ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 筑紫と出雲の接点<菅之八耳>とは

2021-06-25 09:00:07 | 日本文化・文学・歴史

関ヶ原の合戦があった1600年、丹後の田辺城を石田三成の軍勢に囲まれた細川幽齋は籠城、討ち死にを覚悟する。
そのことを知った後陽成天皇は勅使を遣わせて和議を講じさせた。天皇は幽齋が討ち死にすると<古今伝授を
伝えるものがいなくなるので、本朝の神道奥義、和歌の秘密が永く絶え、神国のおきても空しくなる>ことを
憂えたのだという。(日本古典文学大系8『古今和歌集』佐伯梅友校註・岩波書店より)

 上記は当ブログ2012年2月3日<暗号歌「秋の七草」継承へ500年の執念>の一部分ですが、この逸話の<和歌の
秘密>とは<秋の七草が暗号であること>また<神国のおきても空しくなる>とは<日本建国の秘密を暗号として
伝えるという掟>と推定しましたが、伏見稲荷神符の絵解きや字母歌に仕組まれた暗号の解読などにより、その秘密
とは<出雲に関わることである>事までは視野に入っていましたが、確信を得るための何かが欠けている。それが何
なのか分かりませんでした。

突破口となったのは出雲の国譲りが記紀には<葦原中国>と記されており、その地は九州であると気が付いた事
でした。現存する壮大な出雲大社は国譲りさせられた大国主命の幽りの宮(死後の霊が住む宮)である事を日本
書紀には明記されているにも関わらず誰にも疑問視されて来なかったのが不思議です。

<原出雲は九州である>と視点を変えた事によって前回のブログに述べた原出雲王家の末裔・富家に伝えられた
出雲臣(神門臣家)の系譜から大国主命の始祖は<菅之八耳>とする伝承を知りました。しかもその系図は古事記
の<須佐之男命の神裔>と対応していました。
一方九州では綿津見神(安曇磯良)を祖と仰ぐ安曇族の社・志賀海神社に関わる伝承の中に<菅之八耳>をあちら
こちらにちりばめて伝える努力をしていました。
 * 志賀島の枕詞 「八の耳」
 * 謡曲「綿津見(わたつみ)」の一節
       「八の耳きく 志賀の海 磯良の崎に 着きにけり」
 * 志賀海神社の武射祭にみる<八尽くし>
特に志賀海神社で1月15日に行なわれる祭事・武射祭には<菅之八耳>を伝えようとする強い思いがあふれており
異常とも思われる<八尽くし>です。

以下は北九州大学文学部 石橋利恵さんの論文『志賀海神社の八乙女について。第三章二節 聖なる数字<八>』から
武射祭の<八尽くし>を紹介します。
 武射祭は弓の神事ですがその準備、進行の式次第に込められた<八尽くし>です。
*的は新ワラを束ねて作る。8束を4組 計32束
*締める縄8本の半分 4本を1束に
*的の直径 8寸(鯨尺) 8つの耳(飾り)をつける
*射手 8人 矢取りの少年 8人
*矢の数 6本×8 計48本
*祭りの世話役 8人
*矢篠を切る日 1月8日
*射手の潔斎食の吸い物の具
    豆腐1丁を8の3倍 24にきりわけた1切れとブリ ブリのエラで8本の剣を作ってお守りに
*1月14日に沖津宮での禊ぎの後に供えるダイダイが8個

しかし考えてみれば出雲の側も<八尽くし>である。
*八岐大蛇 八頭八尾 八稚女 谿八谷 峡八尾 八塩折の酒
*出雲大社の八足門 八足机
*須佐之男命の和歌 八雲立つ 出雲八重垣

上記の<八尽くし>は<八>を聖数とみなして問題視されてはいないが、これだけの<八尽くし>は注目して欲しい
という意図が隠されていると考えるべきであろう。
伝承の中で伝えられている<菅之八耳>は出雲と原出雲(九州)を繋ぐキーワードとして設定されており、明確な意図
が込められているはずです。

<菅>は一般的にはイネ科の植物名でカン、ケン、かや(かるかや)、すげ、すがと呼称されます。
   実用としては<すげ笠>の材料です。

古事記の八岐大蛇条では須佐之男命が大蛇を退治したのちに櫛名田比売と結婚して住まいを須賀の地に作るが、比売
の父・足名椎神をその宮の首として「稲田宮主須賀之八耳神」と号けたとあり、出雲の<すが>は<須賀>という
地名です。

<耳>は『魏志倭人伝』に3世紀の投馬国の首長を「彌彌」および「彌彌那利」と記されており、古代日本において
神格を表す尊称と考えられています。
みみ(耳、彌彌、美美) み(彌、見、美、海、看)など様々な表記が見られる。
 『古事記』『日本書紀』の例
   和泉地方  陶津耳(すえつみみ)
   摂津地方  三島溝橛耳(みしまみぞくいみみ)
   丹波地方  玖賀耳(くがみみ)
   但馬地方  前津耳(さきつみみ)
 『出雲国風土記』の例
   波多都見  伎自麻都美
 『古事記・出雲神話』の例
   須賀之八耳 布帝耳 鳥耳 多比理岐志麻流美
 「綏靖天皇」の和風諡号 神沼河耳命 その兄 神八井耳命
 「古代の有力氏族」中の例
   綿津見(安曇氏)
   大賀茂都美(賀茂氏の祖)
   味耳(うましみみ)久米氏の祖
   御鋤友耳(みすきともみみ)吉備氏の祖

以上の用例から現代なら一国の首長や王に付けられる尊称と考えられます。
では<菅之八耳>を国譲りのキーワードと考えたらどのような意味を持つでしょうか?

<菅>は出雲では<須賀>と表記され八岐大蛇退治に関わる地名ですが、出雲族は自らを龍蛇族(りゅうだぞく)
と称しており、出雲族を大蛇と比喩した可能性がありそうです。
何故ならその体内から出てきた剣を「草薙の剣」あるいは「天叢雲の剣」と名付けられ、正当な皇位継承者の持つべき
三種の神器の一つとされています。この剣の名前の由来は大蛇を討った須佐之男命側(勝者)から名付けられたもので
<草を薙ぐ>の<草>とは、古代の人民を指す<青人草>の<草>と思われ、<先住民(蛇)をなぎ倒した>その勝利
の象徴として名付けられたと思いますし、一方の「天叢雲(あめのむらくも)の剣」の<叢>は<群がる>と同義で群
れをなしている雲。しかし出雲の成立ちは風土記で土蜘蛛と呼称された九州の民が国譲り(実際は奪われ)の結果山陰
へ逃れて(出づる蜘蛛)つまり出雲となったと思われます。
さらに「草薙の剣」が尾張の熱田神宮のに祀られている事は、尾張氏と同族で丹波の籠神社の海部氏勘注系図の系譜から
国譲りの実体は天下りして来た火明命が率いた軍団が安曇系の国を奪ったとの推理も的を射ていたようです。
尾張氏は火明命の子・天香具山命の直系の子孫ですから。

出雲では<須賀>、九州では<菅>を用いた理由はなぜでしょうか?
<菅>の漢字を分解すると<くさの官>ですが、草薙の草(すが)と同様に先住民を見下した表現と思われます。

では<菅之八耳>の<八耳>に込められたメッセージは何でしょうか?
 出雲の王家の末裔という富氏の伝承では菅之八耳に続く代々の王と思われる名前が続いており、六番目に出雲の
国引き神話で有名な、八束水臣津野命がおり、八番目に国譲りした大国主命の名が見られます。
国譲り神話での主役は<大国主命>ですからこの系図上で<八耳>と共通する<八代目>というのが重要なメッセージ
かも知れないと思っていた所、<耳>を学研の『新漢和大字典』で調べている時に、身体の耳以外に<耳孫(じそん)>
という項目があり、意味は<自分から数えて八代目の孫>とあり、同じ意味の言葉として<仍孫(じょうそん)>と
記されていました。<仍孫(じょうそん)>の項には<子孫の世代の一つで、子、孫、曾孫、玄孫、来孫、昆孫、仍孫、
雲孫となる>とありました。自分を初代とし八代目が大国主命、八耳とは大国主命を導く暗号ではと思いました。
国譲り後の九代目が<雲孫>。出雲と繋がるように仕組まれています。

何の予備知識も無かった<菅之八耳>でしたが、暗号を仕掛けた側の思惑通りに謎解きが出来たようです。

 

 

 





    
 




 

 

 







 

 

 

 

 

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