日本の農業は従事者の高齢化、後継者不足、新規就農者不足などにより減少など
と生易しいものではない。農業は江戸時代でも形の上だけ、士農工商と二番目に置
いているものの実際には、食糧を搾り取る道具として扱われていた。この流れは時代
が過ぎても変える事は出来ず、優位に立ったのは戦後の食糧難の時、ほんの一時
だけだった。
農業で生計が立てられない政策はどのように出来上がったのか知らないが、農業従
事者の多くは本当の農業者ではなく百姓だったのか。政治的には農協などは圧倒的
に自民党、今でもそれに近い。その政治は日本の百姓のためになる政治をしてきて
はいないのではないか。私はただ利用しただけと言いたい。何かあると、その場しのぎ
の補助金漬けにして問題を先送りにする。例えば、もぐら叩き政策の延長線上にある
減反はいつになったら解決されるのか。さて、農業の衰退は耕作放棄地の増加という
結果になる。
若い人は農業以外の仕事を選ぶから年寄りばかりが農地を守る。そうした若者たちは
子供の時から農業の手伝いをする、こんな当たり前と思われることもしなくなった。親が
させないのか、子がしないのか其々だろう。
だから年老いて農地が荒れても若者が農地を守ることもしなくなった。これは私が若い
頃、既に『三ちゃん農業』と言われ始めていたから、高度経済成長時代の幕開けが拍
車をかけたのだろう。農地は保有するものが維持する義務を負っている。その代わり農
地は法律で農業以外には利用、譲渡できないよう、種々のガードがかけられている。
私に山を譲ってくれた叔母さんも農地を保有しているが、耕作をしていない。しかし、こ
の叔母さんはシルバーセンタに頼んで草刈りをしてもらいながら、放棄地にならないよう
にしている。叔母さんの農地の半分弱を私が借りて管理しているから、放棄地回避の一
助になっている。先日、その一部に低木の果樹を植えれば、草刈りをする元気もでるか
ら、何か植えてもいいだろうかと相談した。
叔母さんは多少でも綺麗になればと賛成してくれた。もっと早くに思いつけばよかったの
になーと悔いる事しきり。そして、その畑地にさくらんぼ2本と西条柿1本を植えた。
この叔母さんのように一生懸命に農地を守っておられるのを見ると、私ももっと手助けし
なければと思わされる。一般的には年が寄り農業が出来なくなると、耕作放棄につなが
る。そして資材置場に、アパートに、倉庫などに地目変更され畑は歯抜けになっていく。
私がいつも叫ぶ食糧自給率・・・・・・この国の行く末は?