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アートプラス京めぐり

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まとめ038 東寺

2018年12月29日 17時59分53秒 | テーマ数々

 

1 寺院南0427  東寺境内

2 東寺の天部像 守りと祈りのかたち 春の特別展 

3 寺院南0397  東寺 境内散策

4 東寺 名宝展  ポスター

5 寺院南0514 東寺・蓮華門  国宝

6 寺院南0516 東寺 西出入口 土塀をくりぬいてある 

7 寺院南0516 東寺 鐘楼

8 寺院南0517  東寺の五葉松 行幸記念樹

9 寺院南0518  東寺 国宝 西院 御影堂

10  寺院南0519 東寺 毘沙門堂

11 寺院南0520 東寺 食堂・納経所

12   寺院南0521 東寺 夜叉神堂 

13 寺院南0522 東寺 五重塔

14 寺院南0523 東寺 石碑

15   寺院南0524 東寺 小野道風ゆかりの柳

16 寺院南0526 東寺  講堂 向こうに 金堂

17   寺院南0527 東寺 慶賀門

18   寺院南0528 東寺 小子坊

19    寺院南0529 東寺 灌頂院 

20   寺院南0530 東寺 金堂

21 寺院南0531 東寺 南大門

22 石碑南0214 東寺の境内に 尊勝陀羅尼の碑

23 祠南054 東寺・北総門前の不動明王 

24 寺院南0688 東寺  撫で石

25 寺院南0689 東寺 高野山遥拝所

26 寺院南0690 東寺・三面大黒天

27 寺院南0691 東寺・手水舎

28   寺院南0692  東寺・北大門  重要文化財

29 寺院南0693 東寺・観智院  

30 寺院南0694 東寺・宝菩提院

31   寺院南0695 東寺・地蔵院

32   寺院南0696 東寺・北総門 重要文化財

33   寺院南0697 東寺・境内

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寺院南0531 東寺 南大門

2018年12月29日 16時11分10秒 | 寺院

 


南大門(重文・桃山時代)3間1戸の8脚門で、東寺伽藍正面の門。屋根は切り妻造り。本瓦造り、本瓦葺き、蟇股などに桃山風の建築様式がみられる。創建当初は正面5間、重層の楼門であったが、文明18年(1488)の土一揆に焼かれた。その後再建されたが、明治元年(1868)再び炎上した。今のは明治28年(1895)平安遷都を記念して蓮華王院(三十三間堂)の西門を移建したもので、慶長6年(1601)建造の桃山時代の代表的な八脚門です。



刀傷か  右から左から 切っている

 

鉄砲玉の穴かも  

 

 

 


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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0530 東寺 金堂

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寺院南0530 東寺 金堂

2018年12月29日 13時59分12秒 | 寺院

 

 

 

 

南面する。創建は延暦15年(796)とつたえる。文明18年(1486)に焼亡した。この金堂は慶長8年(1603)豊臣秀頼の再建です。外観は正面を5間、側面を3間とした単層、裳階付、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物。裳階の正面中央ら一段と高くしているのは、外観に変化をもたせるためといわれ、奈良大仏殿の古制をまねている。また下層には天竺様の挿肘木を用い、上層の枓栱に四手先を組むなど和様・唐様・天竺様の各手法を巧みに折衷した桃山時代仏寺建築です。

入り口は正面に3ヶ所、両側面に各1ヶ所、背面に1ヶ所あって、戸口以外はすべて連子窓、扉は両開きの桟唐戸を吊っている。

内部は周囲1間通りを外陣、中央5間3間を内陣とし、後方須弥壇上には慶長8年(1603)、仏師康正の作になる薬師三尊像(重文・桃山時代)を安置する。このうち中尊ま薬師如来坐像は高さ2.88m、光背に七仏を付けた巨大な七仏薬師で、裳懸座の周囲に12神将をめぐらしているのは珍しく、桃山時代の仏像中では屈指の作品。

昭和15年(1940)の解体修理の際、創建当初の礎石が発見され、金堂の位置および規模が大体昔のままであることが確認された。

 

 


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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0529 東寺 灌頂院

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寺院南0529 東寺 灌頂院

2018年12月29日 13時08分24秒 | 寺院

 

 

灌頂院 江戸時代 重文

創建は弘法大師の御草創にかかる所であるが、竣工半ばに御入定されたので、東寺第二祖の実恵大徳により完成。それ以後5度目の修造がなされ徳川三代将軍家光公が弘法大師800年御遠忌ま寛永11年(1634年)に再建したものである。毎年4月21日には弘法大師が「一夜に建立」され、龍神が描くとも伝えられる絵馬の参拝で大変にぎわう。

弘法大師が入唐中、修行した中国の青竜寺にならい、密教修行の道場として、承和10年(843)頃、実恵僧都によって建立された。

文明の土一揆のときには難を免れたが、天正13年(1585)の地震で大破した。正面側面ともに7間、単層、屋根は寄棟造り、本瓦葺きとしている。内部は正堂(北部)と礼堂(南部)からなり、その間を「相の間」でつないでいる。このような形の堂を「双堂(ならびどう)」という。正堂には曼荼羅を掛ける大壁がある。

御修法(みしほ) 灌頂院で、毎年1月8日から14日まで行われる行事。宮中から御撫物の代わりに天皇の御衣をあずかり、国家安穏・宝祚無窮・五穀豊穣を祈る。貞和2年(835)弘法大師が大内裏の真言院で行ったのが始めで、東寺に引き継がれた真言宗最高の儀式。

灌頂院閼伽井 正月の御修法のときと、4月21日の御影供(みえく)のときのみ開かれる。この井戸は古来、神泉苑の池に通ずるといわれ、善女竜王を祀っている。井戸に上には屋形があって、御影供の日に廂に朱色で描いた3枚の絵馬がかけられる。この絵馬は弘法大師の筆ともいわれ、また竜神の描いたものが井戸の底から出てくるのだとの伝説がある。当日はこの絵馬の出来栄えによって、その年の農作物の豊凶を占う。



 

 

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 寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0528 東寺 小子坊

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寺院南0528 東寺 小子坊

2018年12月29日 11時07分38秒 | 寺院

 

 

 

 

小子坊 近代

かつて西院大師堂の一面にあり、建武3年(1336年)6月14日より半年間、北朝の光厳上皇は、ここで政務をみることとなり、尊氏は千手堂(食堂)に居住したといわれる。現存の建物は昭和9年(1934年)弘法大師1100年御遠忌の記念事業として新築。用材はすべて木曽檜を用い、襖絵は堂本印象画伯の筆になり、昭和の代表的な建築物ということができる。

 

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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0527 東寺 慶賀門

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寺院南0527 東寺 慶賀門

2018年12月29日 06時45分59秒 | 寺院

 

境内より見る 

 八脚門 3間1戸、切妻造り、本瓦葺き、鎌倉時代の建造、雄健な中に平安朝の流れをくむ優美さがある。


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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0526 東寺  講堂 向こうに 金堂

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寺院南0526 東寺  講堂 向こうに 金堂

2018年12月29日 06時24分56秒 | 寺院

 

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寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0525 東寺 宝蔵・平安時代

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