アートプラス京めぐり

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まち歩き右0924  嵐電 帷子ノ辻 踏切  

2018年12月01日 20時15分15秒 | まち歩き

向こうに見えるのは 帷子ノ辻駅 

関連記事 ➡ まとめ026 嵐電

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史跡木津川037  山城国分寺跡 恭仁宮跡

2018年12月01日 05時32分26秒 | 史跡・旧跡

 

 

史跡 恭仁宮跡(山城国分寺跡) 名称変更 平成19年9月26日

恭仁京は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。当時、たびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情不安の中、こうした事態をだかいするためか、聖武天皇は、奈良の平城京を離れ、各地をてんてんとした後、天平12年(740)に現在の加茂町瓶原の地を中心に新都を定めました。しかし、恭仁京は天平16年(744)にわずか4年あまりで廃都されてしまいます。

その後、宮域は大極殿を中心に、山城国分寺として再利用されることになります。山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域をもつ寺でした。山城国分寺跡(恭仁宮跡)には、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています。皆さんの立っている場所は、塔跡の正面になります。周囲を塀に囲まれた塔は、残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定されます。

史跡 前回の記事 ➡ 史跡左036  岩倉具視 旧邸 

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