言の葉綴り

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〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑦親鸞について…その3

2021-05-10 13:12:00 | 言の葉綴り

117〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑦親鸞についてその3


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4親鸞について抜粋







親鸞についてその3


承前


そういう契機あるいは因縁、機縁ということを視点としてめぐってゆく人間の行為、あるいは人間の思想でもいいんですけども、そういうもののあり方というものを、『歎異抄』のなかの唯円と親鸞との問答はよく示しているようにおもいます。親鸞が絶対他力の考え方を、最後に解体させるさせ方の見事さというのは、ちょっとたとえようもありません。例えば、『弥陀の五劫思惟の願』というのは本願ということでしょうけども、よくよくみてみると、それは「親鸞一人が為なり」なんていうことをいうわけです。そういうふうに云っちゃったら、少なくとも宗派としての宗教は成り立たないことになるわけですけども、結局、そこまで云い切ってしまっているわけです。そうなれば理念宗教としては解体する以外にないというところだとおもいます。「それもてみな一人が為なり」というならば、それっきりじゃないか、それよりほか云いようがないじゃないかということになるわけでそういう解体のさせ方のポイントというものは、やっぱり最後に親鸞というのはやっているようにおもえます。その種の表現はいくらでもみつかります。それは善悪みたいなことでも、先ほど云いました、念仏称名して浄土へ往くか地獄へ往くか、そんなことは存知せずという云われ方もそうですけども、善悪についてもそうなんであって、そんなのはわからんよという云い方を到るところでやっています。こういうじぶんが最後にして最初というところで築いた浄土真宗の真髄である絶対他力みたいな考え方を、結局は自己解体させるというところにやっぱりいっているようにおもいます。

例えば晩年になってくると徹底していて、浄土真宗でも各地各方での分派闘争みたいなのが起って混乱が生ずるわけですけども、それにたいして親鸞は書簡でもって答えたりしているわけです。その中で、もう徹底しちゃって、じぶんは眼も衰えてしまった、どんなこともみんな忘れちゃった、だから浄土宗のことはたれか学者にでも聞いたほうがいいでしょう、というふうなことを、ちゃんと明からさまに云っているわけです。自らは愚者にも接近して、絶対的に愚者に一致したというところまで自己解体せしめたと云っているんだとおもいます。だけども本当の愚者にはなれなくて、いくら接近しても、そこにはどうしても紙一枚の深淵があるわけで、例えば親鸞の、じぶんは眼も衰えてしまった、もうろくしてしまった、覚えたこともみんな忘れちゃった、いろんな浄土宗のことだったら学者に聞いてくれという、その云い方をこちらで受け取るときには、それが逆説を云っているみたい聞こえるわけです。しかしおそらく親鸞自体の意図は、そういう逆説を使っているということじゃなくて、本当に〈知識〉というものが、あるいは宗教でもイデオロギーでもいいんですけども、いわば〈還相〉という過程を、つまり〈愚〉を把えるという過程を、どこまでもつきつめていったばあいに、究極的に到達したところは、しぶんが愚者になってこれでおわりですよと、そういうふうに云っているんだとおもうんです。しぶんはまったく愚者と同じになっちゃった、紙一枚の深淵もあるかなしかわからない、とにかくそこへいっちゃったんだ、そういうようになっちゃったんだといっているだけにちがいないのですけども、これをわれわれが受け取るばあいには、一種のイロニー、あるいはパラドックスみたいなものとして受け取られるところがあるんです。それはなぜかといいますと、今いいましたように、本来的な愚者というものと、愚者を把える過程で、あるいは愚者に限りなく接近する課題こそが知識にとって最後の課題だという、そういうところをずっとつきつめて、愚者になりきったというふうにかんかえた親鸞との、世界の経めぐり方が、同じくポイントに立っているんだけども、こちらのほうは、なにか知らんけど一回り回ってそこへいったという、それと、本来的にそこのポイントにいたという者との微妙なちがいに基づいているとおもわれます。しかし明らかに絶対他力という考え方自体も相対化してしまうということで、親鸞の思想が志したところは、結局は愚者にいっちゃえということ、いっちゃって一巻のおわりという、そこまでいっちゃう課題をつきつめないと、知識の課題というか、思想の課題というのは、おわらない、そういうことだろうとおもいます。

当時、知識人たちは、念仏を一口となえれば浄土へ往けるみたいなばか気たデタラメなことをいう坊主が出てきたということで顰蹙したわけです。しかしその顰蹙というものの範囲は、思想なり知識なり信仰なりというものは、どこの領域にいれば顰蹙する観点になり、どこまで愚者に近づいちゃえば顰蹙される観点になるかというのは、つまり顰蹙する観点というのは、どこからどこまでの範囲であろうか、あるいは、ちがう云い方をしますと、人間のは思想でも、あるいは現実生活でもいいんですけども、そういうものが相対性に絶えずさらされている領域はどこからどこまでであって、絶対的な領域はどこからどこまでであるか、そういう範囲みたいなもの、領域みたいなものは、どういうふうに親鸞なんかの中で確定されているかというふうにかんがえてみますと、これまたいろいろな云われ方、表現のされ方がされています。例えば浄土真宗の観点からゆくならば、悪人正機というやつで、つまり悪人のほうが善人なんかよりもずっと救済される、あるいは浄土へ超出する、そういう契機が大きいんだ、つまり絶対的な世界ではそういうようにいえる。それじゃ相対的な世界といいましょうか、相対的な思想というものの領域のなかで、それにたいしてどういう反論、反問というのが可能かといいますと、そういう例を挙げてあります。

例えば、悪人であればあるほど、往生して浄土へ往きやすい、悪人正機ということが正しいんならば、人間はどんどん悪いことをしたほうがいいということになるじゃないか、つまり悪いことをしようということになるじゃないかという反論は、当然、相対的な世界からは発せられるわけです。それほど悪人のほうが救われて浄土へ往きやすいというならば、どんどん悪いことをしたほうがいいじゃないかという、一種の反問なんですけど、それにたいしては絶対的な領域というのはどこだと答えているわけです。その答え方はどういう答え方かというと、そうじゃない、必然的機縁があって、あるいは契機があって悪をせざるをえなかったとか、人を殺さざるをえなかったというなかには、自力というものがないんだ、しかし故意に、悪人のほうが救われるなら、どんどん悪いことをしようじゃないかというふうな考え方のなかには、微妙ですけど自力という考え方が混入してきていると親鸞は云います。だからそれは正しくないんだ、だめなんだと云っているんです。ただ、絶対他力の領域で機縁に促されて悪をせざるをえなかったとか、人を殺さざるをえなかったというんならば、そこには自力というものはない、しぶんがそうしようとおもってそうしたという契機がない、機縁のみがそこにあって、いわば自力というものはそこにない。それは絶対他力にとって救済の正しい契機になりうるんだ。だけど、そんなこと云うんなら、結果からいってどんどん悪いことをしたほうがいいということになるじゃないか、あるいは悪いことをどんどんするほど救われることになるじやないか、それはどうなんだという反問の仕方のなかには、いわば微妙に自力が混入してきて、そこがいちばん問題になるんだ、だから契機なくして、悪いことをしたほうがいいよということになるじゃないか、あるいは悪いことをどんどんするほど救われることになるじゃないか、それはどうなんだという反問の仕方のなかには、いわば微妙に自力が混入してきて、そこがいちばん問題になるんだ、だから契機なくして、悪いことをしたほうがいいという考えは、ぜんぜん成り立たないと答えています。その答え方は、はぐらかされたような気がするんですが、本当はそうじゃなくて、最後に知識を放棄して愚者に近づくという課題にたいして、相当徹底的な視点を持ったときに、そういう答え方はが出てくるんだとおもいます。そういう問答は、たくさん拾いあげることができます。それらは大体、親鸞自身の著作よりも、親鸞の弟子たちが親鸞の語録として集めたもののなかで、浄土真宗の絶対他力の考え方、あるいは親鸞自らが築いた絶対他力の考え方自体をも、否定し、解体させる、相対的な視点が見事に現れています。

相対的な世界から、その種の反問はいくらもありえます。例えば、念仏をとなえて、極楽浄土に往生できるというなら、念仏をとなえても、少しもうれしい気持ちにもならないし、それから、さっさと死んで浄土へ往きたいという気持ちも起こらないのはどういうわけか、そういう反問が、相対的な領域から発せられるわけで、それにたいして親鸞は答えています。念仏をとなえて浄土へ往けるのは、本当ならばうれしいはずなのに、うれしい心が起こらないのは煩悩のせいなんだ、煩悩が存在するということは、浄土への契機のひとつでありうるわけだから、それはまことに当然のことであるというのです。それから、念仏をとなえて死んだら浄土へ往ける、浄土は素晴らしいというような浄土真宗の教義にたいして、さっさと死んで、そんな素晴らしいところへ往こうという気が起こらないのは、どうしてなんだというような問いにたいしては、煩悩のふるさとというのは、なかなか捨てがたいもんなんだ、まだみない浄土へ往くというのは、なかなかおっくうなんだよ、という答え方をしています。それも一見すれば、ちょっとはぐらかされたような白けちゃう答えのようにみえますが、その答えのなかに含まれた思想の自己解体の契機は、現在、ぼくらでも受け取ることができます。これはやっぱり重要な、いわば三願転入をもう少し発展させたところでかんがえられる、親鸞の究極の思想だとおもいます。これは現象的には、答えをはぐらかしているにすぎないようですけども、本質的にいえば、知識にとっての最後の課題にたいして、親鸞自身が、宗教的な形で展開しているとみることができます。

諸国の分派闘争にたいして、親鸞がおめえたちにそんなことを云ったってしょうがねえじゃねえかということで、ついでに云っていることがあるんです。〈余の人を縁(えにし)として念仏称名の宗教というものをひろめるようなことをするのはもってのほかだ〉というふうなことを云っています。「余」というのは〈異う〉ということです。つまり〈余の人〉といったばあいには、浄土真宗に機縁なき人、契機なき人ということでしょうけど、いろんな意味あいがあるかもしれません。そういう人たちの縁(えにし)をたどって、称名念仏の宗教をひろめようとするようなことはしてはならないということを、分派闘争のさかんな書簡のなかで云っています。おれだって弟子なんて全然ひとりもいねえとおもっているんだ、だから余の人、つまり契機なき人、機縁を媒介にして念仏宗教、つまり浄土真宗をひろめようなんてかんがえては絶対に相ならん、というようなことを云っています。こういう云われ方は、宗派にとってはまったく矛盾なんで、あるいは救済にとっても矛盾てあるかもしれません。しかし最後に親鸞は、いわば浄土真宗自体の本質的な核になる思想自体をも、解体さしているといいますか、相対化しているように、ぼくにはおもわれます。だからそういう相対化のところで、いわば無伽藍、無宗教、念仏をとなえたって地獄へ往くか極楽へ往くか浄土へ往くか、そんなことはわからない、ぜんぜん存知しない、というところでもって、本当の意味での親鸞の思想というのは大団円しているようにおもわれます。この大団円の仕方は、なぜかしら現代性をもっているので、それはしかめつらしい文章をも読んだってちゃんと突き刺さってくるものは、突き刺さってきますし、今でも古びない知識の課題、思想の課題、あるいは宗教の課題へ到達しているようにおもわれます。

このところまで突きつめたときに、親鸞にとって、浄土真宗を信ずるも信じないも、あるいはまた念仏をとなえるもとなえないも、それはやっぱり〈面々の御計〉であるというふうなことになったいます。これは別の云い方で他の宗教が念仏称名、浄土真宗を誹謗し、それをおとしめても、念仏者というものは他の宗派を誹謗し、これを排斥するというようなことをしてはいけないんだと云っています。これもまたきわめて新約聖書に似てくるんで、〈隣人を愛せよ〉っていうわけで、〈右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ〉というのと非常に似てきてしまう契機が含まれているんです。

そこの契機までゆくと、これは絶対に対手を許容する、絶対に対手をゆるすということになるのか、あるいは絶対に許さないから、許すのであるというのか、そこのところは、また微妙に重なってくる場所が出てきます。そこがまた弁証法的に興味深いところで、聖書の〈右の頬を打たれたら左の頬も出せ〉とか、そうすると、いやに隣人を愛する宗教じゃないかとおもっていると、ちょっとまたちがうので、別の箇処では、〈われは地上に平和をもたらすためにきたんではない、剣を投ぜんためにきたんだ〉なんていう言葉もでてくるわけで、それを無限の許容、寛容というふうにかんがえると、ちょっとちがうとおもいます。

親鸞が他宗が念仏者をどのような仕方で誹謗しようとも、それはそのように受け取れ、絶対に他の宗派を誹謗してはならんぞ、というような云い方をしているときに、それは浄土真宗、あるいは自己解体の過程で出てくる一種の寛容さにみえますが、単なる寛容というふうにかんがえたらまちがうのであって、それは自ら築いた絶対他力のの思想を自ら相対化する過程で初めて出てくる過渡期的な思想といいましょうか、そういうものの万やむをえない発露みたいなふうにかんかえたほうがよろしいのです。その寛容さの裏側に、絶対に他宗なんて許さんぞという意識もあるとみたほうがいいかもしれないし、そういう二重性が、どうしても入ってきてしまうわけです。そこのところの含みといいますか、二重性といいますか、そういうまったく相反し相矛盾すると考え方を、いわば二重化している、あるいは包括しているところが、親鸞なんかのいちばん重んじた〈還相〉における思想、あるいは〈知識〉の最後のあり方とみられます。

ぼくは、うちの習慣的なものが浄土真宗だということを除いては、宗教もイデオロギーもそれほど絶対化しては信じていないし、ぼくは自立だ自立だとてめえがやれないことは、たれもやらないとおもえとか、絶対に許すなとか、そういうことばっかりいって、まことに正反対の不肖のものですが、若いときから親鸞というのは好きでして、まったく反対なことをいっているというふうにはちっとも感じないところがあります。それはおそらく、親鸞の絶対他力といいますか、三願転入のなかの選択本願というもののあとにくる自己解体の過程が、いわば絶対他力が同時に絶対自力というものを二重化するといいますか、包括するというところを明らかに指し示しているからではないかとぼくにはかんがえられます。異なった関心をいっているようには、ちっとも感じない。親近感が強いんです。中世ですから、イデオロギーというのは、宗教の形でしか出てこなかったわけだし、また宗教は一種の宗派宗教としてしか出てこなかったのですけども、宗教だから縁がねえよってなものでもない。宗教というのは、無神論者にとっても唯物論者にとってもたいへん重要な問題だというふうにおもわれます。親鸞についての著書とか解釈とかは、山とありますし、ここニ、三年だけ取ってきても相当ありますけども、たいていはつまらない(笑)とおもいますよ。そういうことは、相対的なものですから、絶対的な思想からは問題にならないことで、どうでもいいことだとおもいます。

でも、宗教的ということで、偏見をもつんじゃなくて、イデオロギーとして、あるいは思想として、あるいは、そういうことを抜きにしても、それから、ぼくらが、そこから遠いとおもっている絶対信仰というような観点からも、日本の中世の新興宗教というのはたいへん学ぶところが多いし、問題が多いとおもいます。好みの問題はありますから、なんともいえませんけど、ぼくらは親鸞が最も面白いとおもいます。最も見事だとおもいます。見事だということは、最後には単なる仏教的範疇というようなものに包みきれないで、いわば世界観といいましょうか、普遍観念というようなもののところでかんかえるほうがいいようなところまでいっているようにおもいますから、そういう意味あいで、仏教の教養のなかでどうだということじゃなくたて、かんがえうるところがあります。つまり、それをハミ出しているところがありますから、親鸞は興味深い宗教家だとおもいます。