今回は、皆さんに「ピンチの裏側」という詩を紹介したいと思います。
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ピンチの裏側
山本よしき
神様は決して
ピンチの裏側に必ず
ピンチと同じ大きさのチャンスを
用意してくださっている
グチをこぼしたりヤケを起こすと
チャンスを見つける目がくもり
ピンチを切り抜けるエネルギーさえ
失せてしまう
ピンチはチャンス
ピンチの裏側に用意されている
チャンスを見つけよう
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この詩は今年の夏の高校野球甲子園大会で優勝した佐賀北高校の野球部の部室に掲げられている詩だそうです。
佐賀北高校の前監督が、「チームの発奮材料になるような詩を」ということで、この詩を掲示したそうです。
佐賀北高校といえば、野球部の予算は60万円という、どこにでもある普通の公立高校。この高校が甲子園の頂点を極めたことは、当時さわやかな感動をよびました。
当時の記事にはこんなことが書いてありました。
『練習環境が恵まれているとは言えない。放課後の練習は午後7時30分までで、試験前1週間は部活動を休む。「野球に打ち込みたかったら勉強もがんばらないといけない」というのが百崎敏克監督の指導方針。どこにでもある県立校だ。』
出典:asahi.com
決して恵まれた環境ではないにもかかわらず、甲子園での優勝を勝ちとった佐賀北高校。甲子園の頂点に立つということをなしえた裏には、実は上記のような詩にもあるような考え方が浸透していたからかも知れません。
よく私たちは「○○さえあればもっとできるのに」とか「○○がないからできない」という言い方をします。でも、それは本当にそうなのでしょうか?佐賀北高校も決して恵まれた環境ではありませんでしたが、今ある環境を十分に生かすことで甲子園優勝を成し遂げることができました。これが、もし、「○○があったら…」などといい、その環境が整うまで何もしなかったとしたら、今回のこともなかったかもしれません。
良い環境を求めること、これは決して間違いだとは思いません。しかし、今の環境が決して良い環境ではないからといって、良い環境にある人たちをうらやむのではなく、今ある環境を十分に生かしきることのほうが先のような気がします。
「○○が手に入ったら…」なんていっている人ほど、実はその念願の○○が手に入っても案外何もしない、そんなような気がします。どんな環境下でも、やる人はきちんとやっている、そんな気がしてなりません。
参考:読売新聞 2007/11/26 夕刊