紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

美しく年をとる

2006-04-18 23:37:21 | 社会
誰が言っていたか忘れたが、「就職すると先輩や上司が増えても、親友は増えない」という言葉が妙に印象に残っている。確かに仕事をしていれば自動的に先輩や上司の数は増えてゆくが、学生時代のように利害関係のない付き合いができる友人は、社会人として限られた時間の中ではなかなか多くならないかもしれない。

同時に、年をとればとるほど、素直に尊敬できる人に知り合う可能性がどんどん減っていく気がする。こちらの人間を観察する目が厳しくなっているせいもあるかもしれないが、自分がもはや子供や若者でなく大人になるにつれ、自分より年長者がすべて中年か、老年に属する人たちとなり、そういう人たちが若者がもつような純粋さや潔癖さを失って、現実の利害や欲望でがんじがらめになっているのを見せ付けられることが多いからかもしれない。

大学を卒業してすぐに会社に勤める社会人に比べると、我々、大学教師の多くは大体10年遅れくらいで社会人になっている。会社に勤める友人たちがそろそろ中堅社員になるころにやっと駆け出しの教員となり、「若手」などと呼ばれる。普段付き合う学生たちも18~22歳の若い人たちが中心である。自ずと気持ちも若くなるし、早くから社会にもまれている友人たちと比べて、実際に若く見える教師も多い。しかし大学の校舎を一歩出れば、私たちも「中年」に変わりになく、人生70年の時代でいえば、既に折り返し地点を回っている。そんな風に考えると、若い頃の「いかに生きるべきか」という問いが、「いかに年を取るべきか」という問いにふと変わる瞬間がある。

私は年を取ることがすべてマイナスだとは思っていない。若いことだけが優れているのだとしたら、人生を生き続ける意味が無くなってしまう。だから「中年」のはしくれとしては、若者の真似をして、若さをアピールするのも何か馬鹿げている気もする。年齢に応じた成熟をしてゆきたいものだといつも願っている。その一方で、私たちよりも年長の中年、老年層の人たちになかなか共感できないことも事実だ。特に「団塊の世代」と呼ばれる権利意識が極めて強い世代には何かと違和感を覚えることが多い。

「元『革命家』が年金をもらう日」というフレーズをどこかで見かけたが、2007年問題といわれるように、若き日に学園紛争や反体制運動に明け暮れた世代が大量に定年退職し、年金生活をする日が近づいている。高齢者介護施設を訪問調査したゼミ生が面白いことを聞いてきたのだが、現代の入居者の中心は昭和一ケタ以上世代で、規律や集団行動に従う世代なので、老人ホームの運営も比較的やりやすいが、自己主張が激しい団塊世代がホームに入ってきたら、果たしてどうなるのか、関係者は戦線恐々としているそうだ。

安易に「世代」でまとめてはいけないとは思うが、団塊世代を見ていると、上手に年を取ることの難しさを感じることが多い。この世代は戦前世代のような、「老成」や「東洋的諦念」、「枯れ」といった言葉とは無縁で、よく言えば「生涯現役」というか、年を取っても現実的な欲望を貪欲に追求しているハングリーな集団に見える。学生時代には「大学解体」や反体制を掲げていながら、なぜか大学に残って、国立大学の場合には税金で給料をもらうようになった元「革命家」やラジカルたちは、自分たちの意識の上では、50になっても60になっても「若者」であり、「抑圧」や「体制」と戦い続ける抵抗者である。成熟を拒否することを誇っているようにさえ見える。しかし現実には「解体」したはずなのに残った大学でそれなりのポジションを得て、「学内限定」かもしれないが、いつのまにか「権力者」にもなっている。しかし意識の上ではいつまでも「青年将校」だから、自分がよもや「抑圧者」になっているとは気づかない。リベラルだと自認している人ほど、権威主義的で抑圧的な教育者となりがちな陥穽はここにあるのかもしれない。自分のためにやっていることを大学や学生のためにやっているのだと本気で思い込むのに慣れすぎているのだろうか。

しかしこういう人たちにも若い時代があり、大学解体や反戦を叫んでいたときには純粋に正義感で戦っていたのだろうし、自分が地位を得て、自分なりの権力を行使できるようになったから、以前の理想を忘れて、現実にただ安住しているのだと決め付けるのは早計だろう。むしろ自分の主観と客観的な環境、周辺の人の思惑とのずれに対する感度が老化によって鈍くなってきていることが大きいのかもしれない。今はそういうズレに敏感なつもりでも、あと20年も年を取ると同じように鈍感になってしまうのだろうか、そういう風に考えると恐ろしくなってくる。

大学に限らず、あらゆる学校の教師によく向けられる批判に、「独善的で人の話が聞けない」ということがある。長年、学校の先生をしていた人に多いのだが、自分がしゃべりだすと止まらないのだが、他人の話は10分も黙って聞けない人がいる。教師の職業病といえるかもしれない。私も長年、教師稼業を続けるとそうなってしまうのだろうか。そうならないように誰かに釘を刺してほしいものだ。

生活習慣病などは定期健康診断などで毎年チェックされるが、こうしたベテラン教員の「教師病」も定期的にチェックしないと、手のつけられないことになってしまうのかもしれない。美しく年を取ることは不可能ではないと思うが、感性が鈍らないようにするには、かなりの努力が必要であるに違いない。


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