点滴地獄の喜びはその管が一つ、ひとつと外れていくことだ。ICUにいた時は心肺装
置を口に咥えていた記憶があるものの、その時は麻酔の関係かウツラウツラしていたよ
うだったから、うっとおしくて我慢できないほどではなかった。
もし意識がしっかりしていたら、これほど邪魔で嫌なものはなかったのではないかと思う
が、生命線だから好き嫌いの選択はできない。
これらの管の中で鼻からのものは何とも言えない厭らしさ、不快だったが、こいつが取れ
ると天下を取ったようなものだった。バッテリー付の点滴車を引き連れて、病室のフロア
ーを散歩したいのに、当時は新型インフル予防の為、病院の方針も慎重。術後は出来
る限り早くから身体を動かそうとのご指導に従い、早く室外への外出を望んだのに、暫く
は室内に制限された。振り返れば、正式に許可を貰って室外散歩に出たのではなく、成
り行きで出かけるようになった。一番の楽しみは1Fにあるコンビニに出かける事。
まだ食事の制限があったから何かを買って食べることはできなかったが、良くなったらあ
れを食べてみたいと、見ながらショッピングを楽しんだ。
また、8Fにあるレストランの入り口まで出かけては、陳列ケースのメニューを眺めて、治っ
たら、これを食べてみたいと、ここでも見ながらイーティング。
重湯からお粥、軟食へと出世していく度に、普通食への憧れは、とても強かった。病室の
前にはソファーや椅子が置かれていて、休憩所やら面会に使われていた。そこから下界
を見ると、以前よく行った中華料理店が見える。目と鼻の先だ。早く出て、あそこの白湯仕
立ての五目そばを食べたいなーと眺めていたものだ。
最初の抗がん剤治療の時は、病院のルールも知らないから、直ぐ目の前にある遺跡公園
に出かけ、頂上でリラックス、ついでにあちこちをウロウロして帰院した。看護師さんに話す
と『散歩は病院から外に出ないように。外出する時には許可が要ります』・・叱られた。
何れの治療も順調で、食事に関する苦労は一切なかったから、食べたい気持ちが病をより
抑制してくれたのかも。抗がん剤治療の副作用で、術後の縫合不良などで苦労された方
などは、散歩どころではなかったろうが、私のように殆ど何もないこともある。
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