思ってます(苦笑)

星は何でも知っている

カナダからの手紙

「ミヨちゃん」もドリフのカトちゃんが歌うのはほのぼのしていいんだけど、どうにも平尾先生が歌うのを聞くと気持ち悪い。
ああいう粘着質っぽい唄い方が嫌いなんです。








思い出のメロディー 1957年

2012-11-20 | 思い出のメロディー?
くじらが1歳のときに流行った曲。


青木光一「柿の木坂の家」
石原裕次郎「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」
ウイリー沖山「ヨーデル唄いと洗濯女」
江利チエミ「霧のロンドン・ブリッジ」
大津美子「いのちの限り」「東京は恋人」「純愛の砂」
春日八郎「あん時ゃどしゃ降り」「ごめんヨかんべんナ」
神戸一郎「十代の恋よさようなら」
北原謙二「さよならさよならさようなら」「わかれ道」
高英男「マルセリーノの歌」
小坂一也とワゴンマスターズ「青春サイクリング」「君を求めて」「北風」「恋を運ぶ青い鳥」
初代コロムビア・ローズ「東京のバスガール」
島倉千代子「東京だヨおっ母さん」「逢いたいなァあの人に」
曾根史郎「帰る故郷もない俺さ」
中原美紗緒「ジェルソミーナ」
浜村美智子「バナナ・ボート」
藤島桓夫「お月さん今晩わ」
藤本二三代「夢みる乙女」
二葉くみ子「浪曲波止場」
フランク永井「有楽町で逢いましょう」「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」「東京午前三時」
ペギー葉山「魅惑のワルツ」
松山恵子「未練の波止場」
丸山明宏「メケ・メケ」
三浦洸一「踊子」「郵便船が来たとョー」
三橋美智也「一本刀土俵入り」「おさげと花と地蔵さんと」「おさらば東京」「おいら炭坑夫」「東京見物」
三波春夫「雪の渡り鳥」「チャンチキおけさ」「船方さんょ」
美空ひばり「港町十三番地」「長崎の蝶々さん」
森繁久彌「船頭小唄」
雪村いづみ「ラブ・ミー・テンダー」「ビバップ・ルーラ」
若原一郎「丘にのぼりて」
若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」

前年よりは多少は知ってる曲があります。
リアルタイムじゃなくて後に懐メロ番組で知った曲が大半でしょう。
しかし昔のヒット曲というのはバラエティーに富んでいます。
これが健全な状態なのかもしれません。
同じ時期にどれも同じような曲しか流行らないというのはそれは意図的に作られた流行だからであって自然ではありません。

三波春夫の「雪の渡り鳥」「チャンチキおけさ」「船方さんょ」は3曲ともしっかり知ってます(笑)
カラオケで唄えるかも。若いころ洋楽に狂っていたくじらですが三波春夫ショーにも行きました♪
ディープパープルのライブに行って三波春夫ショーにも行く小娘(爆)
紅白歌合戦で三波春夫が歌うのが毎年楽しみでした。



三波春夫とか三橋美智也のような浪々と響き渡る歌声が好きです。
藤山一郎先生も老いても美しい歌声でした。

思い出のメロディー 1956年

2012-11-17 | 思い出のメロディー?
自分が生まれた年のヒット曲って何があったのか調べてたら、ふと生まれてから56年間の各年のヒット曲について書いてみようと思い立ちました。
とはいえ生まれたばかりではさすがに何も記憶がありません(苦笑)
wikiの音楽年表を眺めつつ、リアルタイムで記憶がはっきりしてるのはやはり家にテレビがやってきた1962年(昭和37年)と理解しましたが、確かな記憶はなく手もそれ以前に知ってる楽曲はいくつかありました。
なぜ知ってるのかはわかりません。
リアルタイムでラジオを聴いてたのか、後にテレビで唄っているのを見たのか?
昔は今みたいにあっという間に消え去るつかの間のヒット曲じゃなくて結構長い間流行ってましたから1年や2年は普通に歌い継がれてました。

んなわけでくじらが生まれた年、今を去ること56年前(もうすぐ57年だ 笑)のヒット曲から始めます♪


青木光一「早く帰ってコ」「午後8時13分」
生田恵子「アイ・アイ・バンジョー」
石原裕次郎「狂った果実」
ウイリー沖山「スイスの娘」
江利チエミ「お転婆キキ」
大津美子「ここに幸あり」「流れのジプシー娘」
岡本敦郎・湯川きよ美「ここは静かなり」
神楽坂浮子「十九の春」
笠置シヅ子「たよりにしてまっせ」
春日八郎「浮草の宿」
勝新太郎「静かな雨のロマンス」「青いドレスの女」
草笛光子「白い橋」
楠トシエ「裏町の黒猫ルビー」
小坂一也「ハートブレイク・ホテル」
斉藤京子「お花ちゃん」
三条町子「白い霧降る交叉点」
島倉千代子「東京の人さようなら」
島崎雪子「お駒旅唄」
初代コロムビア・ローズ「どうせひろった恋だもの」「しあわせはどこに」「花ふたたび」
菅原都々子「日暮れの駅で」
鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」
曽根史郎「若いお巡りさん」
高田浩吉「りんどう鴉」
宝田明「恋は雨に濡れて」「別れの波止場」
田端義夫・白鳥みづえ「親子馬子唄」
築地容子「青い月夜のランデブー」
鶴田浩二「好きだった」
中島孝「おきあがり人生」
中原美紗緒「フル・フル」
中村メイコ「東京チャキチャキ娘」
西村つた江「横浜(ハマ)の谷間」
野村雪子「おばこ船頭さん」
旗照夫「捜索者の唄 (The Searchers) 」
フランク永井「ばらの刺青」
ペギー葉山・渡辺弘とスターダスターズ「ケ・セラ・セラ」
真木不二夫「旅路の雨」
松島トモ子「魔法使いのお母さん」
松山恵子「十九の浮草」「アンコ追分」
三浦洸一「東京の人」「あゝダムの町」
美空ひばり「波止場だよ お父つぁん」「ひばりのチャチャチャ」「哀愁のサンバ」
三橋美智也「哀愁列車」「リンゴ村から」「男涙の子守唄」
三船敏郎「山の男の唄」
三船浩「男のブルース」
宮城まり子「納豆うりの唄」「てんてん娘」
山形英夫「港の人気者」
山田真二「哀愁の街に霧が降る」
雪村いづみ「山と川のある町」「チャチャチャは素晴らしい」「エデンの東」
若原一郎「風の吹きよで」「山蔭の道」

さすがにほとんどわからない…
歌い手そのものを知らないというのもかなりあります。
映画俳優が唄を唄rことがこの当時はよくあることだったみたいですね。
鶴田浩二、高田浩吉、宝田明、石原裕次郎、三船敏郎、とそうそうたる顔ぶれです。
鶴田浩二はこの時代は知りませんけど後に「傷だらけの人生」は流行ったときに唄も唄うんだと思って見てました。
手を耳に当てて唄うしぐさが独特でした。
高田浩吉は娘の高田美和と一緒に歌ってる姿をよく見ました。
ただ唄はひとつも覚えていません…
石原裕次郎はカラオケにもたくさん曲があるので俳優が唄を歌ってるというよりも俳優であり歌手でもあったのかな?
我が家では誰も石原裕次郎に関心がなかったのでどんなに当時人気があったとしても話題になることはなくて、くじらが彼をちゃんと知ったのは映画「黒部の太陽」を小学生のころがっ今日から見に行ったときでした。
歌は何曲か知ってるには知ってます。
三船敏郎の唄というのはちょっと想像できません。


上記の曲の中で自分で歌えるくらい知ってる曲といえば

「ここに幸あり」、「愛ちゃんはお嫁に」、「若いお巡りさん」、「哀愁列車」、「リンゴ村から」くらいでしょうか?
たぶんほとんど後にに懐メロ番組などで知った曲だと思います。

ちょっとびっくりしたのは島倉千代子がこの年にもう歌手で活躍していたこと。
現在56歳のくいらが生まれた年に現役の歌手だったなんて、いったい今何歳なんだと調べてみたらなんと74歳でした。
…そんなお歳だったのか
いつ見てもかわいらしい女性だったのでとてもそんな年齢には見えませんでした。
とはいえここ数年はお姿を拝見していませんが


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