紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

大学と地域住民

2007-08-27 19:08:55 | 教育・学問論
ある日、大学へ向かうバスに乗っていた時に一人の老齢の男性が女子学生に向かって、「本当にこの大学はマナーが悪い。市民はみんな、迷惑しているんだ。公害大学だ!」とはき捨てて、降りて行く場面に出くわした。当の学生は大人しく立って乗車していて、何も悪いことはしてなかったのであっけにとられていた。ただこのお年寄りの日頃の鬱憤をたまたまぶつけられて、気の毒だった。昼前だったので、さほどバスが混んでいた訳ではないが、通学バスを生活圏で利用しているお年寄りなので、日頃から学生のせいでバスが混んでいると不満を持っていたのだろう。「コウガイ大学」というのが語呂合わせのような響きがあったので、なおさら普段から考えていて、敢えて言ったように聞こえた。

この大学に赴任した時にまず学生よりも、むしろ地元の高齢住民のマナーの方がよほど気になった。終点の駅のバス停は別として、途中の停留所では順番を守らず、当然のように横入りする。車内で前に移動する時に「すみません」の一言もかけることなく、ぶつかって歩き、時には怒鳴る。一停留所しか利用しない客も多く、そのほとんど全員が無料パスの利用者であるなどなど、お年寄り利用者の方が何かと目に留まった。高齢社会の将来に暗澹たる気持ちになることも少なくなかった。

そんなことを考えていたある日、70歳くらいの女性だろうか、60歳くらいの女性が空いた席に座ろうとしたのを威嚇して、「アンタ、いくつや?」と聞いて、その女性が「60です」と答えると、「まだ早い。図々しい」と言い放って着席することもあった。言われた女性も十分、優先席に座る資格があるように見えたが、きまり悪そうに「すみません」と言って、その凶暴な老女に譲った。日頃、混んでいるバスで優先座席が空いているのに学生が着席しないでいると、かえって混雑を助長するので座ればいいのにと思っていたのだが、こんなお婆さんが乗車していると思えば、学生たちも怖くて座れないだろう。

大学にしても高校にしても概して地域住民との関係はデリケートな問題で、地元の学生を敵視する住民はどこでも多い。私が通っていた高校は、最寄駅から歩くと50分もかかる、ひどい立地条件だったため、バスに乗ることが不可欠だった。幼稚園から工業高等専門学校(現在は大学になっているが)まで抱えたマンモス校だったので、バスの混雑は尋常ではなく、当然、地元の人たちの反発を強く買っていた。そのため高校の先生たちは朝夕、登下校時のバスの乗車指導を駅や学校で行なっていた。生徒は、通学路線以外のバスには乗ってはいけないと指導されていた。学校から少し歩いていくと、駅に帰る別の路線のバスがあり、通称、「裏バス」と呼ばれていた。家に帰るのにバスに乗るのになぜ若干の背徳感を覚えなければならないのか、と思いつつ、時々、友人とこっそり利用したのも懐かしい思い出である。

あの高校に比べると現在の大学のバス状況は数倍ましであり、大学があるから本数も多く、また老人が利用する病院があるから一定本数も確保されている、冷静に考えれば「相互依存」のはずなのだが、地元の高齢住民からすれば、「自分たち」のバスを学生が「占領」しているくらいにしか思っていないのが残念である。また原付二輪で下校する学生たちがうるさいといって、通りかかる学生の学生証を取り上げたり、電話で大学に脅迫めいた抗議をしてくる住民さえいる。誠に地域との共存は難しい。

過疎地の場合、大学を誘致することで、税収源が確保されたり、地元のサービス業に還元されたりということもあるのだが、都市部の大学の場合は、そのように歓迎されることもないだろう。地域連携ということも盛んに言われるが、大学の所在地からその大学に入学する学生の数はごく限られているし、市民講座や学園祭などの形で地域の人たちにキャンパスを開放し、よりよい関係を築こうとしていてもその効果はしれたものである。若い人たちや特権的に見える大学生に対する日頃の反発が、時々バスの中で暴発しているのかもしれない。反発する住民から見れば、大学も一種の「迷惑施設」に過ぎないのかもしれない。

もちろん大学や学生が反省すべき点は多い。ある晩、大学から駅に向かうバスに乗っていたら、酒に酔った学生たちが車内で大声で騒いでいた。他の乗客がほとんど乗っていなかったからよかったものの、そのようなことを繰り返していたら、「公害大学」だと決め付けられても反論できなくなってしまう。休日や深夜まで演奏している音楽関係のクラブも近くに住む人にとっては騒音だろう。以前、ブログでも書いたが、大学や大学生という身分が自分たちが思うよりも特権的なものだという自覚をもって、注意して行動しなければならないだろう。

このように書きながら同時に思うのは、住宅地だから仕方がないのかもしれないが、この町が必ずしも大学町として、コミュニティ全体で大学生や大学に対して優しくなっていない点が学生たちにとっては少し可愛そうだと思う。私が通っていた大学は、商店街も大学生をもう少し暖かく見守っていたし、大学スポーツで優勝したり、勝利した時は町全体で喜ぶような雰囲気があった。町の印象は、建物や施設やお店などのインフラだけで形成されるものではなく、そこを歩く人々の表情や言動などで作られる部分も重要である。若い学生よりも長く生きてきた人生の先輩である高齢者たちが、ただ学生や他の乗客を怒鳴り散らしたり、捕まえたりするのではなく、一緒に町の文化を創っている意識を持って、もう少し余裕をもって接してほしいと思うのは高望みなのだろうか?


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