ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

謎解き詠花鳥和歌 藤と雲雀(ひばり)ー32 小倉山と鹿⑰

2013-09-27 10:52:43 | 日本文化・文学・歴史
「いそらえびす」こと「安曇磯良」は海人・安(阿)曇族の祖と言える人物ですが、大和朝廷は
日本の正史を編纂する際にこの名を伏せました。
 しかし伊獎諾尊の国生みの段では日向の橘の小門で祓除(みそぎはらい)したときに海の底で
生まれた「底津少童命(そこつわたつみのみこと)」海の中ほどで生まれた「中津少童命」海面
で生まれた「表(うわ)津少童命」の三神を「綿津見三神(わたつみさんしん)」として顕し、
綿津見三神を安曇連の祖神としていますし、神代巻の「海幸山幸神話」では「塩土翁」、神武東
遷の段では海路を先導する「珍彦=椎根津彦」という海を司る海人として登場させていますが、
一見しただけではさほど重要な神(人物?)には見えません。
ところが、古代から中世にかけて九州地方では安曇磯良の伝説が寺社の縁起の中に多数残されて
おり、古来語り継ぐべき神として認識されていたことを物語っています。

この綿津見三神は福岡県福岡市志賀島に鎮座する志賀海神社(しかのうみじんじゃ)の祭神です。
社殿は三間流造で綿津見三神と玉依姫・応神天皇・神功皇后が配祀されており、八幡系の巴紋が
神紋で千木、鰹木はありません。

志賀島は古くから玄界灘沿岸の水上交通の要地として知られており、西暦57年に倭国王師升が漢の
光武帝に朝貢して賜ったという「漢委奴国王」と刻まれた金印が偶然発掘された土地です。
そこは1世紀から3世紀にかけて奴国の領域であり、奴国の航海民が祀っていた海神が綿津見三神
なのです。

記紀ではその名を伏せられてはいますが、倭国の成立に係わっていると思われる安曇磯良の幻影を
辿ってみましょう。
綿津見三神の誕生を古事記では上巻六・稧祓と三貴子の項に「三柱の綿津見神は安曇連等が祖神と
もちいつく神なり。かれ、安曇連等は、その綿津見神の子、宇津志日金析命の子孫なり。」とあり
ますが、姓氏録、右京神別に「海神綿積豊玉彦神子、穂高見命之後也」とあり倭大国魂神を祀る
ように指名された市磯長尾市と系図的に繋がるかを今後検索します。

海神綿積豊玉彦神とは大和朝廷の初代、神武天皇の出自を語るいわゆる「海幸山幸神話」に登場し
ます。簡単にあらすじを紹介しますと。
 魚釣りに出かけた山幸彦は兄・海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまいます。兄から責められた
弟は泣きながら海中に落とした釣り針を探そうと海辺にいると、塩椎神が来て訳を尋ねます。そして
綿津見の宮へ行けば海神綿積豊玉彦神の娘が相談にのってくれるだろうと助言をあたえます。そこで
山幸彦は教えられたとおりに海神の宮を訪れ歓待を受けますが、そのうちに豊玉姫と結婚し三年が
過ぎてしまいます。やがて山幸彦は兄の釣り針のことを思い出し、海神の助けで鯛の喉に突き刺さ
っていた針はみつけだされ山幸彦は地上の国へ帰ります。釣り針を返す時に海神の教えのとおり呪
いの言葉をかけて渡すと、兄の海幸彦はたちまち貧しくなり、とうとう怒りだして攻めてきました。
しかし 山幸彦は海神からもらった塩盈珠(しおみつたま)を使って溺れさせてしまい、復讐しま
した。これ以来兄は弟に服属を誓います。(古事記より)
邇々芸能命と木花咲夜姫との間に生まれた三兄弟は火照命(海幸彦・隼人の祖)火遠理命(山幸彦・
彦火々出見命・皇祖)火酢芹命(隼人の祖説があるが、私は国巣の祖・葛城氏の祖と考えている)
ですが、日本の基層民族を神話的に語っています。山幸彦は皇祖神となる火遠理命またの名は天津
高日子穂穂出見命。この火遠理命と豊玉姫との間に生まれたのが鵜葺草葺不合命(うがやふきあえ
ずのみこと)であり、豊玉姫の妹・玉依姫と結婚し生まれたのが神倭伊波礼毘古命(神武天皇)です。
「海幸山幸神話」の舞台は隼人の居住地である鹿児島や宮崎、また九州地方の海人が主役として登場
しており、日本の始原が九州であることを暗示しています。

上記神話中の海神が持っている「塩盈珠」を巡る話は、九州各地の伝承の中に繰り返し語られています。

『太平記』や『志賀海神社の社伝』によると
 神功皇后の三韓出兵の折に軍議のために諸神を招いたが、海底に住まう阿度部の磯良だけは顔に
 アワビやカキが付いていて醜いので、それを恥じて現れなかった。
 そこで住吉神は海中に舞台を構えて磯良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて磯良があら
 われた。磯良は龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠、潮乾珠(しおひるたま)を借り受け皇后に
 献上しそのおかげで神功皇后は三韓出兵に成功したという。

福岡県久留米市に鎮座する「高良大社」の縁起には
 高良の神は十万の敵が攻めてくるのを迎え撃つために、水軍の援助を求めてイソラ神に豊姫を遣
 わしました。イソラ神は海中に住んでいて顔にフジツボや貝殻やワカメ等がびっしり着いている
 ので恥じてなかなか出てこようとはしない。
 高良の神が八乙女に舞を舞わせるとイソラ神が「そこまでなさるなら」と干珠・満珠を授けて援助
 を約束します。高良の神は敵と対峙した時に、干珠を海に投げ込むとみるみる内に潮が引くので、
 敵はふねを降りて攻めてきます。すると満珠を投げ入れます。たちまち潮が満ちてきて敵軍は溺れ
 降伏しました。

高良大社の祭神は「高良玉垂命」ですが玉垂命=磯良説もあるそうですが、一般的には武内宿禰とする
説が多いようです。以前このブログで玉垂命の玉垂れとは天皇や帝王のみが着用を許される「冕冠」
を被っていたからではと考えました。「筑紫の国魂」つまり倭国の王者だった可能性もあると思って
います。また一風変わった伝承もあります。

「石清水八幡宮御縁起」「八幡愚童訓」には、磯良は筑前鹿の島の明神也。
常総国にては鹿嶋大明神。大和国にては春日大明神と申され一躰分身・同体異名である。とする

「琉球神道記」では鹿嶋明神。和州貸すが明神。これ鹿嶋、磯良の変化也。とする

安曇磯良の伝承は玄海の海底に眠りをむさぼり、その顔はきわめて醜くて海の精霊のごとく語られて
いますが、古代の海を支配したであろう面影はありません。海幸彦と同じように降伏してしまった姿
が語り継がれているように見えます。いつ頃?誰に?































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