story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

過去からの恋

2024年01月18日 21時26分36秒 | 小説

いつも乗る電車の中で時折出会う女性がいた。
肩までの黒髪、服装は基本的にフォーマルで、事務職か何かだろうか。
彼女は僕が通勤で使う郊外の駅のまだ前から乗っているらしかった。

その朝も件の女性を見かけた。
いつも乗る快速急行の前から3両目で、彼女はドアのところで壁にもたれ、手にはスマホを持っているものの、見るとはなしにドア窓の外を眺めている。
そう言えばほかの乗客のように一心にスマホを見ているわけではなく、時折目を落としたり、操作していたりするがすぐにまた視線は窓の向こうだ。
僕が降りるのは都心の駅だが、彼女はいつもまだ乗り続けていて、その駅で両側のドアが開いて大勢の乗客が錯綜する中、空いた座席に座るでもなく同じ所に立っている。
僕はここしばらくは、彼女がそのまま乗っていく列車を、ホームで見送るのが日課になっていた。

惚れているのかもしれない。
いや、惚れているのだろう、名前も素性も知らぬ女性に・・

彼女が乗った赤い列車が、発車して行ってすぐに別の方向への特急列車が入ってくる。
この駅では長く余韻に浸ることなどはできない。

夕方、職場の友人に誘われて自宅とは反対方向の繁華街でかなり呑んだ。
ずいぶん遅くなって、その駅から都心駅を経由して、いつも乗り降りする駅へ直通する準急に乗ろうとした。
駅のホームで乗車列に並んでいたが、ふっと、隣の列を見ると間違いない、今朝も見かけたあの女性がそこに立っていた。
どうやら僕と同じ電車に乗るようだ。

気持ちが高まり心臓の鼓動が聴こえる。
けれど、僕は彼女に声をかけるなんて大胆なことは出来っこない・・・
そう、この優柔不断さが三十をいくつも過ぎていながらいまだに彼女の一人もいない現状を招いている。
彼女に声をかけたい。
だが声を掛けてそれが上手くいかなかったら・・明日から通勤電車の時刻もしくは車両を変えねばならない・・そんなことまで考えてしまう。
「俺もたわけだよな、つまらんことばっか先に考えて動けんなんて」
乗りこんだ銀色の電車で、自嘲しながらも、やや離れた席に座っている彼女を見る。
走り出した電車で彼女の視線と僕の視線が一瞬交じり合った。
「あかん、気づかれた」
なにがダメなのか、僕は一瞬、俯いてしまった。
だがこの日はたらふく呑んでいる。
その状況にあっても時間差で深くなる酔いは思わぬことをしてしまう。

やがて都心駅でたくさんの乗客が乗ってきて、立ち客で彼女の姿も見えなくなる。
いくつかの停車駅を過ぎ、僕の下車駅が近づいてきた。
その頃になると車内は立ち客がちらほらという状況で、また彼女の姿もよく見えるようになった。
彼女はスマホを手に持ちながら視線は座っている座席の向かいの窓辺りに向いているようだ。
僕は自分の下車駅に電車が停車しても席を立たなかった。
意外だったのは彼女がその時、僕の方を見ていたことだ。
もしかして気づかれとるのか・・

準急電車はその駅から各駅停車になる。
そうして五つ目くらいの駅で彼女は席を立った。
僕は、すぐに出ると怪しまれると思い、彼女がドアを出てしばらく、十秒ほどして「ドアを閉めます」の案内があってから車両を出た。
彼女の後姿が見えている。
改札を抜け、彼女は駅を右に出ていく。
大きな葬祭関係の建物の脇を通り、小さな橋を渡る。
僕は20メートルほど離れて後を付けている。
まるで、ストーカーやねえかと自嘲しながら。
そのときだ、バイクの爆音がした。

バイクは二台通りかかり、こともあろうに彼女の横で停止した。
「おう、ねえちゃんよ、ちょっと遊ばへんか」
太い声が聞こえる。
「ちょっとくらい、かまへんやろが」
彼女は身体を避けるようにしてそこを通ろうとした。
男の一人がバイクを彼女の前に持ってくる。
「逃げんなや」
立ちすくむ彼女。

僕はその瞬間、何も考えずに走っていた。
「おいおまえら!」
男たちは僕の方を見た。
「僕の彼女に何をしとるのだ」
男の一人が笑う。
「お前の彼女?ほう、ホンマかいな」
「そうだ、まぎれものう、この人は僕の彼女だがね!」
男たちは彼女を見た。
「おい、こいつがお前の彼氏なんか」
彼女は即座に大きな声で答えた。
「そうです、彼氏です」
そう言って僕の方を向き直った。
「遅かったじゃない!」
思わず僕も「ごめんな、仕事で遅なって」と返す。
そうして精いっぱいの力で彼らを睨みつけた。

「頼りなさそうな彼氏やけど、ま、他を当たらなしゃあないのう」
ひとりがそう言い、男たちはバイクの爆音を上げて去っていった。

静かになった小さな橋のところで僕はへたり込んでしまった。
脂汗が吹いて出る。
「ありがとうございました」
彼女が声を掛けてくれる。
「いや、彼女だなんて失礼しました」
「いえいえ、嬉しかったですよ・・」
「でも、連中、恨んどらんでしょうか」
「多分大丈夫、あの人たち、関西弁だったしバイクも地元のナンバーじゃなかったし」
「だったらいいのですけど」
小さな川を並んで渡る。
「いつも同じ電車に乗っておられる方ですね」
彼女がふっと問いかけてくる。
「はい、いつもちょっと離れて・・」
「時折、見てますよね・・わたしに気があるのかなと」
「あ・・気づいておられたのですか」
「そりゃあ、毎日会う人で、ちらちらこちらを見ている人・・」
「ストーカーみたいで・・ごめんなさい」
「今日、助けてもらったからもういいですよ、明日からはお話出来る人ができたってことで」
彼女のアパートは川を渡ったすぐのところだった。

******

僕は荒涼とした大地にいる。
目の前は昨日まで自分がいた城だ。
部隊が城を出て追っていった敵には散々に打ち負かされ、同朋の多くが討ち死にし、その中を僕は一人、命からがら逃げ帰ってきたところだ。
はやく帰って戦などせず、田畑を耕そう・・とそればかり考えながら。
そして城が敵の手にわたっていることを知った。
敵には別動隊があって、城を裏手から攻めたのだろう。
城の中にはまだ、自分たちの妻子眷属がいるはずだ。

やがて女の悲鳴が上がる。
中に突撃して自分の妻を助けたい。
だが、城地から姿を見られただけでも向こうの矢の餌食になることは見えていた。
「やだぁ、やだぁ、」
女たちの集団が敵兵に囲まれ、縄で縛られて連れられて行く。
僕は思わず立ち上がった。
自分の妻の姿もあった。
「あんたぁ!」
刀を振り上げて敵に向かう・・勇気は出ずただ茫然と眺めてしまう。
敵兵は立ち尽くす僕にはただ嘲笑をくれただけで、矢を射ることもない。
「雑魚はいらねぇ・・どこかへ行きな!」
呆然と見送り、やがて僕はその場を去った。
もはや今世では妻に逢えぬかもしれぬ・・悲しみが大きかった。

******

なんだ、今朝の夢は・・
僕は自分の部屋で朝日を浴びながら妙にはっきりした夢を噛み締める。
別にテレビドラマで戦国時代ものを見たわけでもないし・・・

そう思いながら支度していつもの電車に乗るべく家を出る。
今日からは彼女と話しながら電車に乗れる・・
改札を入り、今日は銀色の電車が来た快速急行の3両目に乗る。
彼女はドアのところで立っていて、僕を見て微笑んでくれる。
「おはようございます、昨夜はありがとうございました!」
「あ、おはようございます・・」
「ね、四百年ぶりに助けてもらえたのって、嬉しい・・」
「四百年?」
「ゆうべ、夢を見ませんでしたか?」
「あ・・」

電車は郊外を突っ走る。

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SKY171便にて

2023年11月27日 16時45分50秒 | 小説

神戸空港で少し焦ってチェックインをした
自宅近くからの路線バスが早朝からの工事渋滞に巻き込まれ
かなり切羽詰まった時刻になっているからだ

目的地は北海道の帯広だ
搭乗予定のSKY171便ならJR特急との接続もよく
お昼過ぎには現地についているはずだ

ポートライナーを降りると幸いにして空港は空いていた
オフシーズンの平日ゆえだろうか
QRコードをチェックイン機にかざすだけのチェックインを済ませ
作業用の道具が入った荷物を預け入れ
搭乗前検査を済ませると
どうやら搭乗までは僅かながらの余裕が残る時刻だった
心地よい搭乗受付案内の電子音、四音程が響く

待合室の自販機で温かい缶コーヒーを買い
駐機場に向いたカウンターでやっとホッとする時間を持つ
全面ガラスの向こう
先に出発する目の前の羽田行きが動き出すが
僕が乗るはずのスカイマーク機の千歳行きがいない
その時だった
女性の大きな声がした
「わかってるやん、そやから今から行くとこやん」
僕はびっくりして声の方を向いた

スマホを持ち、金に着色した髪の毛の少女が怒鳴っている
年のころは高校生くらいだろうか
やがて電話を切ったかと思うと少女は僕の座っているカウンターの
並びに腰かけて俯いている

泣いているのだろうか
この待合室にいるということは、僕と同じ千歳行きの便に乗るのだろう
身体が小刻みに震えている

航空機というものは基本的に女性が案内の主役であり
男性が乗客の面前に立つことは少ない
この点では鉄道に比すと随分ソフトな世界だといつも感心することだ

乗るべき飛行機が目の前にいない状況ながら
やがて優しい声で優先搭乗の案内があり
その対象の人たちが搭乗ゲートを入っていくと
次は窓側の席の人という事で僕もその列に並んで美女が監視するゲートを入り
ボーディングブリッジへ行くものと思っていたが
何とそのまま階段を下りさせられ空港の地平に出た
乗るべき飛行機はそこから100メートルほど歩いたところに駐機していて
タラップによる搭乗となった

すると乗客の何人かは地平から見上げる飛行機の珍しさゆえか
スマホで写真を撮り始める
その時だ、微かにだが怒鳴っている声が聞こえた
「おぉい、くみこ、むこうでちゃんとやれよ」
ジェットエンジンのアイドリングと風にかき消されそうになりながらも
その声ははっきり聞こえた
そちらを振り向くと、展望デッキの一番端っこから
男が叫んでいた

僕の少し後ろを歩いていた少女が立ちすくんでいる
さきほどカウンターで泣いていたらしいあの少女だ
思わず僕は足を止めてしまったが
やがてここでも案内についている美女係員に促されてタラップを昇る

飛行機という乗り物は案内はソフトだが
係員に従わなかった時の怖さは鉄道の比ではない

機内に入り、自分の座席に向かう
窓側で翼の少し前、良い席だ
荷物は預け入れにしているので手ぶらで席に着き
シートベルトを締める
かつては怖くて飛行機が大嫌いだったのだが
忙しい世間の中で
僕も自然と飛行機に飼いならされてしまった感じだ
小さな窓から空港職員たちが出発へ向けての準備を終えつつあるのを見る

隣の座席に人が座ってきた
航空機の座席は窮屈で
こればかりは新幹線のほうが一歩も二歩も上だよなとは思う
ふわっとした感触から座ってきたのが女性だとわかった
ちらっと見ると、先ほどから気になっているあの金髪の少女ではないか

どうやらシートベルトを探しているようだ
「お尻の下ですよ」と僕は小さな声で教える
「あ・・」
少女は軽く会釈をし、体を少し浮かせてベルトを取り出して締めた

乗客が全員座ると
CAさん(キャビンアテンダント)による万が一の際の身の守り方などが案内される
いつ聴いても同じ内容で
だから常時利用する客には省いてもよさそうな案内だが
未だにこれを省略したという話は聞いたことがないし
座席モニターのある機体などでは映像として見せてはくれるものの
いつも丁寧に案内されるのは同じだ
例えば新幹線に乗るたびにこういう案内をしたらどうなるだろう
いや、荷物の預入や搭乗検査などを新幹線が採用したらどうなるのだろう

そう言った意味ではやはり航空機というのは特殊な乗り物であるという感覚が
今も僅かばかり残っているという事なのだろうか
やがて空港職員が手を振るのを見ながら飛行機は後退する
そして向きを整え、滑走路へゆっくり向かっていく
巨大な図体が滑走路へ向かうまでのゆっくりとした走り
これこそが旅への前奏曲か
いや、前奏曲というなら空港に立ち入った時から
ここまでのすべてがそうなのだろう

「当機はまもなく離陸を開始したします、座席ベルトをお確かめください」
優しくも、ややきつい口調の案内が入る
ジェットエンジンの音が大きくなりそして一気にダッシュする
やがて、ふいっと空港から別れを告げるかのように
SKY171便は空中へ踊り出ていく
神戸の街が窓いっぱいに広がる
ふっと、右の肩に何かが当たった
見ると隣の席の少女が必死に窓の外を視ようとしていて
彼女の腕が当たったらしい

僕は身体を少し座席にくっつけるようにして彼女が外を見やすいようにした
まだ離陸中で座席のリクライニングはできない

明石海峡から加古川付近で飛行機は大きく進路を変え、北に向かう
そして福知山付近で北東に進路をとるようだ
この頃になってベルト着用サインが消えた

後ろの座席の人に「少しだけ座席を倒してよいですか?」と伺う
幸い、快諾を得てリクライニングシートを少し倒す
「これで、外が見えやすくなったでしょう」
隣の席の少女に声をかけると小さな声で「はい」とだけ返事が来た

この日は素晴らしいお天気で景色も抜群だ
だが、成層圏まで行ってしまうと結局は殆ど空しか見えないことになる
それでも件の少女は窓の外を見つめている

CAさんがエプロンを身に着けてサービスに移る
まずチョコレートが配られ、少女は不思議そうにそれを受け取る
僕も受け取ったあと、すぐにそのまま少女に渡した
「あげるよ、僕は甘いものは食べないから」
少女は初めて少し、はにかんだ

やがて飲み物のサービスがある
僕はコーヒーを、少女は戸惑いながらアップルジュースをうけとっていた
最近では鉄道の特急列車から車内販売のサービスすら存在しなくなっている
わずか、チョコ一枚、飲み物一杯のサービスでしかないが
これだけでもないよりは随分ましだろうし
有料であれば別の飲み物やグッズなども売ってくれる

鉄道を利用しようとする旅客が減っているのは
なにも所要時間の問題だけではあるまいと思うのだ
航空機はチェックインに時間を要し
神戸からだと東京まででは多分、総合的には新幹線のほうが速いし気楽だ
それでも本日の羽田行きも満席だという

本来は景色の良かった新幹線も防音壁に囲まれ
景色が見えづらくなった車内では販売員すらいない
自販機もなく飲み物は買えず旅の楽しみは駅の売店だけというのでは
旅の目的が仕事であれ遊びであれ
乗客から遠ざけられるのは致し方のないように思う

秋田上空辺りからジェットエンジンの音が抑えられ
飛行機はグライダーのように滑空していく
この時の静かで平和なひと時が好きだ

少女は時折、座席から腰を浮かしながら窓の外を見ている
「北海道の何処へ行くのですか?」
僕は何気なく少女に聴いた
そしてすぐに神戸空港でのあの雰囲気を思い出し
訊かねば良かったかと思い始めたが
「苫小牧という街です」
意外にも少女はきちんと返してくれた
「苫小牧かぁ、何度か行ったことはあるけれどある意味では北海道らしくない、いい街ですよ」
「北海道らしくないって?」
「工場の多い街で、それから雪があまり積もらない・・」
「寒くはないですか?」
「そりゃあ神戸に比べれば寒いでしょうけれど、北海道の中では温暖な方でしょうね」
「わたしでもその街で住めますか?」
「うん、むしろ雪の多い札幌辺りより住みやすいのでは」
少女はしばらく自分の中でその答えを咀嚼しているようだった
「オジサンはどちらに行かれるのですか?」
不意に少女から質問が飛んできた
「うん、僕は仕事で帯広に行く途中なんです」
「帯広・・」
「千歳から石勝線で狩勝峠を越えた先、大きな町だが寒い」
「じゃ、わりに空港の近くですか?」
「いや、南千歳駅から特急で二時間ちょっとってところでしょう」
「二時間、北海道って広いのですね」
「いやいや帯広くらいじゃまだまだ、石勝線をその先の根室線に向かうと、釧路まで4時間以上、根室までは乗り換えて合計7時間ですね」
「7時間・・・」
「神戸から鉄道で・・それも新幹線じゃない鉄道で東京へ行くようなもんです」
「じゃ、苫小牧も遠いのですか?」
「いや苫小牧は空港のわりに近く、着陸態勢に入った時にうまくいけば眼下に見えますよ」
そう話していると、すぐに飛行機は着陸態勢に入った
ベルトを締め、座席を元に戻す
左の機窓に海岸線が見える 
「あの海岸線、だいたい室蘭近くですよ、もうすぐ苫小牧が見えるはずです」
少女は僕の肩越しに腰を浮かせて窓を見ている
遠くに樽前山と風不死岳の原始的な姿が見える
「ほら、浜辺から食い込むような港が見えるでしょう、あそこが苫小牧です」
そう言ったかと思うと飛行機は苫小牧沖を通り過ぎ、日高山脈の方へ迂回
そうして山脈上で向きを大きく変え、原野上を高度を下げていく
ぐんぐん高度を下げ、渋滞している道路上を見下ろし
さらに高度を下げたと思ったらドスンと着地した
一気にブレーキが効き、やがて滑走路から誘導路へ移っていく

「皆様、当機はただ今千歳空港に着陸いたしました」
CAさんの案内放送があり、飛行機はゆっくりと駐機場へ移っていく
少女が明るい表情で僕を見た
「なんだか、すごく不安だったのがオジサンのおかげで楽しめました」
「そうですか・・それはこちらとしても嬉しいことです」
「いえ、ありがとうございました」
最初に出会ったときのあの荒れた雰囲気はなく
ごく普通の高校生くらいの年頃のお嬢さんに見えるようになった

ボーディングブリッジを通り、案内されるがままに歩き
階段を降り、回転レーンで荷物を受け取る
出口に向かうと件の少女がついてきた
「JRに向かうのですか?」
「それが、よく分からないのです・・・迎えが来ているはず・・」
監視員がいる到着ロビーへの扉を出ると「くみこ・・」女性の声がした

少女は頬を赤らめ一瞬、立ち止まる
「よく来てくれたね」
気になって僕はその様子を見ている
少女は立ちすくんだまま動かない
僕と幾ばくも変わらぬ年齢の、穏やかな服装をしたその女性は少女に向かい合う
「くみこ・・」
女性がもう一度少女の名を呼ぶ
少女は動かない
すると女性が少女に歩み寄り、抱きしめた
何も言わなかった少女が女性に抱きしめられたとたん
大声をあげて泣き出した
「お母さん!」
絞り出すかのように少女が叫ぶ
少女を抱きしめる母親も泣いているようだ

抱きしめあう二人と、それを立ち尽くしてみている僕の間を
大勢の旅客が歩いていく
巨大な空港の上気した空気が僕らを包む

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高架下、夏の夜

2023年10月26日 19時24分00秒 | 小説

高架下、夏の夜

蒸し暑い街中の夜道
粗末な街灯の下を歩くと
頬に蛾がぶつかっていく
と思う間もなく黒い昆虫が目の前を飛ぶ
あれはクワガタかゴキブリか
この街はすぐ近くに大きな山があり
街と山の昆虫が入り混じって夏の夜を飛ぶ

すぐ横の複々線高架を
車内灯の灯りをまき散らしながら
旧型電車がモーターを唸らせ、派手な音をガードで立てていく

教えてもらったアパートはこの高架下らしい
メモを握りしめ
僕はどう見ても上品とは思えない
古臭い建物ばかりのその街で
自分が何故にこのようなところへ向かっているのか
自問しながら歩く

酒の席での先輩からの質問が発端だった
「お前は女を知っているのか」
気張って「知ってますよ、そんなもの」
と強がったものの先輩からの執拗な質問にはやがて降参するしかなかった
そう、僕はあの頃、まだ女性を知らなかった
だが、化粧っ気の濃い
歓楽街で見るような女性たちにはとても興味がわかなかった

目的地らしい辺りへ近づくと
高架下のアパート群の方へ道を渡る
甲高い警笛は電気機関車のものか
ダダダダダダ、タ~ンタ~ンタ~ンタタンタタンタ~ン
長く単調ではないレールジョンとの音が貨物列車であることを
線路の真下ゆえ見えない位置なのに確信させる

教えてくれたのは別の先輩だ
その人もその道のプロにしか見えないような女性は好きではないそうで
だからと、お前だけに教えると連絡先を教えてくれた
「ほかのやつに、教えたらあかんで」と忠告を付けて

高架下、橋脚の間に二階建てのアパートがいくつも建っていた
裸電球の灯りを頼りにメモに記された部屋を探す
「白鳥荘14号室」
その部屋のある場所はすぐに分った

砂が撒かれているかのような木の階段を上る
14号室の部屋の扉には桜を模した造花がオシピンで貼り付けられている
ノックは三回と決められている
トントントン
「はーい」明るい声がした

「野上です」
「お待ちしてましたよ」
扉を開けてくれたその女は
こういった職業の女によくある崩れた雰囲気を醸し出さず
清楚な黒髪でブラウスにスカートといういで立ちだった

「いらっしゃい、ビールでも飲みますか?よく冷えてますよ」
「あ・・はい」
僕は女の明るい声に戸惑う

だが部屋の照明はサークラインが一つぶら下がっているだけ
そして部屋にはテレビと粗末な箪笥と冷蔵庫
その上には古臭いラジオが居座っている

入れてもらったビールを一気に飲み干す
暑くて汗がしたたり落ちる
「暑いですね、助かります」
僕がそう言うと女は少し微笑む
かなり美人の方だろう
「ほんと、いまが暑さの盛り」
折り畳みテーブルの向かいに座った女は僕をじっと見つめている
「ね、先にくれますか?」
「あ、はい、いくらだったでしょう」
「うん、一万五千円って言ってなかったかな?」
「はい、ほんとにその通りでよいのですか?」
「もちろん、でも少しチップくれると嬉しいな」
「はい」
僕は女に二万円を渡した
「すごぉい、こんなにチップくれるの?お釣りはナシよ」
「はい」
じゃ、こっちに来てと言われ、奥にある別の部屋に案内された
ダダダダダダ、タタ~タタタタン、タタタタン、タタタタン、タタタタン
規則正しいレールジョイントは機関車の牽く夜行列車だろうか

奥の部屋はせいぜい三畳ほどか
布団が敷かれ、小さな鏡台に小物入れと枕もとのスタンドだけのある部屋だ
天井の灯りは消されている
目の前で、するすると着ているものを脱ぐ女
「ご紹介の人が真っ当な感じでよかったです」
「真っ当ですか・・」
「真面目そうだもんね、もしかして初めて?」
「あ・・正直に言うとそうです」
「そう、わたしで良かったのかしら」
「なにが?」
「筆下ろし・・」そう言って女はクスッと笑った
「あなたも脱いでくださいね」
下着だけになった女は先に布団にもぐりこんだ
夏場ゆえ、掛布団はなく薄いタオルケットだけだ
僕は着ているものをすべて脱いで
女の待つ布団へ無様な格好で入り込む
「好きにしていいですよ」
「はい・・」
「暑いわね」
女が手を伸ばして扇風機のスイッチを入れる
モーターの回る音、生暖かい風がかき回されていく

柔らかい乳房、重ねた唇の中へ入りこんでくる女の舌
「うふん、サービス、あなた、可愛いもの」
そう言いながら女は自分から僕の上に乗りかかってきた

ダダ、ダダンダダン、ダダンダダン、ダダンダダン
電車が通過しているのだろう
車輪の音ごとに部屋が少し揺れる
女の口が僕の身体を這う
汗と唾液が混ざり合った香りが漂う

「ね、朝まで居てくれますか?」
「あ・・いいんですか、二時間ってお伺いしましたけど」
「あなたはホント、特別、可愛いから」
女の黒髪が僕の頬に罹る
僕は「ありがとう」と言いながら女の身体をくるりと返し
女の躰に乗る
「うふ、頑張ってやってみてね」
女を抱きしめる
互いの汗が肌の間を流れる気がする
圧された乳房が僕を急かせる
「急がなくていいわ、女はこういう時、ゆっくりと攻めてもらえるのが嬉しいの」

ダダダダ、ダダダダ、タン~タン~タン~タタンタタンタン~タン~
あの音は二両で一つになった黒い電気機関車だろうか
女が僕の手を優しく誘ってくれている

汗と体液と唾液の匂い、そして時折流れる女の喘ぎ
なまめかしく動く細く綺麗な女の腕
レールジョイント、揺れる部屋、扇風機の音
生暖かい風、どこからか入り込んできた虫の舞う音

遠い昔の微かな夢
遠い昔の一夜だけの恋
遠い昔の誰にも話さない内緒の夜

 

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機関車磨き

2023年09月02日 18時25分08秒 | 詩・散文

神戸駅前の大きなD51機関車を磨く
数人の仲間とともに無心だ
機関車は磨けば磨くほどに黒光りして

カッコよくなっていく
ハーバーランドへ買い物や遊びに来た人が
足を止めてスマホで撮影していく
機関車を磨いている僕たちに
いろいろ質問を投げかけてくれる人もある
そう言えば、地元兵庫県のラジオやテレビ
大阪の関西キー局のテレビなどでも報道された
それを見た人たちだろうか
興味深そうに僕らの作業を見つめている

作業をしている中心は六十歳台だ
だが、若い人もいるし女性もいる
無心になれる
何も考えず汗をかける
それは現代においては苦痛などではなく

むしろ喜びなのだと僕は後から参加した人に教えてもらった

 

ボランティアと人は言う
でも仲間は言う・・好きな機関車を触ってボランティアと呼んでもらえる
鉄道ファンとは不思議な人たちで
電車や機関車を写して悦に入っているだけだと思っていたのに
その人たちが機関車を嬉々として磨いている
最近、撮り鉄と言われる鉄道ファンが
世間を困惑させ、驚かせ、迷惑をかけ
それゆえに世間から疎まれる存在になってきたのを僕は哀しく思っていた
だけど、こうやって機関車磨きをすればそれは街のシンボルを守ることであり

世間の方々に少しは鉄道ファンが認められることになるのではないかとも

思うようになってきた

 

磨かれ、その都度一部を補修された「デゴイチ」は美しい
こうして夕陽に照らされる彼の姿を一番に写真に収めること

それは撮り鉄冥利に尽きる

 

作業を終え、作業後の歓談も終え
僕は仲間とはずれて一人、デゴイチを眺める
日の暮れた都会の真ん中で
昨年、ライトアップされるようになった二十一メートルの巨体が
光を浴びて堂々としている
もう、君はあの北海道の山野を走ることはない
いや、この神戸でも真横のJR神戸線を走るなんてことはない
だが、半世紀もの間

ここでこうしてたくさんの市民に視てもらっていた
それも一時期、君がサビサビの姿になって
哀しく佇んでいた頃には人は君の周りに集まらなかった
君を避けて人々は歩いていたんだ

だが、美しくなり

男の色気を全身に漂わせたいま

君はたくさんの市民に写真を撮ってもらっている

人の流れは変わった
君の横を通って元町の方向へ
さぁ、これからだ
君が看板を続けてきた神戸・元町の再発展は

 

ありがとう
僕たちにこんな仕事をくれて
ありがとう
デゴイチ君よ、こうして磨かせてくれて

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待っているのに

2023年08月23日 16時57分19秒 | 詩・散文

翔くん、ね、いつ来るの?
もうここで二時間も待っているのに
ラインもこない
「早く来て」って送っても既読もつかない

翔くん、今日はお仕事だって昨日言ってたよね
土曜出勤で、でも半ドンだからと三時に待ち合わせしたんだよね

翔くんの会社からここまで歩いても十分もかからないよ
今、五時四十五分の列車がお客を乗せて発車を待ってる

そっか、汗かいて仕事してるからシャワーでも浴びてから来るのかな
ね、電線のお仕事、大変なのはわかるけど・・
暑い真夏でもいつも電柱に昇っているんだもんね

でも、約束の三時過ぎがもう二時間だよ
三時過ぎにこの駅でって
ちゃんと翔くん、昨日のラインに書いてたじゃない
三時三十九分の列車に乗るんだって言ってたよね

翔くん、前にも何度かこんなことあったよね
あなたはいつも、可愛い顔して謝ってくれるけど
流石に今日はきついよ

早く行っていい場所を取ろうっていってたよね
だのにいい場所どころか、花火が終わってしまうよ

みんな、楽しそうに列車に乗ってるじゃない

ね、翔くん、汗臭くてもいいから早く来て
いやいや、それよりせめてライン寄こしてよ
列車が行ってしまうよ

次の列車はまた一時間後だよ
花火は七時からだよ
ここから列車で三十分、歩いて十分
六時の列車だったらもう無理だよ

いいなぁ、あの子
浴衣着て、彼氏に甘えて
わたしもあんなふうになりたいの

でも翔くん、あなたはいつも、わたしに甘えてくるよね
わたし、あなたのお姉さんじゃないわ
彼女なの、わかる?
女の子が甘えなきゃ
あなたのほうが二つ年上だし
おかしいよ、今の状況

もう、彼氏を代えようか
そうそう、同級生の剛くん
前からずっといいなぁって思ってたのよ
頼りがいありそうだし
野球部の部長なんだし、みんなに信頼されているんだろうね

それに比べて翔くん
二つ上なのに
甘えん坊で、ちょっと頭の良くないところがあって
ちょっと注意するとすぐに切れるんだから
おまけに「俺は帰宅部の部長だった」ってバカじゃないの・・

わたし、剛くんに告ろうかなぁ
わたし自分でも、ちょっとイケてるかもって思うくらいまぁまぁだから
きっと、剛くんに告ったら喜んで受け入れてくれそう
でも剛くん、彼女はいないらしいけどモテそうだもんなぁ
でも彼女いないという事は野球一筋かなぁ
なんか、野球以外は人生じゃないとか言い出したら
わたしがドン引きするかもだし

(駅のアナウンス)
「お待たせしました、十七時四十五分発粟生行き、間もなく発車いたします」
ええ~マジ?
この次の列車なら花火の始まる前に会場に着けないよ
もういいか、ほっといて一人で花火行こうか
うん、そうしよう、せっかくここまでチャリ漕いで来たんだし
花火見たいもん・・・

って、あのカップルや友達連ればかりの列車に一人で乗るのかぁ
知ってる子に出会ったら
「あれ?彩花、ひとりなん?」って絶対訊かれるし
いやだよ・・そんなの
でも家に帰ったら「あれ?彩花、翔くんと花火と行ったのじゃないの?」
って絶対お母さん訊いてくるし

だめ、詰みだわ
人生終わったな・・
翔くん、まだかなぁ、なんか泣けてきちゃった

あ、運転士さんが乗り込んでいくよ
この列車、もう出るよ、翔くん、叫びたくなる

(その時、息を切らせて少年が駅に駆け込んできた)

「ごめん、待たせてごめん」
翔くん・・知らない、拗ねてやる
「ごめん、とにかく乗ろう」
知らないもん、知らないもん、知らないもん
翔くんなんて嫌いなんだもん

********

一両の気動車はゆっくりと始発駅を出ていく
先ほどまでベンチで誰かを待っていた女の子の姿はホームにはなく
花火を見物に行く大勢のお客を乗せた列車は
ディーゼルの排気を上げて去っていく

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