ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 火明命隠しから始まった?日本史編纂の秘密

2021-03-31 14:37:01 | 日本文化・文学・歴史

新コロナウイルスの世界的な感染が広がって一年、桜の開花と共に感染者が増加傾向にあり第四波到来かと
心配されます。このような中でオリンピック開催は出来るのでしょうか<後悔先に立たず>の諺を嚙みしめ
ながら一人ひとり行動することが大切だと思います。

 当ブログは日本史の常識を覆すような記事をしばしば取り上げて来ました。最もえっ?と思われたのは<出雲
の国譲り>は<葦原中つ国(九州)で起こった事>とした事でしょうか。しかしこの誤解は後世の読み手側にも
あり、島根県の出雲大社に祀られている出雲大神は天下りして来た天孫族に国譲りをせまられて葦原中つ国を天孫
に献上する条件として<天の日隅宮または杵築宮>を作らせ、現在の出雲大社に鎮まったと記紀には記されており
黄泉の国(死者の魂が行く所)の祭神として出雲大社に祀られたのです。大国主命の生存中の逸話はあちらこちら
に妻訪いする話が中心で政治的な活動などは記されておらず、読者が大国主命の出雲王国と思い込んでいるのです。

私は記紀の編者たちが意図的に葦原中つ国隠しをしたと考えていますが、その発想の着眼点は大変ユニークで
面白いと思います。
 ①葦原中つ国の原住民(まつろわぬ民)を<土蜘蛛>と記紀や風土記に記していますが
  *縄文人(身短くして手足長し)から蜘蛛を連想して名付けた。
  *国譲りを迫って(実際には奪って)追い出し<出る蜘蛛>としたうえで、出雲大社に蜘蛛にまつわる<八足門>
   <八足机(見逃げ神事)>のネーミングを残した。
   また、<蜘蛛>を隠すために<雲>を発案し記紀の表記には<出ずる蜘蛛>を<出雲>と表記した。

 ② ①を知る後世の人たちがこの秘密を伝えようとした努力の跡も見える。以前ブログにも取り上げた「牛王宝印」
  「蘇民将来符」「牛頭天王祭文」など日本とインドや西域との繋がりを暗示するような説話の中に<網・ネット>
  が登場していたが、その真意は解らなかった。が、糸を吐いて網を作る蜘蛛から網を掛けて土蜘蛛や国栖を捕らえ
  た説話(吉野の国栖)を引き出させようとしたと思われる。

葦原中つ国から出雲の民にされた人々の知られざる逆襲。

出雲の王家の末裔という富當雄氏が吉田大洋氏に「富家の紋は亀甲に矛が交差した<交い矛>であったが「矛を大根
 に代えさせられた。」と証言した事を『謎の出雲帝国』(吉田大洋著)で知り、出雲国は矛の国という思いを抱き
 <交い矛>が現代の日本文化の中に伝えられているかを探してみました。
*出雲国の大国主命は八千矛神の神名を持ち、矛にゆかりの深い国である。
*『日本書紀』の本文では大己貴神は国の平定に広矛を用いた。
*大己貴神は『玉垣の内つ国』と名付けたその国を、伊弉諾尊は『細戈の千足国』と呼んでおり矛・戈が神器であった。

*1984年には神庭荒神谷から大量の矛が発見され戈の国と証明されました。ただし私は国譲り後九州から持ち込まれたも      
 のと思っています。

後世に伝えられていた富氏の主張する出雲王家の神紋

 出雲王家の神紋<交い矛>は<✖>という抽象的な記号として伝えられていました。

 ①諏訪神社の御柱にかつて<赤い✖印が3つ>刻印されており、証拠の写真はありますが現在の御柱にはない。
  昭和30年代旅行したおりに私も見た記憶がある。大きな赤い✖印が血の色に見え不吉な印象だった。
 ②伏見稲荷神符に描かれている<違い鎌>は出雲の神紋の矛が折れたものと以前のブログに「伏見稲荷神符」
  の謎ときを掲載しています。
 ③出雲大社の神紋<亀甲に剣花菱>の中心に✖印が隠されています。

 ④出雲系の神社の屋根には千木が掲げられていますが、千木とは矛の事と辞書に記されています。

大国主命と家族の系図から見えてきたもの

 この系図は丹後の籠神社(このじんじゃ)に伝わる海部氏が秘伝として伝えてきた祖神から現在までの系図から
抜き書きした「海部氏勘注系図」です。
この系図では大国主命を大己貴と記しており、龍蛇族という出自を表している名称でしょうか?大己貴の正妻は
素戔嗚命の娘・須勢理毘売ですが伝承では他に数名の妃がいました。この海部氏系図の大己貴の妃は胸形(宗像、
宗方、宗像とも)三女神の一人・多岐津姫(神屋楯姫)。彼らの娘の天道日女(屋乎止女・高光日女とも)が火明命
の妃となり海部氏らの祖・天香語山が誕生します。ところが父は母方の祖母の妹・佐手依姫(市杵島姫・息津島姫
とも)をも妃としており、天香語山は佐手依姫の娘・穂屋姫と結婚し、天村雲(渡会氏の祖)が生まれます。
また、火明命は自分に仕えている登美能那賀須泥毗古の妹の登美屋姫をも妻として物部氏の祖となる可美真手(うまし
まで、記では宇摩志麻遅)が生まれます。

火明命の子孫の物部氏や尾張氏等は日本史上で有力な氏族となるので、男系の系図は一般に良く知られていますが海部氏
勘注系図の妻たちの出自が出雲古族(大己貴)系に偏っていることに驚きました。大己貴の妃の多岐津姫(記では多紀理
毘売命)は阿遅鉏高日子根神(迦毛大御神)の母でもあります。ただし、胸形三女神は多紀理毘売、湍津姫、市杵島姫で
すが、火明命の妃の多紀理毘売(紀)は海部氏勘注系図では神屋楯姫も同神としていますが、記の系図によれば大己貴の
妃で事代主命の母としています。

私はこの勘注系図を見て大己貴の娘はともかく妻(胸形氏)の姉妹や、出雲の王家を主張する富家の富を共有している
登美能那賀須泥毗古の妹までが火明命の妻になっていることに違和感を持ちました。
古代の戦いでは敗者は勝者に対して娘を献上し、その娘の産んだ王の子を後継者とし、新たに支配する土地の民の心を
懐柔するのが常であったからです。

海部氏の勘注系図から推量すると、国譲りの真相は天下りして来た火明命の軍団によって葦原中つ国の王族は滅ぼされ、
王族の女性や妃の血縁関係の者まで火明命との婚姻を強制された可能性があると思いました。
日本の神社では本来の神名が消され、別の神名に変わった例が多々あるように聞いており、特に火明命の神名が
隠されているという説が流布しているように思います。今日のテーマがその謎を解く鍵かも知れません。

次回は大国主命とは誰か?を推理します。





 







 

 













 

 



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