五段書きした「いろは歌」には「たれそつねよかわをる」→「誰ぞ常世か倭折る」
と読み取れるメッセージが込められている。
これを「誰ぞ常世か(誰ぞ)倭折る」と解釈すると「一体誰の世を常の世というの
だろう。倭国を誰かが折り取ってしまって」と理解した。
「常の世」の用例を万葉集と古今和歌集から探してみると三首ほどある。
万葉集巻三ー465
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも 大伴家持
(この世ははかないものだとはわかっていながら秋風が寒々と身に沁みるので
亡き人が恋しくてたまらないー『新潮古典集成』より)
万葉集巻七ー1345 譬喩歌 草に寄する
常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢にみしかも
(人国山の秋津野に咲く美しいかきつばたを昨夜夢に見たー『新潮古典集成』よ
り)
古今和歌集巻十八ー933 雑歌下 題しらず
世の中はなにか常なる あすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 読人しらず
(何が常住不変であるか。そんなものは一つもない。-岩波文庫『古今和歌集』
より)
これらの和歌の「常の世」には<この世のはかなさ>と<秋・秋津野>また<常な
らぬものとして人・国・山・かきつばた>を意識しているように思われるが、この
三首の中では古今集の歌が「いろは歌」のメッセージと同じ気分であろう。
「誰ぞ常世か倭折る」は万世一系として編纂された『古事記』や『日本書紀』の歴
史記述を否定するものであり、また、六段書きした「いろは歌」の沓の部分から読
み取れるメッセージ「すしあまうそをへ」→「筋・天・嘘・終へ」によって念押し
をしている。
字母の四十七文字の一字、一音を用いて、意味のある詩歌を作り、「山上憶良」の
名前を隠し、さらに暗号としてたくさんのメッセージを仕組んだ「いろは歌」の作
者の言語能力は神業としか思えないが、暗号を解く側の視点に立てば「あめつち」
と「たゐに」の方がはるかに技巧的で面白い。
「いろは歌」は冠や沓や行を利用してメッセージを伝える単純な手法であるが、
「あめつち」は「いろは歌」の手法と、謎立ての考え方を取り入れており、推理す
る楽しさを味わえる。また「たゐに」は最もメッセージ性が高く暗号として伝えた
いことが明確に伝わってくるが、詩歌としては後半に難がある。
この三つの字母歌には、共通する「お」の問題がある。
「いろは」の場合
現存する最古の「いろは」である「金光明最勝王経音義」の大字、小字の組み合わ
せで、大字<於>に対して小字が抜けている。
「たゐに」の場合
『口遊』の写本にのる「大為尓」の歌では「いろは」と比べると<於>の一字が抜
けており、四句目の「阿佐利<於>比由久」と<於>を挿入する必要がある。
「あめつち」の場合
「あめつち」では<ぬ>を取り<お>を挿入しなければ「おくら」の名前にならな
い。
つまり三つとも<お>が欠けていることに、なにか隠された意図があると思わるが
村上通典氏もこの問題を考察されており、三つの字母歌の暗号に割符の役割を持た
せているのではと述べている。重要な説と思うので『いろは歌の暗号』から紹介し
たい。
奇妙な「お」と「え」
「金光明最勝王経音義」の「いろは」の場合には、他の万葉仮名にすべて別字
が添えてあるのに「お」に限ってそれがない。「金光明最勝王経音義」の成立
した1079年には、字母歌の作者の有力候補である順も為憲も存命していないの
で、彼らが直接そうした訳ではない。しかし、古代史のなぞを明かす暗号は私
的なものではなく、後世の全ての日本人に宛てたものである。暗号の作者の遺
志を受け継いだ者がいたとしても、少しもおかしくはない。(中略)
「金光明最勝王経」は、唐の義浄が703年に漢訳したものを718年に帰朝した僧
道慈がもたらしたものなので、720年に成立した『日本書紀』の文章を構成す
るために、はやばや利用(欽明紀・聖明王の上表文)できただろうかという
疑問が生じる。もしそれが無理だとすれば、『日本書紀』にも後世の暗号の作
者の手が加わっていることになる。
ちなみに、その記事の、聖明王が遣わした使者=西部姫氏達率怒利斯致契とい
う名にはいくつかの疑問点があり、後世の造作が加えられた可能性が強いとい
われている。
そこで「怒利」「斯致」「契」という名を、後世に書き加えられた、「ぬ・り
」「七」「契」という暗号と解釈してみてはどうだろうか。なぜなら絵文字
「山」にある「ぬ・り」は、それぞれ「お」・「え」と置き換えなければなら
ない文字だからである。
また、「七」は、その「お」と「え」が隣りあっている「金光明最勝王経音
義」の「いろは」が7×7のマス目に書かれていることに結び付く。
「契」は「仁徳紀」元年正月三日の項に載っている、応神天皇が武内宿禰にい
った、次の言葉の中に使われている。
「いまわが子と大臣の子は同じ日に生まれ、どちらにも瑞兆があった。これは
<天の表(しるし)>である。その鳥の名を取って、おたがいにあい易えて、
子供に名づけ、後世の<契(しるし)>としたいと思う。」
五段書きした「あめつち」を<天(地)の表>とすれば「お互いにあい易え
て」というのが、絵文字「山」における「ぬ・り」と「お」・「え」との交換
に符合することに注目したい。
なぜなら<契>=割符には「後日合わせて見て証とする文書」という意味があ
る。そして、「ぬ・り」と置き換える「お」・「え」に関して、次に見るよう
に「いろは」と「たゐに」とが、まさに「後世の<契>」というべきものになっ
ているからである。
「金光明最勝王経音義」に載る最古の「いろは」が「於」だけに別字を添えな
いで注意を促しているように、七段書きした「いろは」では「え」の右隣に
「お」が並んでいる。しかも現存する『口遊』のただ一つの写本である真福寺
本に見られる「たゐに」でも「え」の右隣に「お」が並ぶことになる。これこ
そ、後世の者に対する暗号=「後世の<契>」に相違ないのである。
と読み取れるメッセージが込められている。
これを「誰ぞ常世か(誰ぞ)倭折る」と解釈すると「一体誰の世を常の世というの
だろう。倭国を誰かが折り取ってしまって」と理解した。
「常の世」の用例を万葉集と古今和歌集から探してみると三首ほどある。
万葉集巻三ー465
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも 大伴家持
(この世ははかないものだとはわかっていながら秋風が寒々と身に沁みるので
亡き人が恋しくてたまらないー『新潮古典集成』より)
万葉集巻七ー1345 譬喩歌 草に寄する
常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢にみしかも
(人国山の秋津野に咲く美しいかきつばたを昨夜夢に見たー『新潮古典集成』よ
り)
古今和歌集巻十八ー933 雑歌下 題しらず
世の中はなにか常なる あすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 読人しらず
(何が常住不変であるか。そんなものは一つもない。-岩波文庫『古今和歌集』
より)
これらの和歌の「常の世」には<この世のはかなさ>と<秋・秋津野>また<常な
らぬものとして人・国・山・かきつばた>を意識しているように思われるが、この
三首の中では古今集の歌が「いろは歌」のメッセージと同じ気分であろう。
「誰ぞ常世か倭折る」は万世一系として編纂された『古事記』や『日本書紀』の歴
史記述を否定するものであり、また、六段書きした「いろは歌」の沓の部分から読
み取れるメッセージ「すしあまうそをへ」→「筋・天・嘘・終へ」によって念押し
をしている。
字母の四十七文字の一字、一音を用いて、意味のある詩歌を作り、「山上憶良」の
名前を隠し、さらに暗号としてたくさんのメッセージを仕組んだ「いろは歌」の作
者の言語能力は神業としか思えないが、暗号を解く側の視点に立てば「あめつち」
と「たゐに」の方がはるかに技巧的で面白い。
「いろは歌」は冠や沓や行を利用してメッセージを伝える単純な手法であるが、
「あめつち」は「いろは歌」の手法と、謎立ての考え方を取り入れており、推理す
る楽しさを味わえる。また「たゐに」は最もメッセージ性が高く暗号として伝えた
いことが明確に伝わってくるが、詩歌としては後半に難がある。
この三つの字母歌には、共通する「お」の問題がある。
「いろは」の場合
現存する最古の「いろは」である「金光明最勝王経音義」の大字、小字の組み合わ
せで、大字<於>に対して小字が抜けている。
「たゐに」の場合
『口遊』の写本にのる「大為尓」の歌では「いろは」と比べると<於>の一字が抜
けており、四句目の「阿佐利<於>比由久」と<於>を挿入する必要がある。
「あめつち」の場合
「あめつち」では<ぬ>を取り<お>を挿入しなければ「おくら」の名前にならな
い。
つまり三つとも<お>が欠けていることに、なにか隠された意図があると思わるが
村上通典氏もこの問題を考察されており、三つの字母歌の暗号に割符の役割を持た
せているのではと述べている。重要な説と思うので『いろは歌の暗号』から紹介し
たい。
奇妙な「お」と「え」
「金光明最勝王経音義」の「いろは」の場合には、他の万葉仮名にすべて別字
が添えてあるのに「お」に限ってそれがない。「金光明最勝王経音義」の成立
した1079年には、字母歌の作者の有力候補である順も為憲も存命していないの
で、彼らが直接そうした訳ではない。しかし、古代史のなぞを明かす暗号は私
的なものではなく、後世の全ての日本人に宛てたものである。暗号の作者の遺
志を受け継いだ者がいたとしても、少しもおかしくはない。(中略)
「金光明最勝王経」は、唐の義浄が703年に漢訳したものを718年に帰朝した僧
道慈がもたらしたものなので、720年に成立した『日本書紀』の文章を構成す
るために、はやばや利用(欽明紀・聖明王の上表文)できただろうかという
疑問が生じる。もしそれが無理だとすれば、『日本書紀』にも後世の暗号の作
者の手が加わっていることになる。
ちなみに、その記事の、聖明王が遣わした使者=西部姫氏達率怒利斯致契とい
う名にはいくつかの疑問点があり、後世の造作が加えられた可能性が強いとい
われている。
そこで「怒利」「斯致」「契」という名を、後世に書き加えられた、「ぬ・り
」「七」「契」という暗号と解釈してみてはどうだろうか。なぜなら絵文字
「山」にある「ぬ・り」は、それぞれ「お」・「え」と置き換えなければなら
ない文字だからである。
また、「七」は、その「お」と「え」が隣りあっている「金光明最勝王経音
義」の「いろは」が7×7のマス目に書かれていることに結び付く。
「契」は「仁徳紀」元年正月三日の項に載っている、応神天皇が武内宿禰にい
った、次の言葉の中に使われている。
「いまわが子と大臣の子は同じ日に生まれ、どちらにも瑞兆があった。これは
<天の表(しるし)>である。その鳥の名を取って、おたがいにあい易えて、
子供に名づけ、後世の<契(しるし)>としたいと思う。」
五段書きした「あめつち」を<天(地)の表>とすれば「お互いにあい易え
て」というのが、絵文字「山」における「ぬ・り」と「お」・「え」との交換
に符合することに注目したい。
なぜなら<契>=割符には「後日合わせて見て証とする文書」という意味があ
る。そして、「ぬ・り」と置き換える「お」・「え」に関して、次に見るよう
に「いろは」と「たゐに」とが、まさに「後世の<契>」というべきものになっ
ているからである。
「金光明最勝王経音義」に載る最古の「いろは」が「於」だけに別字を添えな
いで注意を促しているように、七段書きした「いろは」では「え」の右隣に
「お」が並んでいる。しかも現存する『口遊』のただ一つの写本である真福寺
本に見られる「たゐに」でも「え」の右隣に「お」が並ぶことになる。これこ
そ、後世の者に対する暗号=「後世の<契>」に相違ないのである。