ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

謎解き詠花鳥和歌 残菊と白鳥 10 兜跋形の冠を被った熊野速玉大神

2015-01-17 11:04:01 | 日本文化・文学・歴史
平安京の羅城門上に安置されていたという兜跋毘沙門天像は唐から我が国に始めて将来されたと
言われていますが、藤原期(694~710年)に造られたとみられる天智天皇像(木造)が兜跋形の
冠と似た形をした冠帽を被った姿で、その都であった大津市膳所町の石坐(いわい)神社に秘蔵
されていました。

 石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも
と詠んだ志貴皇子は天智天皇の息子、志貴皇子の孫にあたるのが桓武天皇ですから、平安遷都の
100年位前に兜跋形の冠帽があったことになります。
兜跋毘沙門天の冠は常に西域風という枕詞がつけられているので、それを日本の天皇像が被って
いたことに驚き、他の神像の被り物にもあるのではないかと思い手持ちの本で点検してみること
にしました。

図録を見ると兜跋毘沙門天像には様々なタイプがありましたが、筒型の宝冠とみなせる仏像と神像
の画像を拾いました。これら図像の掲載誌は
      ①~③『日本の美術8-№315毘沙門天像』ー1992年至文堂
      ④ネット検索  『己高閣・世代閣ー邪馬台国大研究』から
      ⑤ネット検索 『謎を秘めた仏たち(3)ー鳥冠の兜跋毘沙門天たち2』川尻祐治
       から
      ⑥『神々の至宝ー祈りのこころと美のかたち』2007年島根県立古代出雲歴史博物館
      ⑦⑧『古代出雲文化展ー神々の国悠久の遺産』1997年島根県教育委員会・朝日新聞社

仏像の部

①白描多聞天画像
      四天王寺本尊。四天王による国家守護を説く「金光明経」による護国の本尊として
      造立された最古の像を描いた画。7世紀後半 京都仁和寺蔵


②毘沙門天画像
      最澄が羅城門上の様式の毘沙門天を造り比叡山に安置した像を空海の弟子・智泉が描
      いたと伝わる。9世紀 京都醍醐寺蔵


③兜跋毘沙門天像
      羅城門上の様式の毘沙門天像の摸刻した像二体
      京都清涼寺 10世紀
      奈良国立博物館 12世紀


④兜跋毘沙門天像
      滋賀県長浜市鶏足寺(現在)
      当地は比叡山より古い聖地で、行基が十一面観音を本尊として開基した常楽寺
      がはじまりという。多くの仏像がありこの手足のない兜跋毘沙門天像は
      己高閣(ここうかく)に収蔵されている。 11世紀


⑤筒型の宝冠を被った像(兜跋毘沙門天)
      福井県 正楽寺


四天王はもともと仏教の守護神であり四方位を守る役割を持っていますが、北方を守護する
のが多聞天(毘沙門天)なので我が国にはかなりの数の毘沙門天像があります。その中で兜
跋毘沙門天像は少数派ですが羅城門上に安置された像を手本として摸刻、模写したものが古
く時代を経るににつれて西域風の冠を忠実に伝えている像はさらに少なくなりこの冠の重要
性が認識されていたとは思われません。しかし川尻祐治氏の『謎を秘めた仏たち(3)ー鳥
冠の兜跋毘沙門天たち2』によると丹波から若狭にかけて古拙ではあるが数十体の兜跋毘沙
門天像の存在するいくつもの寺があるようです。謎多き丹波国のあまり知られていない情報
と思いました。

神像の部

⑥熊野速玉大神坐像
      9世紀から10世紀初頭 国宝
      和歌山県新宮市・熊野速玉大社第三殿のかっての祭神像。
      宝冠の形は羅城門像と同じ。宝冠の文様は巴紋。
      紀州の熊野神は出雲の熊野から移住して来た人々の奉じる神であり、出雲の熊野
      と同一神と考えられている。


⑦男神像
      島根県松江市・成相(しょうそう)寺。平安末期作か
      この寺には現在23躯もの神像があるという。その中で最も大きい坐像。


 牛頭天王坐像
      平田市・鰐淵寺には平安後期の牛頭天王坐像がある。


⑧十王坐像
      出雲市大社町仮の宮区 
      もと出雲大社境内にあった十王堂にあった木造の神像と伝えられる。


今回、兜跋形(筒形)の冠帽をかぶっている神像をわずかですが見つけることができました。

⑥図の熊野速玉大神坐像は威厳ある風貌が印象深く以前から目にしていましたが、兜跋像と
結び付ける事はありませんでした。冠の紋様は巴紋だが形はほぼ同じです。
2014.11.7の当ブログで推理した熊野神ー牛王宝印ー牛王は生土ー瞿薩旦那国(牛の国)ー
ホータン(和田・于闐)説がこの宝冠によって補強できるのではないかと思いました。

⑦図は平安時代に制作されたとされ松江市成相寺にある男神坐像ですが、神名はわかりません。
この像も兜跋像とほぼ同じ冠帽を被っていますし、あごひげがあるのは熊野速玉大神像と似て
います。⑥は紀州⑦は出雲と地域は離れていますが、熊野は紀州にも出雲にもあり、加夫呂岐
熊野大神櫛御気野命の神像の可能性がありそうです。

⑧図は元出雲大社の境内にあった十王堂に安置していたものと伝えられる群像で、どの像も兜
跋像とほぼ同じ冠帽を被っているように見えます。彫刻の技は稚拙で本格的な仏師によるとは
みられていない像ですが、男性、女性、老人、子供の混る家族の群像のようにもみえます。
女性の着衣に特徴がありこれを辿れば見えて来るものがあるかもしれません。現在は仮宮に祀
られているという。
仮宮は稲佐の浜への道「山根通り」を西へ5丁ばかり行くと砂丘の峠にさしかかる。この峠に
あるのが境外摂社「上宮(仮宮)」で祭神は素戔鳴命並びに八百万の神。陰暦10月の神在祭に
全国から神々が出雲へ参集するがその時の神議(かみはかり)の事の行われるのがこの実にさ
さやかな仮の宮であるという。
神議とは現在であれば国会のごときものと思われるのでそれを招集できるのは王であろう。
出雲の王者の末裔・富氏は遠い神祖(かみおや)久那戸の大神を祀っていたと証言していたが
その可能性もありそうです。

どうやら兜跋毘沙門天と紀州や出雲の熊野神や素戔鳴命(牛頭天王)とのつながりが見えてき
ました。兜跋毘沙門天とは何かを次回に










































 

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