言の葉綴り

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〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑧『最後の親鸞』のこと

2021-05-17 12:38:00 | 言の葉綴り

118〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑧『最後の親鸞』のこと


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4『最後の親鸞』のこと より抜粋







『最後の親鸞』のこと







1


前略


『最後の親鸞』が、おおくの親鸞論や親鸞研究のあいだで、どういう意味をもちどういう位置が与えられるのか、わたしにはわからないし、そういうことは第二義以下のことにおもわれる。また、わたしの親鸞論の外在的な意義が、すこしも与えられなかったとしても、自分の思想詩の体験として充分に内在的な充実感が満たされていて、格別の不服もないとおもった。

ここで描き出された親鸞論は、あるいは宗教内部の人々が抱いているものと異なるかもしれない。これは致し方のないことである。〈信〉というものの構造を、極限まで解体してみせた親鸞の思想的な営為が、わたしにとって最大の魅力であり、また、最大の関心事であった。これは親鸞では、自己欺瞞の解体の仕方としてあらわれている。かれは僧侶であるゆえに思想家であるのではなく、思想がたまたま時代的に仏法の形としてあらわれたゆえに僧侶であるにすぎなかった。〈非僧非俗〉がその境涯を集約するところに、わたしは親鸞を描きたかった。そして親鸞が充分にこれに耐える思想家であることがわたしを喜ばせた。この本をまとめて胸のつかえがひとつおりた感じがしている。もう少しさきまで歩んでいけるかもしれない。


2


こんど『最後の親鸞』という本をつくった。読んでくれればその論旨は明瞭だといえばそれまでだが、いくつかの点でこの種の仏教的な思想家を俎上にのせるばあいに、眼に視えない困難があることを云っておくのが親切なことだと考える。簡単なところから入ってゆくと、現代の批評家といえども、パスカルを論じたり、ルッターを論じたりことはありうる。また現代の研究者がパスカルやルッターを対象にして論著をつくるというばあいもありうる。こういうばあい、読者は、現代にあって獲得している諸概念さえあれば、そのままこれらの論著にとりつき、読みとおすのに困難を覚えないだろう。困難があったとしても知識の有無に関することだけである。

ところが不思議なことに親鸞や道元や日蓮を対象にして作家や批評家が論著をつくったとしてみる。このばあいには現代の論者も読者も共に、現に獲得している諸概念で論ずることも読むこともきわめて難しいという事態が生ずる。論者の方は、抹香臭い雰囲気を掻き分けて、まず現代の諸概念の流通する広場へももってくることだけで、息が切れるほどの困難に出遇うのである。下手にこれをやろうとすると、現代のパターンで往古の時代の 仏教思想家を割りつけることになるし、のめり込めば自ら抹香臭い雰囲気をふりまくことになる。おおくの宗教家によって論じられた親鸞や道元や日蓮が、漢訳を通した抹香臭い雰囲気にどっぷり首をひたしたものになるのはそのためである。これは感覚的な云い方だから、すこし云い直すと仏教の諸概念に分け入るとき、すでにどっぷり抹香臭さにひたることなしに理解できないということになる。まして理解した上でひき返すのがとても困難なのだ。では、文学者や哲学者の書いた親鸞や道元や日蓮はどうか。云わぬが花というものだ。かれらは自前の思想なんぞ持ち合わせていないのだから、抹香臭さそのもののなかに思想をみることなどできようはずがない。読者もまた同じ困難さに遭遇する。親鸞や道元や日蓮という名辞が、すでに先験的に抹香臭いのだ。現代の読者はパスカルやルッターにとりつくおなじ虚心さで親鸞や道元や日蓮にとりつくことができない。またとりついてみたら予想どおりに抹香臭かったという失望感をしこたま体験することになる。本来的にいって、こういう馬鹿気たことは無いはずである。しかし、あらゆる意味で現在でも西欧の宗教思想とわが国の宗教思想を理解するについて、この種の倒錯した困難が存在することは疑いない。これをわが国の近代以後の思想と文学との悲劇的な、あるいは喜劇的な宿命とすればよいのか。この種の名状し難い困難に眼を閉じて比較文学などやっている連中の貌が、ひとしなみに間が抜けているのは当然でなければならぬ。

わたしは親鸞を論じながら、この種の眼に視えぬ困難ともっともおおく確執した。これを書くことに則していえば、どこへも責任をもってゆきようがない不毛な困難さであった。ともすればこの確執に負けそうにもなった。またこういう確執をとおして道をつけてくれていない近代以後の文学や思想の歴史に恨み言をもってゆきたい気持ちがした。読者がもし、『最後の親鸞』をパスカルやルッター論を読むのと同じように虚心に読むことができたとしたら、わたしにとっては大半の意味は成ったということになるし、名辞からして抹香臭いという先入見なしにとりついてくれたら、それ相応の世界が親鸞論なかに在ることがしれるだろうと思っている。

マックスウェーバーは、親鸞教の性格についてつぎのように云っている。


真宗は、クリシュナ崇拝から成長したインドのパクティ宗教意識ーーこれについては、まもなく論ずるーーに類似しているが、けれども、古代ヒンドゥ教の主知主義的救拯論から生じた一切の宗教意識に特有な、いかなる狂躁的恍惚的要素をも拒否しているという点では、パクティ宗教意識とは異なっている。阿弥陀仏は、救難聖人であり、それを信頼することが、ただ救済をもたらす内面的態度であった。それゆえ真宗は、僧侶の独身や出家主義(メンヒトウーム)一般を排除した唯一の仏教宗派であった。仏僧(ポルトガル人によって「坊主(ポンズ)」といやしめられた」は、妻帯し、ただ仕事のうえでは、特有の服装〔僧衣〕を着た僧侶であるが、その他の生活態度では、俗人のそれと変わるところはなかった。妻帯は、他の仏教的諸宗派においては、日本の内部であっても、外部であっても、戒律の堕落した産物であったが、真宗では、それは、多分にまず自覚的な現象として現れたのである。(『アジア宗教の基本的性格』池田山折日限訳)


インドから中国を経て極東の島国で開花した大乗仏教の一宗派の特徴を、これだけ概観できる透徹した理解力は、羨望にたえない気がする。わたしたちは、たぶん現在でも西欧のキリスト教の一地方的な小宗派の教義をこれだけ的確に概観することはできないだろう。だがウェーバーの方法の基本的な弱点も同時に、これだけの断片からでもみることはできる。ウェーバーにとっては、宗教は宗教であるという認識の世界普遍性が信じられている。けれどほんとうは、宗教は法や国家や倫理や政治や文学の、時代的な一変態であるにすぎない性格をもっている。現在でも〈科学〉的な識知が宗教的にあらわれたりしているのは、誰でも知っている。特に古来からの文化の辺縁地帯では、人間存在の仕方についての基本的な構えの考察と、その実行は、ある時代には仏教、ある時代には儒教、またある時代にはキリスト教の言語と教義的な迷路の仮面をつけてあらわれる。親鸞をはじめ中世の新仏教の創始者たちは、たんに宗教改革者だっただけでなく宗教の解体を体現している面をもっていた。特に親鸞ではその度合いが徹底的にであった。

真宗の始祖親鸞は信仰によって僧侶で在ったのではなく、知識がたまたま〈信〉の形をとらざるを得ない時代だったから僧侶にすぎなかった。また、僧侶だったから浄土門の経典を註釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから、仏教的であったにすぎない。この意味は、ウェーバーの方法からはとうてい理解に達することはできないものである。特に親鸞にあらわれている口称念仏による往生論は、すでに大乗仏教におけるユートピアとしての浄土が、観念的な異空間に描くことができないものであることを象徴していた。つまり観想力による浄土のイメージは、親鸞ではすでに解体されていた。それが無意味なことは僧侶によっても民衆によっても、かなりはっきりと自覚されていた。親鸞はそれに思想的な内容をあたえたといいうる。それを根拠づけるために親鸞がやったことは〈善〉と〈悪〉との価値を転倒してみせることであった。かれは、ある絶対善にたいして、善行よりも悪行の方が近くにあるという概念を造りだした。ただこの悪行は、意志的に(あるいは目的意識的に)なされるかぎり、直ちに善行よりも絶対善にたいして、かえって迂回路に滑りこむという保留か与えられたのである。こういう理念は、ウェーバーがいうような意味では宗教的なものではなく、宗教からの逸脱であり、また宗教の解体であるといってよい。

宗教にたいする通念のうち、もうひとつ難解なのは、宗教すなわち観念論的迷蒙という概念が、どうしても支配的にでてくることである。また、浄土という概念がただちに空想的ユートピアだという考えに陥りやすいことである。これは一般に、ウェーバーのような実証的(と称する)方法が陥りやすい迷蒙である。宗教には、思想がユートピア的な構想をとらざるを得ない時代だったからユートピアが想定されたにすぎないという面がある。このことは逆に、現在〈科学〉と称する思想が宗教的に受容されている側面をもっているのとおなじである。日本における大乗仏教の浄土もそういう側面をもつものであった。ユートピア的な浄土の概念を捨てきれなかったがゆえに、日本の大乗仏教は、空想的「観念的なのではない。また、宗教が一般に空想的観念的なのでもない。ここを誤解しないことは、たぶん宗教を理解するばあいの要をなしている。おおくの宗教研究家(たとえば服部之総)はここのところを曲解し、曲解の歴史を造ってきた。かれらは宗教の宗派が、その教理のうちに実践的な性格をもつかどうか、実践的な反体制運動をしたかどうかに、宗派の進歩性と反動性を類別する基準をみつけようとした。あるいはある宗派が、どういう社会的な階層を基盤にしているかに、進歩が反動かを類別する目安をみつけようと試みてきた。そして信者層の社会経済的な基盤の分析に意を用いた。けれどこういう分析には本来的にいってかくべつ進歩か反動かを区別する目安は存在しない。また、そんなことにかくべつの宗教の意味は存在しない。宗教はどんな宗教であれ観念の構造そのもののなかに本質的な意義をもつもので、その現実的な形態に本質をもつものではない。ある宗派の観念の構造のなかに、時代の必然的な形がどのように正確に把えられ、どのような萌芽が在るかが問題のすべてであるといっても過言ではない。親鸞がユートピア的な浄土の観念をほとんど否定しようとしたところには、たんに時代的な〈信〉の解体を正確に把えている面だけではなく、それ以後に永続的になつながる課題にたいする漠然とした予見があったといってよい。

たぶんわたしがここで云っていることは、じぶんの著書にたいする外側からの予備的な前提と一般的な位置付けを読者に強要していることになっているとおもう。そしてそれは自分の著書を解説してみせることが、照れくさいことに起因している。